「モクタル・ウルド・ダッダ」の版間の差分

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'''モクタル・ウルド・ダッダ'''(Moktar Ould Daddah, [[1924年]][[12月25日]] - [[2003年]][[10月14日]])は、[[モーリタニア]]の[[政治家]]。[[1960年]]、モーリタニアの[[フランス]]からの独立後、まず内閣首長となり、[[1961年]]初代[[モーリタニアの大統領一覧|大統領]]になった<ref>{{Cite web |url=https://www.worldstatesmen.org/Mauritania.htm |title=Mauritania |publisher=Worldstatemen.org |accessdate=2021-04-10}}</ref>。[[1978年]]まで、三期にわたり大統領に選任された。
 
モーリタニアの富裕な家庭に生まれた。[[パリ]]に留学し、法学を学んだ。ダッダはモーリタニア出身者で最初に学士号を得た人物である。[[1950年代]]後半にモーリタニアに帰国し、中道左派勢力のモーリタニア進歩連合に加入した。党首脳となるが、1959年にモーリタニア再編党(PRM)を結成、党首となる。独立前に行われた選挙でPRMは国会第一党となり、ダッダが内閣首班に指名された。
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1971年には[[アフリカ連合]]の議長に選挙される。しかしこのころから国内政治には失策が続くようになる。[[スペイン]]が[[西サハラ|スペイン領サハラ]](西サハラ)を放棄すると、西サハラ南部の領有権を主張して[[モロッコ]]と共に介入したが、サハラ・アラブ民主共和国の建国(西サハラ独立)を望む[[ポリサリオ戦線]]に敗北し、失敗した。経済危機もこれに加わって、[[1978年]]軍の[[クーデター]]で失脚した。
 
== 脚注 ==
<references />
 
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{{モーリタニアの大統領}}
{{アフリカ連合の総会議長}}