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=== 中世 ===
[[室町時代]]の応永年聞(1394年~1427年)の袖志には約20戸があり、農業を生業としていた<ref name="丹後町史p258">{{Cite book|和書|author=丹後町 |title=丹後町史 |publisher=丹後町 |date=1976 |page=258-260 |isbn=}}</ref>。[[安土桃山時代]]の天正年代(1573年~1591年)には採藻が始められた<ref name="丹後町史p258"/>。
=== 近世 ===
[[江戸時代]]の元禄年間(1688年~1703年)には嘉兵衛が主導者となり、海に潜って[[テングサ]]などを採取する[[海女]]漁([[袖志の海女]])が始められた<ref name="丹後町史p258"/>。袖志の海女は西の[[因幡国]]から東の[[越前国]]まで出かけて活躍し、当時としては異色の活動だったとされる<ref name="丹後町史p258"/>。亨保年間(1716年~1735年)には[[延縄]]漁も開始し、明治期から大正期には漁業が発展している<ref name="丹後町史p258"/>。
=== 近代 ===
[[File:Sodeshi Beach in c.1950.jpg|thumb|袖志におけるウニの採取(1950年頃)]]
1880年(明治13年)
1889年(明治22年)4月1日
1927年(昭和2年)3月7日には丹後半島北部を震源とする[[北丹後地震]]が発生したが、下宇川村域では16戸が半壊した程度であり、甚大な被害を受けた地域と比べると「特記すべきことはほとんどなかった」とされる<ref name="丹後町史p499">{{Cite book|和書|author=丹後町 |title=丹後町史 |publisher=丹後町 |date=1976 |page=499 |isbn=}}</ref>。
▲1889年(明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行によって[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]]'''[[下宇川村]]'''が発足した。
=== 現代 ===
1955年(昭和30年)2月1日、[[間人町]]・[[豊栄村 (京都府)|豊栄村]]・[[竹野村 (京都府竹野郡)|竹野村]]・[[上宇川村]]・下宇川村の5村が合併して
2004年(平成16年)4月1日、丹後町が周辺5町と合併して
== 教育 ==
【袖志分校跡地の写真をアップロードして追加する。】
[[File:Gthumb.svg|thumb|丹後町立袖志分校跡地]]
1875年(明治8年)1月15日、袖志と尾和を学区とする袖志尋常小学校が万福寺の東隅の一室に開校した<ref name="丹後町史p599">{{Cite book|和書|author=丹後町 |title=丹後町史 |publisher=丹後町 |date=1976 |page=599-600 |isbn=}}</ref>。1877年(明治10年)には袖志集落の西端に校舎を新築した<ref name="丹後町史p599"/>。1904年(明治37年)には補習科が設置され、1907年(明治40年)7月には小字宮の成に校舎を新築した<ref name="丹後町史p599"/>。1925年(大正14年)4月には中浜校と袖志校が合併して下宇川尋常高等小学校が発足し、中浜校が本校と、袖志校が分教場となった<ref name="丹後町史p599"/>。
1953年(昭和28年)には袖志分校の新校舎が完成した<ref name="丹後町史p599"/>。1962年(昭和37年)8月には本校から4年遅れて完全[[給食]]を実施した<ref name="丹後町史p599"/>。1975年(昭和50年)4月には丹後町立下宇川小学校・上宇川小学校・下宇川小学校袖志分校・竹野小学校此代分校が統合されて[[京丹後市立宇川小学校|丹後町立宇川小学校]]が開校し、下宇川小学校袖志分校は閉校となった<ref>{{Cite web |url=http://www.kyoto-be.ne.jp/ukawa-es/cms/?action=common_download_main&upload_id=39 |title=京丹後市立宇川小学校 沿革史 |publisher=京都府教育委員会 |date= |accessdate=2021-04-08}}</ref>。1953年(昭和28年)建築の校舎の一部は2020年(令和2年)時点でも現存している。
== 名所・旧跡・観光スポット ==
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