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| ニックネーム = '''鉄人'''<ref>{{Cite web|url= https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2179056/ |title= 小橋建太が車いすテニス・国枝選手の全米OP優勝に興奮「彼こそ鉄人だ!」 |publisher= 東スポWeb |date= 2020-09-14 |accessdate= 2020-09-22 }}</ref>
| 身長 = 186cm
| 体重 = 115kg
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1967|3|27}}
| 死亡日 =
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| デビュー = [[1988年]][[2月26日]]
| 引退 = [[2013年]][[5月11日]]
}}
|血液型=B}}
 
'''小橋 建太'''(こばし けんた、[[1967年]][[3月27日]] - )は、[[日本]]の元[[プロレスラー]]。本名及び旧リングネームは:'''小橋 健太'''(読み同じ)。
 
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[[2011年]]6月13日、三沢光晴メモリアルナイトが行われた、大阪府立体育会館第二競技場大会の前半戦終了後リングに姿を現し、翌月7月23日に[[大阪府立体育会館]]で行われる「GREAT VOYAGE 2011 in OSAKA」大会での復帰を発表した。
 
[[2012年]]2月19日、[[仙台サンプラザホール]]での[[東日本大震災]]復興支援チャリティープロレス「[[ALL TOGETHER (プロレス興行)|ALL TOGETHER]] 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」の試合中、左脛骨骨折と右膝内側側副靭帯損傷ならびに右脛骨挫傷を発症し、欠場に入る<ref>[http://www.noah.co.jp/news_detail.php?news_id=3776  小橋建太選手欠場のお知らせ]  PRO-WRESTLING NOAH 2012年3月7日閲覧 </ref>。
 
同年12月9日、現役からの引退を表明した<ref name="kobashi">[http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/12/09/kiji/K20121209004741790.html 小橋 引退発表 戦力外は否定「もう1度だけ完全燃焼して区切りつける」] スポーツニッポン 2012年12月9日閲覧</ref>。2013年5月11日、日本武道館で開かれた引退興行「FINAL BURNING」にて、引退試合を行った。
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一般向けにアレンジしたトレーニングメソッドを[https://kyoeisc.com/tokaichiba/freepages/kobashikenta01.html 「小橋建太監修プロレスエクササイズチャレンジ」(略:K-PEC)]と題し横浜市緑区、[https://kyoeisc.com/tokaichiba/ 協栄スポーツクラブ十日市場]のスタジオにて開講。プロレス流トレーニングにて人々の健康作りを行っている。
 
2015年5月11日、プロボクサー兼モデルの[[高野人母美]]とともに[[尚美学園大学]]総合政策学部ライフマネジメント学科の講師に就任し、6月より2016年3月まで月1回の割合で教壇に立つことが発表された<ref>{{Cite press release |title=5月11日(月) 小橋建太・高野人母美講師就任発表会見報告 |url=http://www.shobi-u.ac.jp/news/topics/2015/0511_1411/ |publisher=尚美学園大学 |date=2015-05-11 }}</ref><ref>{{Cite news |title=【BOX】モデルボクサー高野、小橋さんと大学講師就任 |url=http://www.hochi.co.jp/sports/boxing/20150511-OHT1T50170.html |newspaper=スポーツ報知 |date=2015-05-12 }}</ref><ref>{{Cite news |title= |url=http://www.nikkansports.com/battle/news/1475222.html |newspaper=日刊スポーツ |date-=2015-05-12 }}</ref>。
 
同年8月12日、第1子女児が誕生した<ref>{{Cite web|url= http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/08/17/0008311879.shtml |title= みずき舞出産 小橋建太さんとの第1子 |publisher= デイリースポーツ online |date= 2015-08-17 |accessdate= 2015-08-17 }}</ref>。
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** 9月8日 - [[WRESTLE-1]]旗揚げ戦にて[[GAORA]]の解説者Xとして登場。引退後初のプロレス解説となった。
** 12月20日 - この日収録が行われた[[FIGHTING TV サムライ]]「VERSUS」にて[[武藤敬司]]からW-1スカウト部長に指名され、前向きな回答を出した<ref>{{Cite news |title=武藤、小橋氏をスカウト部長に“指名” |url=http://www.daily.co.jp/ring/2013/12/21/0006586325.shtml |newspaper=デイリースポーツ |date=2013-12-21 }}</ref>。
* 2014年2月14日 - 自身がプロデュースする興行「Fortune Dream1」を6月8日に後楽園ホールで開催すると発表<ref>{{Cite news |title=小橋建太「プロレス界に恩返ししたい」6月8日に小橋プロデュースの興行開催 |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2014/columndtl/201402140011-spnavi |newspaper-=スポーツナビ |date=2014-02-14 }}</ref>。
 
