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'''カネボウ株式会社'''(旧'''東京綿商英文名:'''、旧'''鐘淵紡績'''、旧'''鐘紡'Kanebo, Ltd.'')は、かつて存在[[繊維]]・[[化粧品]]・[[食品]]・[[薬品]]・[[日用品]]などの事業を展開ていた日本の企業会社2004[[2007以降の]][[6月30日]]に解散決議をし、同時に清算会社再建に伴として'''海岸ベルマネジメント株式会社'''(か、事業譲渡など行われ、最終的んベルマネジメント)商号変更。[[2008年]][[11月11日]]、'''トリニティ・インベストメント]]株式会社'''に清算目的で吸収合併されて消滅し。詳細は下記の各項目を参照のこと
 
== トリニティ・インベストメントの概要 ==
== 旧カネボウの法人格 ==
{{基礎情報 会社
{{Main|カネボウ (1887-2008)}}
|社名 = トリニティ・インベストメント株式会社
* '''[[海岸ベルマネジメント]]株式会社''' - カネボウ株式会社が、解散決議後の2007年7月以降、[[清算法人]]として使用した[[商号]]。2008年11月に、親会社となっていたトリニティ・インベストメント株式会社に清算目的で[[吸収合併]]され、法人格も消滅した。
|英文社名 = Trinity Investment Co.,Ltd.
* '''トリニティ・インベストメント株式会社''' - カネボウ株式会社の法人格を承継した会社。2006年に株式取得でカネボウの親会社となり、2008年11月に海岸ベルマネジメント株式会社を清算目的で吸収合併した。
|種類 = [[株式会社]]
|業種 =
|郵便番号 = 108-0022
|本社所在地 = 東京都港区海岸3-20-20<br />(合併前の東京都千代田区紀尾井町4番5号から移転)
|設立 = 1979年5月22日(株式会社カーセブン)
|代表者 = [[代表取締役]] [[五木田律子]]
|資本金 = 4億6,000万円
|主要株主 = 3投資会社が運営するファンドの出資する会社 (100%)
|外部リンク =
|特記事項 = 海岸ベルマネジメントに出資したファンド系の会社。2008年11月11日に海岸ベルマネジメントを吸収合併し、同社所在地に移転。
}}
かつて存在したカネボウ株式会社の[[粉飾決算]]事件に伴う、[[産業再生機構]]による支援決定を受けて、以下を目的に、投資会社(ファンド)3社([[アドバンテッジ パートナーズ]]有限責任事業組合、株式会社[[MKSパートナーズ]]、[[ユニゾン・キャピタル]])が、既設の休眠会社を活用した'''目的会社'''である。
 
: 当社の目的
== カネボウから事業を引き継いだ企業 ==
* カネボウ株式会社を傘下に収める
* '''株式会社[[カネボウ化粧品]]''' - 化粧品事業と「カネボウ」の[[商標権]](ブランド)を引き継いだ会社。[[花王]]株式会社の[[子会社]]。
*: [[カネボウ化粧品]](旧:カネボウブティック)との株式相互持合解消に際して、同社の持つカネボウ株を譲り受け、カネボウを傘下に収めた。その後、TOBを実施(2005年6月10日上場廃止時のカネボウ株価360円に対し、2006年2月から3月にかけて1株あたり162円でTOBが成立。この金額に対して不当であるとしてTOBに応じなかった株主などから告訴がなされ、係争が続いている)。
* '''[[クラシエホールディングス]]株式会社''' - 化粧品以外の事業を引き継いだ[[持株会社]]。[[ホーユー]]株式会社の子会社。旧・カネボウ・トリニティ・ホールディングス。
* '''カネボウ株式会社とは一切資本関係のない受け皿会社3社'''(カネボウ・トリニティ・ホールディングス=現:[[クラシエホールディングス]]、ならびに同社子会社のカネボウホームプロダクツ=現:[[クラシエホームプロダクツ]]、カネボウ製薬=現:[[クラシエ製薬]])に'''[[事業譲渡]]'''([[会社分割]]ではない)
** '''[[クラシエホームプロダクツ]]株式会社''' - [[トイレタリー]]部門を引き継いだ会社。旧・カネボウホームプロダクツ。
*: 受け皿会社各社の商号にあった「カネボウ」が「クラシエ」に変更になったのは、「カネボウ」の商標権がカネボウ化粧品に譲渡されていたこと、その商標権譲渡後も一定期間はカネボウ化粧品から商標の使用が許可されていたその期限が到来したことによる。
** '''[[クラシエフーズ]]株式会社''' - 食品部門を引き継いだ会社。旧・カネボウフーズ。
* カネボウ株式会社の子会社(カネボウフーズ=現:[[クラシエフーズ]])の株式をカネボウ・トリニティ・ホールディングス=現:[[クラシエホールディングス]]に売却
*** '''[[森永甲府フーズ]]株式会社''' - 旧・カネボウフーズの一部門がクラシエフーズへ移行の際に分社化。甲府ベルフーズへ移行後、[[森永製菓]]が子会社化。2020年4月、森永製菓が吸収合併。旧・甲府ベルフーズ。
* カネボウ株式会社(海岸ベルマネジメント株式会社に商号変更)を吸収合併方式にて[[合併 (企業)|合併]]し、合併時点における同社の株主(約83%は当社、残る約17%は2006年のTOBに応じなかった株主)について(存続会社である当社の株式割当ではなく)金銭交付を実施(1株あたり130円)
** '''[[クラシエ製薬]]株式会社''' - 製薬部門を引き継いだ会社。旧・カネボウ製薬。
*** '''[[クラシエ薬品]]株式会社''' - 薬品の販売部門を引き継いだ会社。旧・カネボウ薬品。
* '''KBセーレン株式会社''' - カネボウの創業からの事業である繊維事業を、カネボウ繊維株式会社・カネボウ合繊株式会社から、2005年7月1日に[[営業譲渡]]により引き継いだ会社。[[セーレン]]株式会社の[[完全子会社]]。
* '''KBフクスケ株式会社''' - [[福助]]が2006年に株式を取得し子会社化。2015年12月1日、福助が吸収合併。旧・カネボウストッキング。
* '''三甲テキスタイル株式会社''' - カネボウ繊維株式会社の国内での羊毛事業拠点であった大垣工場を2004年11月12日に引き継いだ会社。[[三甲]]株式会社の関連会社。
* '''株式会社ベルポリエステルプロダクツ''' - カネボウ合繊株式会社から受け継いだ会社。[[大和製罐]]株式会社の関連会社。
 
