「柱谷哲二」の版間の差分

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== 来歴 ==
=== 選手として ===
[[日産自動車サッカー部]]、[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]、[[サッカー日本代表|日本代表]]等でセンターバック、守備的MFを務め長年活躍。日産では[[加茂周]]監督の下、「ボランチ」という言葉が日本国内に普及する以前に中盤の底の役割を確立し、1992年にはこのポジションの選手としては初となるJSL年間最優秀選手に選出された<ref>{{Cite web |url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=12067 |title=【日本代表ボランチの系譜】柱谷哲二から遠藤保仁まで。変移する“ハンドル”の理想形は「遠藤+今野」の資質を持つ人材? |publisher=[[サッカーダイジェスト|サッカーダイジェストWeb]] |date=2015-10-23 |accessdate=2020-07-20}}</ref>。しかし1991-92年シーズンのJSLの終了後、日産のライバルチームである読売ヴェルディに移籍、すぐにJリーグカップ優勝を経験するなど<ref>{{cite web | url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=48| title=1992 Jリーグ ヤマザキナビスコカップ決勝 | publisher=data.j-league| accessdate =3 April 2021}}</ref>、チームの中心メンバーの一人として1998年まで在籍した。1993年5月15日、Jリーグ開幕戦となったマリノス戦に出場、5月29日の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦でJリーグ初ゴールを挙げた<ref name=dj>{{cite web | url=https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=118| title=柱谷哲二 | publisher=data.j-league| accessdate =3 April 2021}}</ref>。[[1998年]]のシーズン終了後、高年俸だったことと、チームの若返りを図る意図からV川崎から「0円提示」。現役続行の意思を表明していたが、他チームからオファーが来ずそのまま現役を引退した<ref>{{Cite web|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=71673|title=「レジェンド!」「頼れる闘将」柱谷哲二氏がツイッターを始動!「現役時代から大好き」と往年のファンも反応|publisher=サッカーダイジェスト|date=2020-04-12|accessdate=2020-07-15}}</ref>。Jリーグでは通算183試合に出場、13ゴールを挙げた<ref name=dj/>。
 
1988年1月27日の[[サッカーアラブ首長国連邦代表|アラブ首長国連邦]]戦で代表デビューを果たすと<ref name=samurai>{{cite web | url=http://samuraiblue.jp/timeline/19931028/| title= 1993年10月28日 vsイラク| publisher=samuraiblue| accessdate =3 April 2021}}</ref>この試合で代表初ゴールを挙げた。1992年からの[[ハンス・オフト|オフト]]ジャパン時代にはキャプテンに指名される<ref>{{Cite web |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jfootball/2020/01/30/___split_1/index.php |title=柱谷哲二の最重要ミッションは「監督と選手の仲を取り持つこと」だった |publisher=[[Sportiva|web Sportiva]] |date=2020-01-30 |accessdate=2020-07-20}}</ref>。1993年開催のワールドカップアメリカ大会アジア最終予選の[[サッカーイモス瑠偉ク代表|イラク]]戦でも主将共にして先発メンバフル出場<ref name=samurai/>、[[ドについて相談も受ける。両者が激しく対立悲劇]]を経験した際にはそ。1988年から1995年まで仲裁を務め間に日本代表に選出され、Aマッチ72試合に出場し<ref>{{cite web | url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/426082/| title=J3北九州監督に柱谷哲二氏 元日本代表 | publisher=西日本スポーツ| accessdate =3 April 2021}}</ref>
 
[[1998年]]のシーズン終了後、高年俸だったことと、チームの若返りを図る意図からV川崎から「0円提示」。現役続行の意思を表明していたが、他チームからオファーが来ずそのまま現役を引退した<ref>{{Cite web|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=71673|title=「レジェンド!」「頼れる闘将」柱谷哲二氏がツイッターを始動!「現役時代から大好き」と往年のファンも反応|publisher=サッカーダイジェスト|date=2020-04-12|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
 
=== 引退後 ===