「ウィンストン・チャーチル」の版間の差分

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== 日本との関係 ==
チャーチルにとって大きなウェイトを占めるアメリカとドイツには及ばないが、[[日本]]も重視した国であり{{Sfn|関榮次|2008|p=122}}、[[日英同盟]]の締結には賛成し、第二次世界大戦への日本参戦に対しては融和工作を行っている{{Sfn|関榮次|2008|pp=153-177}}{{Sfn|河合|1998|pp=326-330}}。チャーチルは基本的に東洋には殆ど興味がなく、日本についても知識が多かったわけではないが{{Sfn|ペイン|1993|p=277}}、中国について全く興味が関心を持たなかったのに対し、アジアで数少ない独立国で文明国であり、[[イギリス王室|王室]]を抱える自国と共通して[[天皇]]・[[皇室]]を擁く[[君主制]]を維持しかつ5大国の一角を占め、その後同盟関係を築いた日本人に対しては一定の親近感を持っていた{{Sfn|ペイン|1993|p=201}}。
 
チャーチルが日本を最初に意識したのは父ランドルフ卿と母ジャネットが日本旅行をした[[明治]]27年(1894年)である。日本から送られてきた母の手紙の中に日本の写真が同封されており、チャーチルは母への返信で「お母さんからの手紙はとてもうれしいです。写真は美しく、日本の思い出の品として一生大事にしようと思っています」と書いている(この時に日本で撮られた写真が父ランドルフ卿が映っている最後の写真でもある){{Sfn|河合|1998|pp=315-316}}。