== カネボウ関連団体など→海岸ベルマネジメントの概要 ==
{{基礎情報 会社
* '''[[カネボウ陸上競技部]]''' - カネボウが運営していた陸上競技部。現在は、分離したカネボウ化粧品が運営。
|社名 = 海岸ベルマネジメント株式会社<br />(旧カネボウ株式会社)
* '''カネボウメイクアップインスティテュート''' - カネボウが運営していたメイクスクール。現在は、分離したカネボウ化粧品が運営。
|英文社名 = Kaigan Bell Management, Ltd.
* '''[[カネボウ木曜劇場]]''' - カネボウがスポンサーをしていたテレビ番組。放送期間の2002年4月から2003年3月まで30秒バージョンのサウンドロゴを廃止していた。
|種類 = [[株式会社]](2008年[[11月11日]]吸収合併にて消滅)
* '''[[鐘淵紡績洲本工場]]''' - カネボウの歴史の中で洲本工場は、綿紡織事業を手掛けてきた工場として最長(87年)の歴史をもつ。
|市場情報 = {{上場情報|東証1部|3102|1949年5月16日|2005年6月13日}}
* '''[[鐘淵紡績練馬工場]]''' - 鐘淵紡績の工場の1つ
|本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[海岸 (東京都港区)|海岸]]3-20-20 ヨコソーレインボータワー
* '''鐘紡記念病院''' - カネボウの株式会社立病院(非医療法人)。2006年7月に[[医療法人]]化してカネボウから独立し、「医療法人社団鐘紡記念病院」を経て「医療法人社団顕鐘会 神戸百年記念病院」となっている。 → [[神戸百年記念病院]]を参照のこと。
|設立 = [[1944年]][[2月1日]](鐘淵工業株式会社)(注1)
|業種 = 化学
|事業内容 = 清算業務(清算前はトイレタリー製品、薬品、食品などの製造・販売)
|代表者 = 代表清算人 中嶋章義
|資本金 = 1億円(2006年9月下旬に350億9998万5000円から[[減資]])
|主要株主 = トリニティ・インベストメント株式会社(83%)
|特記事項 = 注1:鐘淵紡績株式会社(1887年5月6日に東京綿商社として設立し、[[1893年]]に鐘淵紡績に社名変更)と鐘淵実業株式会社との新設合併により設立。[[1946年]]5月に「鐘淵紡績株式会社」に商号変更、[[1971年]]12月に「鐘紡株式会社」に商号変更、[[2001年]]1月に「カネボウ株式会社」に商号変更。2007年6月30日に解散決議をし、同時に清算会社として「海岸ベルマネジメント株式会社」に商号変更。2008年11月11日、トリニティ・インベストメント株式会社に清算目的で吸収合併されて消滅。
}}
 
カネボウ時代は現在の[[東京証券取引所|東証]]第1部に[[株式公開|上場]]し、特定の企業グループには属していないものの[[三井銀行]](現:[[三井住友銀行]])を主力取引銀行としていたことから、かつての[[三井財閥]]系に含まれる事があった。また、かつての商号である「鐘淵'''紡績'''株式会社」が示すとおり、創業時の業種は[[繊維]]事業で、[[天然繊維]]・[[化学繊維]]の両方を手がけていた。
== 鐘淵紡績から分離した企業 ==
 
* '''鐘淵デイゼル工業''' → [[民生産業]]を参照。
番組の筆頭提供クレジットにおけるキャッチコピー「'''美しきヒューマンライフを目指すカネボウ'''」(のちに「'''芸術化産業を目指すカネボウ'''」)や、コマーシャルにおける「'''Kanebo, For Beautiful Human Life.'''(カネボウ、美しい人間生活のために)」のサウンドロゴで知られた。ところが文法的な誤りがあるためにその意味が「カネボウ、美しい[[宇宙人|ヒト型生物]]のために」「カネボウ、(我々は)美しいヒト型生命体の味方(です)」<ref>副島隆彦『英文法の謎を解く』 ちくま新書 1995 ISBN 4480056416</ref>となってしまうため、英語[[ネイティブ]]からは不評だった。サウンドロゴは基本的に女性であるが、男性用の場合は男性で行っていた。90年代は状況によっては使用しない、サウンドロゴ背景を割愛する場合もあった<ref>90秒CMでは手・目・鼻が回転し、唇を付加したアニメーションを用いた顔のイラストの下に「カネボウの基礎化粧品」というものもあった。</ref>。
* '''鐘淵化学工業''' → [[カネカ]]を参照。
 
