「アレッサンドロ・デル・ピエロ」の版間の差分

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== 経歴 ==
=== クラブ ===
1991-92シーズンに[[セリエB (サッカー)|セリエB]]の[[カルチョ・パドヴァ]]でキャリアをスタートし、1992年3月15日の[[FCメッシーナ|メッシーナ]]戦でトップチームデビューを果たした。パドヴァで2シーズンを過ごした後、1993-94シーズンにセリエAのユヴェントスに移籍、1993年9月12日の[[フォッジャ・カルチョ|フォッジャ]]戦にてセリエAデビュー<ref name=piero/>、その一週間後9月19日の[[ACレッジャーナ1919|レッジャーナ]]戦で初ゴール<ref name=piero>{{cite web|url=https://www.football-italia.net/110091/day-del-piero%E2%80%99s-first-juventus-goal|title=On This Day: Del Piero’s first Juventus goal|publisher=footballitalia|accessdate=2021-04-03}}</ref>、1994年3月の[[パルマFC|パルマ]]戦では初の[[ハットトリック]]を達成する。翌シーズン、[[ロベルト・バッジョ]]がワールドカップでの疲れから負傷や、やや不調であったこともあって、出場回数を増やしていくと、1994年12月の[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]戦にて、背後からのロングボールをダイレクトで、しかもアウトサイドにかけたボレーシュートを決めたことによって、デル・ピエロの名前は[[ファンタジスタ]]として認知されるようになったこのシーズン、自身初の[[スクデット]]獲得。1995-96シーズン、バッジョの[[ACミラン]]移籍によって、[[ミシェル・プラティニ]]やバッジョが背負ってきたユベントスの背番号10を引き継ぐことになった。このシーズン、5試合連続を含む6得点と[[UEFAチャンピオンズリーグ]]制覇に貢献し、エースとしての役割を果たした。前年に続いて[[バロンドール]]投票では57票を集め、自己最高の4位を記録した<ref> [[ワールドサッカーダイジェスト]] 1996年3月号 no.17 p.58-59 </ref>。翌シーズンには、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]の決勝点をあげ、MVPに選ばれた<ref>{{cite web | url =http://www.ntv.co.jp/fcwc/2011/toyota.html| title=FIFA CLUB WORLD CUP の歴史| publisher=NTV| accessdate =6 June 2020}}</ref>。また、このシーズンの[[スクデット]]も獲得している。UEFAチャンピオンズリーグ決勝の[[ボルシア・ドルトムント]]戦では、ヒールキックによるゴールを決めたものの敗れ、準優勝に終わった
 
1995-96シーズン、バッジョの[[ACミラン]]移籍によって、[[ミシェル・プラティニ]]やバッジョが背負ってきたユベントスの背番号10を引き継ぐことになった。このシーズン、5試合連続を含む6得点と[[UEFAチャンピオンズリーグ]]制覇に貢献し、エースとしての役割を果たした。前年に続いて[[バロンドール]]投票では57票を集め、自己最高の4位を記録した<ref> [[ワールドサッカーダイジェスト]] 1996年3月号 no.17 p.58-59 </ref>。翌1996-97シーズンには、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]の決勝点をあげ、MVPに選ばれた<ref>{{cite web | url =http://www.ntv.co.jp/fcwc/2011/toyota.html| title=FIFA CLUB WORLD CUP の歴史| publisher=NTV| accessdate =6 June 2020}}</ref>。また、このシーズンの[[スクデット]]も獲得している。UEFAチャンピオンズリーグ決勝の[[ボルシア・ドルトムント]]戦では、ヒールキックによるゴールを決めたものの敗れ、準優勝に終わった。
1997-98シーズン、このシーズンに加入した[[フィリッポ・インザーギ]]と先シーズンから所属する[[ジネディーヌ・ジダン]]とともに強力なトライアングルを形成し(特にインザーギとの2トップは「デル・ピッポ」と呼ばれた)、スクデット連覇を果たした。チームだけでなく、デルピエロ自身も好調で、リーグでは21得点、チャンピオンズリーグでは得点王(10得点)となった。
 
1997-98シーズン、このシーズンに加入した[[フィリッポ・インザーギ]]と先シーズンから所属する[[ジネディーヌ・ジダン]]とともに強力なトライアングルを形成し(特にインザーギとの2トップは「デル・ピッポ」と呼ばれた)、スクデット連覇を果たした。チャンピオンズリーグでは3期連続で決勝に進出したが、決勝で[[レアル・マドリード]]に破れたが、シーズンを通じてチームだけでなく、デルピエロ自身も好調で、リーグでは21得点、チャンピオンズリーグでは得点王(10得点)となった。
 
