「反ユダヤ主義」の版間の差分

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プロイセン王国枢密顧問官クリスティアン・コンラート・ヴィルヘルム・ドーム<ref>Christian Konrad Wilhelm Dohm(1751-1820)</ref> は、エルのユダヤ人非難文書に刺激されて、メンデルスゾーンとともにユダヤ人の解放と信教の自由を訴え、[[1781年]]9月に『ユダヤ人の市民的改善について』を発表し、ユダヤ人が特別な許可がなくては結婚もできず、課税は重く、仕事や活動が制限されていることを批判した<ref name="osw55-75"/><ref name="aritaIsraliet1"/><ref>Über die bürgerliche Verbesserung der Juden. 1781.</ref>。ただし、ドームはユダヤ教の棄教を解放の条件とした<ref name="m98-171-7"/>。
 
ゲッティンゲンのルター派神学者・ヘブライ学者[[ヨハン・ダーフィト・ミヒャエーリス]]は、悪徳で不誠実な人間であるユダヤ人は背が低く、兵士としても役立たずで、国家公民になる能力を欠いており、さらにその信仰は誤った宗教であるのに、ドームは職業選択の自由だけでなくユダヤ人が固有の掟に従うことまでを許しているとして、ドームを批判して、ユダヤ人解放を拒否した<ref name="aritaIsraliet1"/><ref>「Michaelis,Johann David (1717 – 91) 」, Heiner F. Klemme、Manfred Kuehn 編「The Bloomsbury Dictionary of Eighteenth-Century German Philosophers」, Bloomsbury Publishing,2016, p.536-537.</ref><ref>Jonathan M. Hess,Johann David Michaelis and the Colonial Imaginary: Orientalism and the Emergence of Racial Antisemitism in Eighteenth-Century Germany,Jewish Social Studies 6.2 (2000) 56-101</ref><ref>[[#ポリアコフ III]],p.245-246.</ref>。ミヒャエーリスは聖書と[[普遍史]]を批判したことでも高名だが、すべての言語が一つの言語、特にヘブライ語であったとは証明されていないとした<ref name="p-A-249-258"/>。
 
[[1782年]]、オーストリアの神聖ローマ皇帝[[ヨーゼフ2世]]がボヘミアとオーストリアのユダヤ人の市民権を改善する寛容令を公布した<ref name="aritaIsraliet1"/>。