かつて行っていた事業は以下のような変遷を辿っている。
* 創業当時の事業である繊維事業は、一部が2005年7月1日に[[セーレン]]の子会社・KBセーレンに譲渡されたほか、KBスピニング(現:[[KBツヅキ]])、[[ベルポリエステルプロダクツ]]などが継承している。
* ホームプロダクツ・製薬・食品事業は[[クラシエホールディングス|クラシエグループ]]傘下([[クラシエホームプロダクツ]]、[[クラシエ薬品]]、[[クラシエフーズ]])となった。
* 化粧品事業とブランド商標権は[[花王]]子会社の[[カネボウ化粧品]]に売却された。
 
=== カネボウの社名の由来 ===
[[東京都]][[墨田区]]鐘ヶ淵で創業した紡績会社であることから。後に略称の鐘紡(カネボウ)が正式社名となる。
 
また、以下の通り、各地に「鐘紡町」という地名が存在する。これは、同地にカネボウ関連の工場があったことに由来する。
* [[山口県]][[防府市]]鐘紡町 - かつて同地にカネボウ防府工場があったが、カネボウの経営再建中に閉鎖された。跡地はベルポリエステルプロダクツの工場となったほか、2008年3月14日、跡地の一部にロックシティ防府(現・[[イオンタウン防府]])が開店した。
* [[富山県]][[高岡市]]鐘紡町 - カネボウ製薬を承継したクラシエ製薬の工場がある。
* [[滋賀県]][[長浜市]]鐘紡町 - カネボウの繊維事業を承継したKBセーレンの工場がある。
 
=== 事業所 ===
* 本社 - 東京都港区海岸3-20-20 [[ヨコソーレインボータワー]]
*: 同地は[[横浜倉庫]]の本社ビルであり、清算法人となった海岸ベルマネジメント、トリニティ・インベストメント(海岸ベルマネジメントを吸収合併後)、クラシエホールディングスもそれぞれ本社所在地としている。
 
== 歴史 ==
=== 日本最大の企業と戦後の復興 ===
明治20年([[1887年]])に[[東京府]][[南葛飾郡]]隅田村の通称・鐘ヶ淵(現・[[東京都]][[墨田区]][[墨田]]。[[東京都道461号吾妻橋伊興町線|墨堤通り]]沿い)に東京綿商社として創立され、初代頭取には[[三越得右衛門]]が就任した。紡績会社として創業した企業であった。紡績工場は[[1889年]]に完成した<ref name="y121224">{{cite news|newspaper=読売新聞・朝刊・都民版|author=前田遼太郎|title=(東京の記憶)鐘淵紡績 遷移の町 下町人情 日本の経済成長牽引|date=2012-12-24|page=31}}</ref>。戦前、繊維産業はかつての鉄鋼・現在の自動車に匹敵する基幹産業であり、[[武藤山治 (実業家)|武藤山治]]が支配人・社長をつとめた[[明治]]から[[昭和]]初期にかけて、国内企業売上高1位を誇り隆盛を極めた<ref name="y121224" />。また、鐘淵デイゼル工業(現・[[UDトラックス]])や茨木自動車(現在の[[近鉄バス]]の一部)などの異業種も傘下におさめていた。なお「鐘ヶ淵」の通称は、[[東武伊勢崎線]]・[[鐘ヶ淵駅]]の駅名としてその名を残している。
 
しかし、[[第二次世界大戦]]下の[[1945年]]の空襲等で、兵庫工場など国内外の工場を失い、カネボウ(以下「カネボウ」と記す)はゼロから再出発することになった。また旧経営陣が公職追放されたことを受け、[[1947年]]に武藤山治の息子・[[武藤絲治]]が社長に就任し、[[1949年]]、非繊維事業を[[鐘淵化学工業]](現・[[カネカ]])として分離独立させた。その後[[1961年]]には、化粧品事業を鐘淵化学工業から買い戻し(現・[[カネボウ化粧品]])、[[1964年]]には、ガムメーカーの[[ハリス (菓子メーカー)|ハリス]](現・[[クラシエフーズ]])を買収して食品事業に進出、[[1966年]]には、山城製薬を買収して薬品事業(現・[[クラシエ薬品]])に参入するなど、非繊維事業に進出していった(グレーター・カネボウ計画)。この間、創業地の紡績工場は[[1963年]]に化粧品工場に転換し、[[1969年]]には閉鎖された<ref name="y121224" />。また経営面では、[[1958年]]の経営危機を機に、労使運命共同体路線が確立した。[[1968年]]、武藤絲治は会長に退き、45歳の[[伊藤淳二]]が社長に就任する。
 
=== ペンタゴン経営の絶頂と終焉 ===
社長に就任した伊藤は、武藤絲治のグレーター・カネボウ計画を引き継ぎ、労使運命共同体論=[[労使協調]]、ペンタゴン経営=多角化路線(繊維・化粧品・食品・薬品・住宅の5事業からなる<ref>[http://www.logi-biz.com/pdf-read.php?id=398 名門カネボウの落日]</ref>)を推進した。特にペンタゴン経営で生まれた化粧品事業は、[[1970年代]]の[[高度経済成長]]期から[[1980年代]]の[[安定成長]]期にかけて、猛烈な営業攻勢と人気タレントを起用した宣伝広告で売り上げを伸ばし、業界首位の[[資生堂]]を追い上げていった。
 
しかし、この経営路線は後々のカネボウにとって不幸となった。労使協調路線は経営不振時に整理解雇の足かせとなり、代わりに自然退職と採用抑制によって人員整理が行われたが、抜本的なリストラには踏み切れなかった。一方のペンタゴン経営は化粧品以外はいずれも業界では中途半端な規模に留まる不採算事業となり、取り分け創業以来の業種である繊維事業は毎期損失を計上していた。しかし他事業が赤字でも、化粧品事業がそれを補って余りある高収益を上げていたため、社内から経営上の危機感と経営刷新を行う意欲を喪失させた。
 
