「レフ・トロツキー」の版間の差分

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→‎逸話: オランダ系フランス人の姓 Heijenoort の仏語読みは [van ɛjɛnɔʁt]
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== 逸話 ==
*[[文芸評論家]]でもあり、[[ヘンリック・イプセン|イプセン]]論もある。
*1920年に著作『テロリズムと共産主義』(英語版は''In Defense of Terrorism'' [[テロリズム]]の擁護)を刊行し、ドイツ社会民主党の[[カウツキー]]らの「ソビエトはボルシェビキによる赤色恐怖支配」という批判に対して、「革命のさなかにおいて、[[白色テロ|資本家のテロ]]は歴史を若干遅らせるだけだが、[[赤色テロ|革命派の資本家へのテロ]]は歴史を促進する」と革命のためのテロを擁護した{{efn|一方で、[[1911年]]にオーストリア社会民主党の理論機関誌『カンプ(闘争)』へ寄稿した『テロリズム』などで、テロリズムに対する批判を含んだ著作も多く執筆している。}}。この著作はスターリンの蔵書の一冊として、現在も旧ソ連共産党古文書館にて保管されている。なお、政敵のスターリンもこの本のテロを賛美している箇所全てに「同感!」「的確!」などと書き込みを入れている。
*赤軍を率いていた際、兵士の間で「白い虫(白軍)を殺せ」という歌がはやったが、トロツキーは「赤軍の役目は、白軍兵士を殺すことではなく彼らを武装解除することであり、白軍兵士も同じ階級なのだから、彼らを組織するつもりで戦おう」と訴えて、その歌を歌うことを禁じた。
*トロツキーの亡命先のメキシコで、トロツキーが身を寄せていた住居が銃撃される。住居は要塞化され、トロツキーは秘書や支援者とともに「避難訓練」を繰り返した。トロツキーの秘書だった[[ジャン・ヴァン・エジェノルト]]([[:en:Jean van Heijenoort|Jean van Heijenoort]])は、トロツキーの性格を考えて何故トロツキーが避難訓練に熱心なのか訝ったが、実はトロツキーにとって愛人宅に行くための「脱出訓練」だったことを知り、エジュノールは避難訓練をボイコットした。なお、この時点でトロツキーはすでに[[フリーダ・カーロ]]に愛想をつかされており、この愛人は別の無名の女性である。(出所:避難訓練はエジュノール『トロツキーとの7年間』p.163, フリーダ・カーロとの関係途絶については Service ''Trotsky'')