1998年11月、[[ウディネーゼ・カルチョ|ウディネーゼ]]戦で左膝[[靭帯損傷|十字靭帯断裂]]などの選手生命も危ういほどの重傷を負い、[[膝]]の[[手術]]を行った。約9ヶ月間のリハビリの後、復帰するも以前の調子は取り戻せず、スランプに陥った。しかし、2000-01シーズンに復調の兆しを見せ、2001-02シーズン、リーグ16得点をあげて完全復活を果たし、4年ぶりのスクデットを獲得した(その後も、度々、怪我に悩ませられることになるが、そのたびにこれを克服した)。翌シーズンにもリーグ16得点とチームを牽引し、自身5度目となるスクデットを獲得した。
== エピソード ==
{{スポーツ選手の出典明記|選手=サッカー選手|エピソード|section=1|date=2011年11月3日 (木) 03:30 (UTC)}}
*遠征先などでは、仲間の選手と一緒にテレビゲームをする。好きなゲームは[[マリオシリーズ]]。ゲームを通じ、他の選手とのコミュニケーションを取ったり、リラックスを(相互に)したりする。
* [[モータースポーツ]]の観戦も趣味の一つ。2003年に亡くなった[[ロードレース世界選手権|Moto-GP]][[レーサー]]の[[加藤大治郎]]に生前サインを求めたことがある。2013年1月には、[[アメリカン・ル・マン・シリーズ]](ALMS)に参戦する[[パトリック・デンプシー|デンプシー・レーシング]]の共同オーナーに就任することが発表された<ref>[http://as-web.jp/news/info.php?c_id=9&no=46022 サッカー選手デル・ピエーロがALMSチーム代表就任] - オートスポーツ・2013年1月22日</ref>。
*[[イギリス]]のロックバンド[[オアシス (バンド)|オアシス]]のファンでもある。また、2006年に[[ミラノ]]で行われた[[ローリング・ストーンズ]]のライブに、[[マルコ・マテラッツィ]]と共に現れた。
*[[アメリカ合衆国]]に憧れがあるといい「選手生活を終えたら、まず英語の勉強に取り組むつもりだ」と語る。
 
== 日本との関係 ==
*[[新日本プロレス]]の熱烈なファン。1970年代後半から1980年代前半にかけてイタリアでもTV放映されていた『[[ワールドプロレスリング]]』を子供の頃よく見ていたという。中でも[[藤波辰爾]]、[[アントニオ猪木]]、[[木村健吾]]、[[佐山聡#タイガーマスク|タイガーマスク(初代)]]のファンであり、2005年に[[テレビ朝日]]のインタビューで藤波辰爾と対面した際には歓喜して、彼の技のひとつである[[ドラゴンスリーパー]]をリクエストしてかけられていた<ref>{{cite web|date=2005-06-20|url=http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/personal/men/yoshino/essay/25.html|title=ワールドプロレスリング実況三銃士の闘魂コラム#44|work=吉野真治|publisher=テレビ朝日 アナウンサーズ|accessdate=2014-01-21}}</ref>。
*アニメ『[[ルパン三世 (TV第2シリーズ)|ルパン三世]]』のファン。
*2011年3月に日本で起きた[[東北地方太平洋沖地震]]の惨事を知り、チャリティー用に自らデザインしたTシャツ(イタリアの国旗の上に日の丸を乗せ「友」と言う文字が刻まれている)を販売し、その売り上げは復興の為に寄付する事を発表した。特に被害甚大であった[[仙台市]]は[[2002 FIFAワールドカップ]]のイタリア代表のキャンプ地であり、その惨状を視て深い悲しみに陥ったと言う。そのTシャツを[[長友佑都]]も着用している。また慈善事業での収益金として2300万円を寄付した<ref>{{cite web|date=2005-06-20|url=https://news.livedoor.com/article/detail/5862024/|title=デル・ピエロの慈善団体、被災地へ約2300万円を寄付「友よ、あきらめないで」|publisher=newsliverdoor|accessdate=2021-04-03}}</ref>
 
*2012年7月21日、日本の[[茨城県立カシマサッカースタジアム|カシマスタジアム]]で行なわれた[[東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ]]に自ら参加を申し入れゲストプレーヤーとして参加。『Jリーグ TEAM AS ONE』(被災地のクラブ・出身者の選抜チーム)の一員としてプレーし、後半25分にはミドルシュートで自ら得点を決めた<ref>[http://www.soccer-king.jp/jleague/article/201207212055_del_piero_team_as_one_jleague.html デル・ピエロが強烈ミドル弾…TEAM AS ONEが4ゴールで圧勝/復興支援マッチ] SOCCER KING、2012年7月21日</ref>。