ちなみに伊藤はカネボウでの実績が評価され、[[1985年]]には[[日本航空123便墜落事故|日航ジャンボ機墜落事故]]で経営再建が急務だった[[日本航空]]の会長に抜擢される。しかし、[[日本航空の労働組合|労使対立]]が激しい日航では得意の労使協調路線は受け入れられず、結果を出せぬまま1年余りで政府により更迭された(この状況は[[山崎豊子]]の小説『[[沈まぬ太陽]]』に詳説されているが、本作は、伊藤について脚色が多いといわれる)。
 
昭和48年([[1973年]])に発生した[[オイルショック]]は、カネボウのみならず繊維業界全体に影響を与えた。カネボウはこの事態に対処するため人員の削減、工場の閉鎖・機能移転や不採算事業の撤退、子会社を吸収合併するなどの経営改革に取り組んだ。その結果[[1983年]]には8年ぶりの復配となった。[[1984年]]、伊藤は後継社長に[[岡本進]]を指名し会長に退いた。
 
新社長に就任した岡本の元、従来のペンタゴン経営に変わる21世紀への経営ビジョンとして情報システム、エレクトロニクス、機能性高分子、バイオテクノロジーを中心としたプレセンチュリー計画を打ち出し、[[1988年]]には創業110周年にあたる[[1997年]]までにグループ売上高1兆円、経常利益500億円を目標とした110計画がスタートした。折からの[[バブル景気]]によって売上が増加したが、新規事業に参入した結果、設備投資のための借入金が増加した。バブル崩壊期の[[1992年]]、伊藤は名誉会長に退き経営の第一線から退いた。
 
=== 相次ぐ分社化と子会社の合併 ===
バブル崩壊後、カネボウは事業の一部分社化や子会社同士の合併を進める。[[1993年]]には食品本部が分社し、同時にベルフーズと合併しカネボウフーズを設立。[[1994年]]にはストッキング事業、[[1995年]]には椎茸事業、[[1996年]]と[[1997年]]には綿・羊毛・合繊事業、化粧品事業の一部をそれぞれ分社化。[[1998年]]にはカネボウシルクエレガンスを本体に吸収合併した。[[1999年]]には医療用新薬事業・化成品事業、[[2000年]]には情報システム事業をそれぞれ営業譲渡した。
 
1998年に社長に就任した[[帆足隆]]は、カネボウでは全くの傍流だった。1961年に[[松山大学|松山商科大学]]卒業後、カネボウの大阪の子会社・カネボウ化粧品販売に入社。猛烈な営業で頭角を現し、30代で支配人に抜擢されていた。
 
その活躍ぶりが伊藤の目に留まり、本社に登用。その後もノルマ強化で化粧品事業を増収増益させ、成果を引っ提げての社長就任だった。歴代社長は「[[慶應義塾大学|慶大]]卒・本社管理部門出身者」(前述の武藤親子、伊藤はこの条件に当てはまる)が占める中で、傍流の「地方大学卒・子会社出身者」である帆足の抜擢は、まさに異例中の異例だった。
 
=== 繰り返される粉飾、産業再生機構傘下へ ===
売上目標必達を厳命したものの、繊維をはじめとする他の事業の赤字を化粧品事業の黒字が補完する収益構造が続き、過酷なノルマ達成ももはや不可能となっていた。帆足は「モーニングコーヒーから夜の盛り場まで一緒だった」と評される[[宮原卓]]副社長と話し合い、[[2001年]]度の債務超過を隠すため、[[粉飾決算]]を繰り返すことになる。
 
[[バブル崩壊]]以降、粉飾決算が繰り返されたのは、それを黙認する企業風土に加え、2000年3月期から導入された[[連結決算]]を重視する、新[[会計基準]](実質支配力基準)も大きく影響していた。連結決算により、最終利益が赤字で[[債務超過]]に陥っていることが判明すると銀行融資が不可能になり、また[[上場廃止]]も確実だったためである。
 
{| class="wikitable floatright" style="margin:1em; font-size:95%; text-align:right"
|+平成14年3月期決算 <ref name=H14IR>{{Cite report|title=カネボウ 有価証券報告書 H14年3月期 |publisher=カネボウ株式会社 |url=http://web.archive.org/web/20030419220242fw_/http://www.kanebo.co.jp/contents/05tansin/h14_ren.pdf |date=2002}}</ref>
! セグメント !! 営業利益 (百万円)
|-
| 化粧品 || 25,646
|-
| ホームプロダクツ || 6,995
|-
| 繊維 || △8,620
|-
| 食品 || 2,272
|-
| 薬品 || △1,106
|-
|その他 || △995
|- style="font-weight:bold; background:#ccc"
| 連結 || 23,816
|}
[[2002年]]度決算では、業績不振の子会社15社を含めた連結決算書作成を義務づけられ、約260億円の赤字を7000万円の黒字に、約1900億円の債務超過を9億2600万円の資産超過に粉飾した[[有価証券報告書]]を提出し<ref name=H14IR />、翌年度も同様の手口で粉飾を繰り返した。しかし、こうした架空売り上げはいたずらに損失を累積させ、抜本的な改革は先送りされた。結局、[[2003年]]度決算で3553億円にも及ぶ債務超過につながることになる。
 
2004年、最後の自主再建策として化粧品部門の[[花王]]への売却が発表されるが、[[労働組合]]の反対で頓挫した。以後、経営は迷走を続け、同年、[[産業再生機構]]の支援を受けることになった。産業再生機構は、当初カネボウおよびカネボウ化粧品の一体再生を目的として減資を強行するが、後に一体再生を撤回し、分離再生の方針に変更する。
 