== 入場テーマ曲 ==
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: 全日本プロレス時代に乱発し、膝を痛める。ムーンサルトの先輩である[[武藤敬司]]から「余り使いすぎるな、俺みたいにボロボロになる」というメッセージを伝え聞いた小橋は、「ありがとうございます。でも、僕の膝ももうボロボロですよ」と返した。結局、手術・長期離脱の原因を作ったことから、ノア以降使用が控えられる。しかし、2004年4月の[[高山善廣]]とのGHCヘビー級王座防衛戦において鬼の形相で握り拳を作って「行くぞ!」と叫び、コーナーを駆け上ると高山の顔面を強打するムーンサルトを繰り出して勝利した。以降、大一番において再び使用するようになり、引退試合でもこの技で有終の美を飾った。
: なお、「なぜやる前に握り拳を作るのか?」という質問に対し、「威力が倍増するから」と答えている。
; [[ギロチン・ドロップ|延髄ギロチンドロップ]]
: 若手時代からよく見せていた技である。[[1996年]]の三冠初戴冠時には、王者の田上に対し、トップロープからのダイビング式を決めて勝利を収めた。膝の怪我の影響のため、後年はほとんど使わなくなった。
 
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; [[ブレーンバスター#ライスシャワー|ライスシャワー]]
: [[ブレーンバスター]]の体勢で相手を抱え上げ、相手の首をつかんだまま自らは尻餅をつき、同時に相手の体を肩を支点に後方へ反転させ、尻餅の衝撃で相手の後頭部辺りを肩へ打ち付ける。[[ブレーンバスター]]から[[ネックブリーカー]]へ移行する複合技。肩に負担がかかるため、完全な形で成功させるのは難しいが、成功すれば相手の首に大きなダメージを与えられる技。
: [[朝日放送テレビ|朝日放送]]『[[探偵!ナイトスクープ]]』の中で依頼者(依頼者が米屋の店員だったため、それに因んだ技名を依頼者が考えた)が考案した。完成した暁には[[小橋建太]]が実際に試合で使用する予定だが、上記の通り非常に高難度の技であり小橋本人も番組内で「充分な練習が必要」と語っている。
 
; '''ダイヤモンド・ヘッド'''
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* 長らく結婚をせず、2006年の誕生日では「ベルトが恋人だから結婚の予定はない。今後するつもりもない」と生涯独身を断言したが、2006年5月にKENTAが入籍を発表してから、「最近のKENTAの調子のよさは内助の功もあるのかな」と、結婚に対しての興味を見せていた。雑誌等で必ず小橋をネタにする秋山は、小橋の奥さんになる条件として「小橋さんが4時半に起きると言うことは、カミさんは3時半に起きて飯の準備しなくちゃいけない。また、エアコンの温度は16度」と語っている。そしてついに2010年、みずき舞との結婚が発表された。
* [[田上明]]とは仲が良く、公の場では彼のことを「AT」と呼ぶ(5つ年上のため、プライベートでは「田上さん」と呼んでいる)。大舞台で田上とタッグを組むことになる度に小橋は数日間通しての泊りこみ特訓を提案するが、田上の趣味である釣りで海上に逃げられたりしている。
* 全日時代は整髪料で固めた髪形がトレードマークで、田上に「棒で叩いたら棒の方が割れるほど固い」と言われた際には、スポーツ刈りが伸びかかった田上の頭を指差し「田上さんだって[[美川憲一]]みたいな髪型してるじゃないですか」と返している。
* 無類の[[競馬]]好きであり、[[中央競馬]]に限らず[[地方競馬]]にも積極的に投資している。2004年の[[ジャパンブリーディングファームズカップ|JBC]]競走([[大井競馬場]]で開催)では同レースを制した[[アドマイヤドン]]鞍上の[[安藤勝己]]騎手へのプレゼンターを務めた後、最終レースまで観戦し、最終レース終了後に今までの的中[[馬券]]を大量に換金している。2013年8月4日に[[小倉競馬場]]で開催された[[小倉記念]]では同レースを制したメイショウナルト鞍上の[[武豊]]騎手へのプレゼンターを務めた。
* 愛読誌は「[[週刊漫画TIMES]]」([[芳文社]])。
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|colspan="3" style="background-color:orange"|小橋建太引退セレモニー
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|colspan="3" style="text-align: left;"|主な花束贈呈来場者:[[川田利明]]、[[蝶野正洋]]、[[百田光雄]]、[[野田佳彦]]元[[内閣総理大臣]]、[[伍代夏子]]、[[徳光和夫]]、[[テリー伊藤]]、[[福澤朗]]、[[井浦新]]、[[倉持明日香]]([[AKB48]])、[[馳浩]]、[[力皇猛]]、[[田上明]]<BRbr>レターメッセージ:[[ジョン・ロウリネイティス]](旧:ジョニー・エース)<br>VTRメッセージ:[[スタン・ハンセン]]
レターメッセージ:[[ジョン・ロウリネイティス]](旧:ジョニー・エース)<BR>VTRメッセージ:[[スタン・ハンセン]]
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|colspan="3" style="background-color:orange"|第2試合『'''This is the NOAH Junior'''』タッグマッチ 30分1本勝負
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* 自伝小橋建太 悔いは、ない(2013年5月14日、[[ベースボールマガジン社]]、ISBN 978-4583105680)
* 生きる。―がんと向きあう7人のストーリー (共著、2009年8月19日、[[幻冬舎]]、ISBN 978-4344017184)
* 覚悟を決めると楽になる(北井孝英著、2020年8月13日、知道出版、ISBN978ISBN 978-4-88664-330-8 C0037)[[秋山準]]、北井孝英、[[友野英俊]]との座談会に参加
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="tsp">[[東京スポーツ]]『小橋建太引退特別号』(2013年、[[東京スポーツ新聞社]])</ref>
}}