「ジーコ」の版間の差分

→‎選手経歴: 一部の出典を代行、一部出典の無い記述を削除
(→‎2006年以降: 一部出典も無く詳しすぎる記述を削除)
(→‎選手経歴: 一部の出典を代行、一部出典の無い記述を削除)
== 選手経歴 ==
=== 幼少期 ===
[[ポルトガル]]からの移民で厳格な家庭であったという<ref name=zico/>。[[パン屋|パン職人]](後に洋服仕立て屋)で生計を立てていた父はフラメンゴとプロ契約寸前まで行ったGKであった<ref name=z10>{{cite web | url= http://zico.cocolog-nifty.com/history/jphomen.html| title=ジーコのヒストリー|publisher=ジーコ公式サイト| accessdate =2021-02-26}}</ref>。ジョゼ・アントゥネス・コインブラと[[イタリア系ブラジル人|イタリア系]]の母マチウデの5男1女の末子として出生<ref name=zak/>。母親は息子アルトゥールをピアニストにさせたかったが<ref name=zak>{{cite web | url =http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20141217/soc1412171550001-n1.htm| title=【ジーコの想い】兄・エドゥーの存在なくしてスーパースター誕生はなかった 母の希望はピアニスト|publisher=zakzak| accessdate =2021-02-26}}</ref>、彼の兄弟アンツネスとエドゥアルト(エドゥ)の影響もあり多くのブラジル人と同様に、サッカー選手を目指す様になる<ref name=zak/>。幼少期は[[ナショナルキッド]]を見ていたと言う。家業の仕立屋も多忙で父ジョゼの遅い息子だった事もあり実兄のゼッカとエドゥが両親の代わりにジーコの面倒を見る。あまり手のかからない子で上の兄らは父親に叱られてよく殴られていたがアルトゥール少年は学業も習い事もそつ無くこなし、家庭内でも整理整頓、小遣いも管理するという几帳面な子供だった。母からはサッカーを固く禁じられていたが「勉強も手を抜かない」とお願いして了解を取り付けて兄らとサッカー三昧の日を送る内にエドゥがプロサッカー選手として成功。13歳時には既に後のプレースタイルが確立していたとエドゥが回想しており、14歳時にはゼッカもエドゥも目を見張る程のセンスを持った少年へと成長した。
 
=== フラメンゴ ===
[[ファイル:Zico, Fundo Correio da Manhã.tif|サムネイル|150px|CRフラメンゴ時代(1971年)]]
[[1967年]]、14歳の時にブラジル・[[リオデジャネイロ]]の[[CRフラメンゴ|フラメンゴ]]のユースチームのテストに合格し加入。その後、ユースチームで116試合81得点という記録を残すと[[1971年]]にジーコはフラメンゴのトップチームに昇格した。前年、現夫人となるサンドラ(エドゥの妻の妹)と出会い交際開始。4年後の1975年、結婚の目標だったアパートを購入しサンドラと結婚<ref name=z10/>
 