[[2005年]]5月、[[東京証券取引所]]および[[大阪証券取引所]]がカネボウ株の上場廃止を決定。上場最終日は[[6月10日]]、廃止日は[[6月13日]]となった。また[[7月29日]]には、帆足元社長、宮原元副社長ら旧経営陣が[[証券取引法]]違反で逮捕されている。同年9月13日には同社の会計監査にあたっていながら、粉飾決算を指南していた[[中央青山監査法人]]の[[公認会計士]]4名も証券取引法違反で逮捕された(これにより中央青山監査法人は2006年に[[金融庁]]から業務停止命令を受け、後に解散に追い込まれた)。
 
[[2006年]]2月、カネボウ化粧品の花王への売却に伴い「カネボウ」の[[商標権]]がカネボウ化粧品に譲渡された。これにより、残ったカネボウ本体を買収した投資ファンド傘下での事業は、新たなブランド名(クラシエ)に切り替えられた。
 
2006年[[5月1日]]には、カネボウは営業権をカネボウ・トリニティ・ホールディングスに譲渡し、同社を統括会社とする、新カネボウグループ(現クラシエグループ)として再スタートを切った。なお、旧カネボウとカネボウ・トリニティ・ホールディングスには資本関係はなく、完全に独立した別会社である。
 
{{Main2|カネボウからの営業譲渡に関する争いについては、下記の[[#再生ファンドと少数株主の対立|再生ファンドと少数株主の対立]]を}}
 
=== カネボウ解散、会社消滅 ===
このように[[経営破綻]]寸前となったカネボウは、2007年[[4月27日]]に取締役会にて、カネボウ株式会社の解散を定時株主総会にて上程することを決議。2007年[[6月28日]]、第90回定時株主総会開催。多数の質問が出たが、解散を含む議案が採決される。
 
2007年[[6月30日]]にカネボウとしての最終営業日を迎え、この日をもってカネボウは解散し、120年にわたる歴史に事実上の終止符が打たれた。経営破綻は寸前で免れたものの、実質的にはほとんど経営は破綻していた状況であった。
 
カネボウ株式会社は'''海岸ベルマネジメント株式会社'''に商号変更し、清算業務だけを行う会社として、残余資産を株主に配分する等の処分をすすめ、清算に向かっていたが、清算結了による消滅ではなく、筆頭株主のトリニティ・インベストメントに[[2008年]][[11月11日]]付で合併され、名実共にカネボウの法人格は消滅した。この合併に際して、(存続会社の株式割当ではなく)合併交付金の交付が行われたが、その金銭交付額が2006年のTOBよりもさらに少額となる1株あたり130円であったことに対して、海岸ベルマネジメントの株を83%を保有するトリニティ・インベストメント以外の株主からさらなる反発を受けた。
 
2007年[[7月1日]]には、カネボウの事業を承継していたカネボウ・トリニティ・ホールディングス、カネボウホームプロダクツ、カネボウフーズ、カネボウ製薬、カネボウ薬品の各社が、[[クラシエホールディングス]]、[[クラシエホームプロダクツ]]、[[クラシエフーズ]]、クラシエ製薬、[[クラシエ薬品]]へ、それぞれ商号変更している。
 
== 沿革 ==
{{Main2|カネボウの沿革については[[クラシエホールディングス]]の項目を}}
 
== 旧カネボウとクラシエの関係 ==
* カネボウブランドは、カネボウから分離し[[花王]]グループ入りした[[カネボウ化粧品]]が保有しているため、クラシエはブランドを引き継いでいない。
* 法人格も、持株会社のクラシエホールディングスと、子会社のうちクラシエホームプロダクツとクラシエ製薬については、旧カネボウの各事業を[[事業譲渡]]により、ファンドの用意した受け皿会社に引き継いだものであり、法人格を引き継いでいない(しかし他の子会社は、カネボウ時代からの子会社が株式譲渡されたものである)。
 
以上の点から、クラシエグループ各社は、旧カネボウとは独立の会社と見ることもできる。
 
しかし、クラシエホールディングスをはじめとする各社は、カネボウの事業を継続する目的で用意された法人であり、事業譲受当初、クラシエグループ各社はカネボウを名乗っていたこと、同一の本社・経営者で事業を継続していること、そして現在でも、クラシエの公式サイトでは、カネボウ創業(1887年)以来を会社の歴史としていることから、クラシエグループ各社は、実質的にカネボウを継承した会社といえる(ただし、クラシエグループ各社と、カネボウならびにカネボウ化粧品とは、歴史的にも資本関係は一切ない)。
 
== 再生ファンドと少数株主の対立 ==
2005年5月12日、[[東京証券取引所]]は一連の粉飾決算が上場廃止基準に該当するとし、カネボウの[[上場廃止]]を決定する。産業再生機構および[[経済産業省]]を中心に東証に上場継続を求める声もあったが、市場の信頼性を維持するため上場廃止を決定した。[[大阪証券取引所]]は、遅れて[[5月24日]]に上場廃止を決定した。上場廃止日は2005年6月13日、上場最終日は6月10日である。
 
上場廃止直前、産業再生機構の片山執行役員は、受け皿企業に対して[[株式公開買い付け|TOB]]の実施を条件にすると発言し、大幅下落していたカネボウ株は復調の兆しを見せる。上場最終日における最終取引価格は360円だった。再生機構は、増減資などの資本整理・事業整理の後、入札を実施し、花王および国内3ファンド([[アドバンテッジパートナーズ]][[有限責任事業組合]]、株式会社[[MKSパートナーズ]]、[[ユニゾン・キャピタル]]株式会社)連合を支援企業に決定。カネボウおよび[[カネボウ化粧品]]株を同ファンドに売却するが、売却価格を「守秘義務に当たる」として公表しなかった(後の同機構による[[ダイエー]]再生では、[[丸紅]]への売却価格は公表されている)。
 
