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英語版最新版から参考文献を導入、水雷砲艦最新版から「デストラクター」についての記載を導入。参考文献に基づき「概要」を加筆。
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==概要==
駆逐艦は、[[艦隊]]、[[護送船団]]、戦闘群の中で大型艦船を護衛し、近距離からの強力な攻撃からの防御を提供することを目的とした、高速、機動性、耐久性に優れた[[軍艦]]である。もともとは、19世紀後半にフェルナンド・ビラミルがスペイン海軍ために[[水雷艇]]に対から味方の艦船を護衛する防御ための「超水雷艇」たる'''水雷艇駆逐艦'''(TBD)として開発登場した<refもので、イギリス海軍が[[1892年]]度計画で建造した[[A級駆逐艦 name="Bernie">Fitzsimmons, Bernard(初代)|「ハヴォック」と「デアリング」]]が端緒となった{{Efn2|[[スペイン海軍]]からの発注で[[ジョン・ブラウン・アンド・カンパニー|トムソン・クライド]]造船所が建造し、[[1886年]]に進水させた「[[:en:Spanish ''The Illustratedwarship encyclopedia of 20th century weapons and warfareDestructor|デストラクター]]」(348トン)は{{Sfn|Gardiner|1979|p=386}}、水雷艇を拡大した設計を採用して[[海上公試]]では20.'' Columbia House, 6ノットを記録しており、TBDの先駆者とも称されるが{{Sfn|Fitzsimmons|1978, v. 8, page |p=835</ref> <ref name="smith">}}{{Sfn|Smith, Charles Edgar: ''A short history of naval and marine engineering.'' Babcock & Wilcox, ltd. at the University Press, |1937, page |p=263</ref>}}、公称艦種としては[[水雷砲艦]]とされていた{{Sfn|Friedman|2009|loc=ch.2 Beginnings}}。}}。まなく、敵水雷艇と交戦するだけなく自らも水雷襲撃を担うようになっていき、1904年の[[日露戦争]]の頃には、この「水雷艇駆逐艦」(TBD)TBDは「他の[[水雷艇]]を破壊するために設計された、大きくて、速くて、強力な武装を持った[[水雷艇]]」となっていた<ref>{{Sfn|Gove |2002|p. =2412</ref>}}。1892年以降、海軍では「駆逐艦」という言葉が「TBD」や「水雷艇駆逐艦」と互換的に使用されていたが、[[第一次世界大戦]]までにほぼ全ての海軍で「水雷艇駆逐艦」という言葉が一般的に単に「駆逐艦」と短縮されていた<ref>{{Sfn|Lyon |1996|pp. =8, -9</ref>}}
 
[[第二次世界大戦]]以前の駆逐艦は、単独で海洋活動を遂行するには耐久性に乏しい小型艦艇で、[[戦艦]]を頂点とする軍艦のピラミッド型秩序においては[[露払い]]程度の役回りでしかなかった{{Sfn|野木|2002}}。しかし戦艦にかわって[[航空母艦]]が主力艦として台頭すると、高速の空母に随伴できるような[[巡洋艦]]・駆逐艦のみで[[機動部隊]]が編成されるようになり、駆逐艦の地位も向上した{{Sfn|野木|2002}}。また戦後になって本格的に[[ミサイル]]が登場すると、軍艦の戦闘能力は大きさに比例するという[[大艦巨砲主義]]の前提は崩れた{{Sfn|野木|2002}}。[[潜水艦]]の脅威が深刻化して巡洋艦も[[対潜戦]]に従事するようになったこともあって、巡洋艦やフリゲートと駆逐艦との境界の不明瞭化が進み、単に、搭載する戦闘システムの性能や兵装の多寡による区別としての性格が強くなっていった{{Sfn|野木|2002}}。この結果、運用当事者と外部観測筋で種別が一致しない場合も生じており、例えば[[中国人民解放軍海軍]]の[[055型駆逐艦]]は、その大きさと武装のために、アメリカ海軍の一部のレポートでは巡洋艦と表現されている<ref>{{Cite report|author=Office of the Secretary of Defense|year=2017|title=Annual Report to Congress: Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China|url=https://www.defense.gov/Portals/1/Documents/pubs/2017_China_Military_Power_Report.PDF}}</ref>。一方、[[カナダ海軍|カナダ]]、[[フランス海軍|フランス]]、[[スペイン海軍|スペイン]]、[[オランダ海軍|オランダ]]、[[ドイツ海軍 (ドイツ連邦軍)|ドイツ]]などの[[北大西洋条約機構|NATO]]海軍の中には、駆逐艦に「フリゲート」という言葉を使っているところがあり、これも混乱の原因となっている<ref>{{Cite web|title=Frigate vs destroyer: What is the difference between the two warships?|url=https://www.naval-technology.com/features/frigate-vs-destroyer-difference/|website=www.naval-technology.com|accessdate=2021-04-05}}</ref>。