フラメンゴでは、10年以上に渡って在籍し中心選手としてプレーし、[[コパ・リベルタドーレス1981]]や[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]、4度の[[カンピオナート・ブラジレイロ|ブラジル全国選手権]](1980年、1982年、1983年、1987年)で優勝した。[[コパ・リベルタドーレス1981]]では得点を量産し、決勝の[[CDコブレロア|ブレロア]]戦、1stレグで2ゴールを決めて勝利に貢献<ref name="zico">{{cite web | url =http://www.melhoresdabase.com.br/noticias/final-da-libertadores-da-america-de-1981.html| title=Final da Libertadores da América de 1981| publisher=www.melhoresdabase.com| accessdate =21 April 2020}}</ref>、2ndレグを0-1と落としたが<ref name="zico"/>、優勝決定戦となった3rdレグで2ゴールを決め<ref name="zico"/>、優勝に大きく寄与した。同年[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]では[[リヴァプールFC|リヴァプール]]を3-0と破り優勝、[[ジョアン・バチスタ・ヌーネス・デ・オリヴェイラ|ヌネス]]の2ゴールをアシストし大会MVPに選ばれた<ref name="yahoo">{{cite web | url =https://news.yahoo.co.jp/articles/74ad76b56ca1d517d25feb479b117d4b266d8394| title=神様”ジーコ、1981年製日本車と“お宝2ショット”公開| publisher=news.yahoo.co.jp| accessdate =21 May 2020}}</ref><ref>{{cite web | url =http://www.ntv.co.jp/fcwc/2011/toyota.html| title=FIFA CLUB WORLD CUP の歴史| publisher=NTV| accessdate =21 April 2020}}</ref>。また在籍時の28歳の頃、[[ACミラン]]への移籍が進んでいたが、破談になった<ref>{{cite web | url =https://web.gekisaka.jp/news/detail/?313393-313393-fl| title=ジーコ氏、ミラン移籍破談の過去を語る「今のように望めば移籍できる時代ではなかった」| publisher=web.gekisaka| accessdate =21 October 2020}}</ref>。
[[1983年]]にイタリアの[[ウディネーゼ・カルチョ|ウディネーゼ]]へ移籍、この移籍は[[フリウーリ]]地区のみならず、イタリア国内でも大騒動となり<ref>{{cite web | url=https://number.bunshun.jp/articles/-/840277?page=2|title=白いペレが、おらが町に来た 80年代のセリエA、ジーコ移籍の伝説| publisher=number.bunshun| accessdate =3 June 2020}}</ref>、イタリアサッカー協会により移籍が合法的に行われたかの調査が行われた<ref name="number">{{cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/840277?page=3| title=白いペレが、おらが町に来た 80年代のセリエA、ジーコ移籍の伝説 ページ3| publisher=number.bunshun| accessdate =3 June 2020}}</ref>。8月21日の[[コッパ・イタリア]]、グループリーグの[[ボローニャFC|ボローニャ]]戦で移籍後初ゴールを決め、9月12日、セリエA開幕節の[[ジェノアCFC|ジェノア]]戦で2ゴールを挙げ<ref name="zico 83-84">{{cite web | url =https://www.transfermarkt.com/zico/leistungsdatendetails/spieler/117619/plus/0?saison=1983&verein=&liga=&wettbewerb=&pos=&trainer_id=| title=Zico 1983-84| publisher=www.transfermarkt.com| accessdate =3 June 2020}}</ref>鮮烈なイタリアデビューを飾り、更に第2節の[[カルチョ・カターニア|カターニャ]]戦でも2ゴールを決め<ref name="zico 83-84"/>、その後、更に2試合連続ゴールとセリエA開幕戦から4試合連続ゴール(合計6ゴール)を決めた<ref name="zico 83-84"/>。ジーコ個人は1983-84シーズンに19得点をあげ得点ランキングの2位となった(怪我の影響で20得点で得点王となった[[ミシェル・プラティニ]]より試合出場が4試合少ない)<ref name="number2">{{cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/840277?page=4| title=白いペレが、おらが町に来た 80年代のセリエA、ジーコ移籍の伝説 ページ4| publisher=number.bunshun| accessdate =3 June 2020}}</ref>。これらの活躍によってサポーターの人気を集めた。1984-85シーズンは怪我での離脱<ref name="mondo">{{cite web | url =https://www.mondoudinese.it/udinese/rubriche/storie-in-bianco-e-nero/quella-volta-che-zico-incanto-e-miano-strego-tutti-contro-linter/| title=Quella volta che Zico incantò Miano e stregò tutti contro l’Inter| publisher=www.mondoudinese.it| accessdate =3 June 2020}}</ref>、長期の出場停止があったが<ref name="number"/>、3月31日の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]で約半年振りのゴールを決めると<ref name="mondo"/>、次節の[[ユベントスFC|ユベントス]]戦でもゴールを決めたが<ref>{{cite web | url =https://www.transfermarkt.com/zico/leistungsdatendetails/spieler/117619/plus/0?saison=1984&verein=&liga=&wettbewerb=&pos=&trainer_id=| title=Zico 1984-85| publisher=www.transfermarkt.com| accessdate =3 June 2020}}</ref>、契約の問題で、このシーズンを最後にイタリアを去ることとなった。また、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]への移籍話もあったが上手く交渉がまとまらず実現しなかった。ジーコ自身インテルへの移籍に非常に乗り気だったので残念だったと語っている。
 
1989年にはブラジル代表としての引退試合をウディネーゼで開催した<ref name=z10/>。また2017年にチームを訪問すると、ファンから大きな歓迎を受けた<ref name="number2"/>。
 
=== 短い引退 ===