2006年[[2月16日]]、臨時[[株主総会]]にて、中嶋会長を除く経営陣のファンド側出身者への交代を決定。その際、一般株主からTOBについて質問されるが、直前まで[[トリニティ・インベストメント]]の[[代表取締役]]だったファンド出身の小森新社長は、「トリニティ社のTOB価格は知らない」と回答する。
 
2006年[[2月21日]]、カネボウ化粧品の所有するカネボウ株が3ファンド出資の受け皿会社トリニティ・インベスティメント株式会社に譲渡され、同社がカネボウの筆頭株主となる。同日、同社が他株主に対してTOBを実施する。TOB価格は上場廃止時の360円から大きくかけ離れたもので、また多くの一般株主にとって想定外の162円だった。被TOB側のカネボウは、その5日前の株主総会で「知らない」といったにもかかわらず、即日「妥当な株価である」と評価する。また、このTOBで一般株主に郵送された文書では「この公開買付に応募しない場合、産業再生特別措置法に基づく金銭交換([[スクイーズアウト]])によっての買取となり、162円である保証はない」等と脅迫に近い文言が並び、何も情報を持たない多くの株主はTOBに応じざるを得ないと解釈した人も多かった。
 
TOB価格についてファンド側は「DCF法、[[市場株価基準法]]等を勘案した結果」162円であると結論を出したとTOB公告に記した。しかし、買付期間終了2006年[[3月28日]]の7日前である[[3月21日]]に、ファンドは市場株価基準法を実際には用いなかったという内容などを含む公告訂正を行った。市場株価から考えると市場株価基準法を用いていないことは明白だったため、ファンドに対して虚偽記載に当たるとの指摘があったためではないかといわれている。しかし、訂正公告が買付期間終了直前だったことや、一般株主への郵送での公告訂正通知を行わなかったことから、「意図的に隠したのではないか」という批判が多く出た。
 
TOB価格決定については、トリニティ社は第三者機関である国内証券会社の[[みずほ証券]]に現資産および将来業績予測などの算定を依頼した。このみずほ証券はカネボウ株を所有していることが判明し、「第三者」とはいえないのではないかとの指摘がなされた。またTOB発表の数日前には、「(TOB価格は)知らない」といったカネボウ側は、このTOB価格について「独自に第三者へ依頼した算定結果を考慮すると妥当」と[[取締役会]]にて即時に賛同を示しているなど、疑惑をもたれかねない不審な動きを見せる。
 
2006年[[3月18日]]、ファンド側が示したTOBに個人株主の有志が応じず、株主としてカネボウの再上場を求めていく方針を討議。「カネボウ個人株主の権利を守る会」を発足させる。
 
その後、TOBは成立する。しかしファンド側の予想を大幅に下回り、ファンド側は議決権の85%程度しか占めることができなかった。
 
2006年4月に、主要3事業のファンド側企業への営業譲渡が発表される。反対する株主には株の買取請求が可能であることが通知された。ただし、買取請求受付期間が2週間ほどと短かったこと、公告掲載場所が限定的だったこと(カネボウのWEBサイトだけ。法的には問題なし)から、多くの株主が買い取り請求が可能であることを知らずに買取請求期間が終了してしまった。
 
2006年[[4月21日]]、「個人株主の権利を守る会」有志が、[[東京地方裁判所|東京地裁]]に[[営業譲渡]]の差し止めの[[仮処分]]の申し立てを申請。[[4月28日]]、同申請は[[却下]]される。[[5月1日]]、[[東京高等裁判所|東京高裁]]に[[即時抗告]]。[[7月28日]]、仮処分の申し立てを却下される。
 
2006年[[12月4日]]、「カネボウ個人株主の権利を守る会」を中心とする個人株主は、2006年5月の営業譲渡にかかわる免責債務の承認及び自社株式の[[担保]]化について、「カネボウの全株主の利益を確保するという取締役の忠実義務に違反し、カネボウに損害を与えた」として、中嶋会長、小森社長ら経営陣を[[会社法]]の[[特別背任]]罪で[[東京地方検察庁|東京地検]]に[[刑事告発]]した。東京地検特捜部は2006年[[12月11日]]、この刑事告発を受理した。
 
2006年[[12月13日]]、「カネボウ個人株主の権利を守る会」を中心とする個人株主は、中嶋会長、小森社長以下カネボウ取締役5名に対して、[[営業譲渡]]債権の未回収分425億円あまりを連帯してカネボウに返済することを求める[[株主代表訴訟]]を東京地裁に起こした。
 
2006年[[12月27日]]、カネボウが発表した2007年度3月期中間決算において、先の主要3事業営業譲渡に伴う営業譲渡代金債権について、[[貸倒引当金]]を計上していることが明らかになった。これは、[[監査法人]]である[[監査法人トーマツ]]の指摘によるものとされており、カネボウ自身はさしたる根拠もなく、文書中で「本営業譲渡代金は問題なく回収できると考えている」と述べている。しかし、通常[[貸倒引当金]]の計上は対象債権が回収不能(貸倒れ)になるリスクの軽減を目的に、その損失を見越して行われる会計処理であり、監査法人は、本債権が回収不能になることをカネボウ側が視野に入れている可能性の指摘をしたと推測される。このことにより、カネボウと3ファンド間での営業譲渡について、既に告発されている営業譲渡債権に絡むカネボウ取締役らの不法性が指摘される根拠となる可能性があり、今後の司法の動向が注目される。
 