第二次世界大戦以前の駆逐艦は、単独での海洋活動には耐久性に乏しい小型艦艇で、通常は複数の駆逐艦と1隻の[[駆逐艦母艦]]が共同で運用されていた。大戦後、駆逐艦は大型化した。アレン・M・サムナー級駆逐艦の排気量が2200トンだったのに対し、アーレイ・バーク級は9600トン<ref>{{Cite web|title=Type 52D vs Arleigh Burke Class|url=https://defence.pk/pdf/threads/type-52d-vs-arleigh-burke-class.468551/|website=Pakistan Defence|accessdate=2021-04-05|language=en-US}}</ref>にもなり、約340%も大型化したのである。また戦後、誘導ミサイルの登場により、それまで戦艦や巡洋艦が担っていた水上戦闘艦としての役割を駆逐艦が担うことになった。その結果、より大型で強力な[[ミサイル駆逐艦|誘導ミサイル搭載駆逐艦]]が誕生し、独立した運用が可能になった。
 
21世紀に入ってからは、重巡洋艦を正式に運用しているのはアメリカとロシアの2カ国のみで、戦艦や真の巡洋艦は残っておらず、駆逐艦が水上戦闘艦のグローバルスタンダードとなっている。全長510フィート(160メートル)、総トン数9,200トン、90発以上のミサイルを搭載<ref>[https://web.archive.org/web/20120301123441/http://www.armybase.us/2010/04/northrop-grumman-christened-its-28th-aegis-guided-missile-destroyer-william-p-lawrence-ddg-110/ Northrop Grumman christened its 28th Aegis guided missile destroyer, William P. Lawrence (DDG 110)] April 19, 2010. Retrieved August 29, 2014.</ref>するアーレイ・バーク級などの誘導ミサイル駆逐艦は、それまでの誘導弾巡洋艦に分類されるほとんどの艦艇よりも大きく、重装備である。中国の[[055型駆逐艦]]は、その大きさと武装のために、アメリカ海軍の一部のレポートでは巡洋艦と表現されている<ref>https://www.defense.gov/Portals/1/Documents/pubs/2017_China_Military_Power_Report.PDF</ref>。一方、[[カナダ海軍|カナダ]]、[[フランス海軍|フランス]]、[[スペイン海軍|スペイン]]、[[オランダ海軍|オランダ]]、[[ドイツ海軍 (ドイツ連邦軍)|ドイツ]]などの[[北大西洋条約機構|NATO]]海軍の中には、駆逐艦に「[[フリゲート]]」という言葉を使っているところがあり、これが混乱の原因となっている<ref>{{Cite web|title=Frigate vs destroyer: What is the difference between the two warships?|url=https://www.naval-technology.com/features/frigate-vs-destroyer-difference/|website=www.naval-technology.com|accessdate=2021-04-05}}</ref>。
 
== 歴史 ==
 
=== 登場 (19世紀末) ===
[[19世紀]]後半の水雷兵器の発達とともに、これを主兵装とする戦闘艇として[[水雷艇]]が登場した。最初期の水雷艇は[[外装水雷]]や曳航水雷などを用いていたが、攻撃用水雷の決定版として自走水雷(後の[[魚雷]])が開発されるとともに、こちらが用いられるようになっていった。[[露土戦争 (1877年)|露土戦争]]中の[[1878年]]には、[[ロシア海軍#ロシア帝国海軍|ロシア帝国海軍]]の[[ステパン・マカロフ|マカロフ]]大尉が指揮する艦載水雷艇が[[オスマン帝国海軍]]の[[砲艦]]を襲撃し、[[イギリス]]から輸入したホワイトヘッド式魚雷によってこれを撃沈したことで、史上初の魚雷による戦果が記録された{{Sfn|Polutov|2012}}{{Efn2|史上初の実戦投入は、この前年に[[イギリス海軍]]の装甲蒸気フリゲート「シャー」が[[ペルー]]反乱軍の[[装甲艦]]「[[ワスカル (装甲艦)|ワスカル]]」に対して発射したものであったが、このときは命中しなかった{{Sfn|Polutov|2012}}。}}。当時、[[大砲|重砲]]でも大型の装甲艦を撃破することは難しかったのに対し、このように魚雷を用いれば安価な小型艇でもこれを撃破しうることが着目されて、[[1880年代]]には各国海軍は競って水雷艇を建造した{{Sfn|青木|1983|pp=107-113}}。[[1890年]]末の時点で、7つの大海軍国の合計800隻以上の水雷艇があったが、[[1896年]]末の時点では、同じ7ヶ国だけでも1,200隻以上に増加していた{{Sfn|青木|1983|pp=107-113}}。[[1895年]]の[[威海衛の戦い]]では、[[大日本帝国海軍]]により、世界初の大規模な魚雷攻撃が実施され、多大な戦果を挙げた{{Sfn|青木|1983|pp=144-150}}。
