「玉篇」の版間の差分

m
リンク追加
m (画像差し替え (旧版で示されていたものは石山寺蔵の原本ではなくその写本だったため、原本写真を直接もととした影印本に差し替え))
m (リンク追加)
 
 
== 大広益会玉篇 ==
原本玉篇は編纂後間もなく[[蕭愷]]らが改訂したといい<ref>[[s:zh:梁書/卷35#蕭子顯|『梁書』蕭子顕伝]]「先是時太学博士顧野王奉令撰『玉篇』。太宗嫌其書詳略未当、以愷博学、於文字尤善、使更与学士刪改。」</ref>、また[[唐代]]の674年に孫強によって字数を増補されたという<ref>『大広益会玉篇』の巻頭に「唐上元元年甲戌歳四月十三日、南国処士富春孫強増加字」とある</ref>。孫強本も現存しないので、日本の残巻が孫強以前のものなのかどうかははっきりしない。
 
[[宋 (王朝)|宋代]]の[[大中祥符]]6年([[1013年]])には[[陳彭年]]らによって『大広益会玉篇』として重修されたが、語釈部分や用例は逆に大きく削られて簡略化され、字義を示す語だけが残されている。また親字の配列順も原本玉篇とは異なっている。現存する完本の『玉篇』はこの宋の『大広益会玉篇』であり、28,989字<ref>岡井慎吾(1933) p.205 による</ref>を収載している。