2007年[[9月28日]]、旧カネボウの主要三事業の[[営業譲渡]]に反対する株主の株式買取価格請求事件において、鑑定人より鑑定結果が提出される。価格は、トリニティ・3ファンド側がTOBや買取請求で提示した価格である162円を大幅に上回る323円とされた(後に、明らかなミスの訂正により360円に改められた)。同鑑定では、価格決定に原告側が主張する[[DCF法]]を採用したとされている。一方トリニティ・3ファンド側も、TOB価格を決定するにおいて[[DCF法]]を採用したとしているが、両者の価格には大きな隔たりがあり、TOB価格の決定において、DCF法のパラメータを株価が低くなるように意図的な操作を加えた可能性があり、TOBの適法性に疑念が深まることになった。
 
[[2008年]][[3月14日]]、先の東京地裁での「株式買取価格決定申請事件」ついて、裁判長は「1株360円」の鑑定結果を追認する決定をした、しかし旧カネボウ側・株主ともにこの決定を不服として東京高裁に即時抗告を行ったが、2010年5月26日に東京高裁は双方の抗告を却下。株主側による最高裁への特別抗告も却下されて、買取価格は360円と確定した<ref>株式買取価格決定申立事件における株主側500名以上の申立代理人は[[三井法律事務所]]の[[大塚和成]]、[[西岡祐介]]ら(現・[[二重橋法律事務所]])。</ref>。
 
== カネボウの歴代トップ ==
* [[武藤山治 (実業家)|武藤山治]]([[1894年]] - [[1930年]])
* [[津田信吾]](1930年 - [[1945年]])
* [[倉知四郎]](1945年 - [[1947年]])
* [[武藤絲治]](1947年 - [[1968年]])
* [[伊藤淳二]](1968年 - [[1984年]])
* [[岡本進]](1984年 - [[1989年]])
* [[石澤一朝]](1989年 - [[1992年]])
* [[永田正夫]](1992年 - [[1994年]])
* [[石原聰一]](1994年 - [[1998年]])
* [[帆足隆]](1998年 - [[2004年]])
* [[中嶋章義]](2004年 - カネボウ解散まで)※その後はカネボウ・トリニティ・ホールディングス(現クラシエホールディングス)のトップに。
慶応閥の代表的企業として長年知られ、15年以上長期君臨した武藤山治、津田信吾、武藤絲治、伊藤淳二(これ以外はすべて6年以下)の4人は全員慶応卒である。
 
== カネボウの関連会社・団体 ==
* [[カネボウ化粧品]](旧商号:カネボウブティック) - [[産業再生機構]]傘下だったが、[[2006年]][[1月31日]]からは花王傘下の化粧品会社。2月には同社の完全[[子会社]]に。
* [[レインボーハット]](カネボウレインボーハット) - アイスクリームチェーン
* [[鐘紡記念病院]]([[兵庫県]][[神戸市]][[兵庫区]])
*: [[1907年]]に鐘紡兵庫支店付属病院として開院。隣接の兵庫工場は戦災で壊滅し、病院だけが残った。[[1947年]]に一般に開放。[[2006年]]に運営がカネボウ本体から切り離され、医療法人社団鐘紡記念病院を設立。「鐘紡」の名称が使えなくなるため、[[2007年]]8月に病院名を「[[神戸百年記念病院]]」、法人名を「顕鐘会」と改名することとなった。法人名に「鐘」の一字を入れた。
* KBセーレン - [[セーレン]]の子会社。元・カネボウテキスタイル(旧鐘紡(のちのカネボウ)繊維製品部門)。
* [[KBツヅキ]] - 綿糸事業の営業譲渡を受けたKBスピニングが都築紡績と経営統合した会社。
* [[ベルポリエステルプロダクツ]] - 高分子事業の営業譲渡を受けた会社。設立当時は[[大和製罐]]の子会社だったが、近年[[三井物産]]との合弁会社に移行した。
 
== カネボウ再建のスポンサー企業 ==
* [[アドバンテッジパートナーズ]]有限責任事業組合
* 株式会社[[MKSパートナーズ]]
* [[ユニゾン・キャピタル]]株式会社
 
== カネボウが提供していた番組 ==
※原則として一社提供番組のみ掲載
* [[カネボウ木曜プレゼント]]→[[フレーフレーパパ!]]→[[ノンフィクション劇場]](第1期)→[[シャノン (テレビドラマ)|シャノン]]→[[これは実話です]]→[[あの時この時]]→[[あなたは目撃者]]→[[カネボウクイズ 三つの鐘]]→[[細雪 (1965年のテレビドラマ)|細雪]]→[[武蔵野夫人]]→[[わたしの事情]]→[[あじさいの歌]]→[[河のほとりで]]→[[二人だけの祭]]→[[とく妻さん]](ここで一社提供中断。この間[[1981年]][[10月]]から[[1995年]][[3月]]まで『[[火曜サスペンス劇場]]』を担当)→[[FAN]]→[[FUN]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* カネボウヒューマンドキュメンタリー→カネボウスペシャル→[[カネボウヒューマンスペシャル]]/Woman's Beat カネボウスペシャル21(日本テレビ)
* [[カネボウ木曜劇場]]([[TBSテレビ|TBS]]) - [[2002年]]度1年間は1社提供で放送したが、その後、複数スポンサーになってからの[[TBS木曜10時枠の連続ドラマ|木曜ドラマ]]では、[[パーティシペーション]]扱いで、一時期コマーシャルを2003年9月まで提供していた。この期間のみ、通常の30秒CMのサウンドロゴを一旦廃止した。
* [[五木寛之の夜]]([[TBSラジオ]])
* [[トワエ・モア(ラジオ番組)|トワエ・モア]]([[エフエム東京|TOKYO FM]])
* [[防府読売マラソン]]([[山口放送]])
 