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==参考文献==
* {{Cite book|last=Fitzsimmons|first=Bernard|year=1978|title=The Illustrated encyclopedia of 20th century weapons and warfare|publisher=Columbia House|volume=8|isbn=978-0906704004|ref=harv}}
* {{Cite book|authorlink=:en:Norman Friedman|first=Norman|last=Friedman|year=2004|title=U.S. Destroyers: An Illustrated Design History|publisher=[[:en:United States Naval Institute|Naval Institute Press]]|isbn=9781557504425|ref=harv}}
* {{Cite book|first=Norman|last=Friedman|year=2009|title=British Destroyers From Earliest Days to the Second World War|publisher=[[:en:United States Naval Institute|Naval Institute Press]]|isbn=978-1-59114-081-8|ref=harv}}
* {{Cite book|first=Norman|last=Friedman|title= British Destroyers & Frigates - The Second World War & After|year= 2012|publisher=Naval Institute Press|isbn=978-1591149545|ref=harv}}
* {{Cite book|first=Robert|last=Gardiner|year=1979|title=[[:en:Conway Publishing|Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905]]|publisher=Naval Institute Press|isbn=978-0870219122|ref=harv}}
* {{Cite book|first=Robert|last=Gardiner|year=1996|title=Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995|publisher=Naval Institute Press|isbn=978-1557501325|ref=harv}}
* {{Cite book|last=Gove|first=Philip Babock|year=2002|title=[[:en:Webster's Third New International Dictionary|Webster's Third New International Dictionary]] of the English Language Unabridged|publisher=Merriam-Webster Inc.|isbn=978-0877792017|ref=harv}}
* {{Cite book|last=Lyon|first=David|year=1996|title=The First Destroyers|publisher=Chatham Publishing|isbn=1-55750-271-4|ref=harv}}
* {{Cite book|last=Smith|first=Charles Edgar|year=1937|title=A short history of naval and marine engineering|publisher=Babcock & Wilcox, ltd. at the University Press|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|authorlink=ウィリアム・ハーディー・マクニール|first=William H.|last=McNeill|year=2014|title=戦争の世界史(下)|chapter=第8章 軍事・産業間の相互作用の強化 1884~1914年|pages=91-180|publisher=[[中公文庫]]|isbn=978-4122058989|ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|title=ソ連/ロシア巡洋艦建造史|first=Andrey V.|last=Polutov|year=2010|month=12|journal=[[世界の艦船]]|issue=734|publisher=[[海人社]]|naid=40017391299|ref=harv}}