== カネボウの主な歴代キャンペーンガール ==
[[1968年]]から[[2003年]]まで水着キャンペーンガールを起用。終了直前の正式名称は、カネボウスイムウエアイメージモデル。
<div style="float:left; width:50%">
* 1968年 - [[山本雅美]]
* 1969年 - [[太田ナオミ]]
* 1970年 - [[マリー・ヘルビン]]
* 1971年-1974年 - [[西野ミチ]]
* 1975年 - [[リサ・クーパー]]
* 1976年 - [[シグリド・ハーフ]]
* 1977年 - [[ステファニー・レイコ・ボージェス]]
* 1978年 - [[樹れい子]]
* 1979年 - [[マリー・クラビン]]
* 1980年 - [[萩原佐代子]]、[[ユキ・マッケインティ]]
* 1981年 - [[ジョイア・ファシー]]
* 1982年 - [[シェリー・ジョン・テキセイラ]]
* 1983年 - [[相田寿美緒]]
* 1984年 - [[栗原景子]]
* 1985年 - [[麻生祐未]]
* 1986年 - [[広田恵子]]
* 1987年 - [[茂野幸子]]
</div><div style="float:left; width:50%">
* 1988年 - [[藤田芳子]]
* 1989年 - [[鈴木京香]]
* 1990年 - [[飯島直子]]
* 1991年 - [[鴇田靖子]]
* 1992年 - [[船見啓子]]
* 1993年 - [[中村英子 (モデル)|中村英子]]
* 1994年 - [[甲賀瑞穂]]
* 1995年 - [[田賀久美子]]
* 1996年 - [[仁香|芳村仁香]]
* 1997年 - [[カレン (モデル)|カレン]]
* 1998年 - [[高以亜希子]]
* 1999年 - [[植松真実]]
* 2000年 - [[アリーネ]]
* 2001年 - [[悠美]]
* 2002年 - [[益子梨恵]]
* 2003年 - [[桜井裕美]]
</div>{{clear}}
 
== 関連項目 ==
* [[カネボウ]]
* [[クラシエホールディングス]]
* [[洲本市民広場]] - カネボウの綿紡織工場として最長の歴史をもつ鐘紡洲本工場の跡地。
**[[洲本アルチザンスクエア]]、[[洲本市立図書館|洲本市立洲本図書館]]、[[旧鐘紡洲本第3工場汽缶室]]、[[旧鐘紡洲本工場原綿倉庫]](以上は旧工場建物で、経済産業省認定[[近代化産業遺産]])
* [[旭化成]](繊維事業における同業他社)
* [[牧野直隆]](元同社員。[[日本高校野球連盟]]会長にもなった)
* [[千葉三郎]](政治家・元労相。中興の祖・[[武藤山治 (実業家)|武藤山治]]の片腕だった)
* [[鐘紡長浜高等学校]] - カネボウ長浜工場の[[企業内学校]]、1988年閉校
* [[静岡県道407号静岡草薙清水線]](かつてカネボウ静岡工場があり、現在でもカネボウ通りという愛称で親しまれている)
* [[カネボウ陸上競技部]] - [[山口県]][[防府市]]のカネボウ防府工場に併設して創設、現在はカネボウ化粧品の陸上競技部
* [[カネボウバレーボール部]](鈴鹿市に本拠地があった)
* [[阪神甲子園球場]](2005年までバックネット裏・バックスクリーンの広告を務めていた)
* [[静岡産業支援センター|ツインメッセ静岡]](カネボウ静岡工場跡地)
* [[ベルパーク]](カネボウ淀川工場跡地)
* [[ベルファ都島ショッピングセンター]](カネボウ淀川工場跡地)
* [[イオンモール鈴鹿]](カネボウ鈴鹿工場跡地)
* [[キャナルシティ博多]](カネボウ博多工場跡地)
* [[カネボウ宮崎ビル]](カネボウ大淀工場跡地)
* [[イオンタウン防府]](カネボウ防府工場跡地)
* [[鐘紡前駅]](カネボウ兵庫工場前)
* [[丸子鐘紡駅]](カネボウ丸子工場前)
* [[鐘ヶ淵駅]](カネボウ創業地そば)
* [[近鉄バス鳥飼営業所]](茨木自動車の後身。1965年に路線バス事業が近鉄に吸収された)
* [[練馬文化センター]]([[鐘淵紡績練馬工場|カネボウ練馬工場]]跡地)
* [[役員室午後三時]]([[城山三郎]]の小説。武藤絲治と伊藤淳二の確執と伊藤の社長就任が題材となっている)
* [[ハリスの旋風]](クラシエフーズの前身であるカネボウハリスがスポンサーを務めていた)
* [[証券取引等監視委員会]]
 
== 脚注・出典 ==
<references />
 
== 外部リンク ==
* [http://web.archive.org/web/20130722151301/http://www.tic-kk.com/ 公式サイトのアーカイブ]
<!--* [http://mountain-cat.sakura.ne.jp/bell/index.htm カネボウ個人株主の権利を守る会]-->
 
{{クラシエ}}
{{曖昧さ回避}}
{{デフォルトソート:かねほう}}
[[Category:東京都港区の企業|とりにてい・いんへすとめんと]]
[[Category:かつて存在した東京都の企業]]
[[Category:在華紡1887年設立の企業]]
[[Category:日本の化粧繊維製品メーカー|旧かねほう]]
[[Category:かつて存在した日本の化学工業メーカー]]
[[Category:2008年廃止の企業]]
[[Category:経営破綻した企業(東京都)]]