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|経歴補足 =
* 広島東洋カープ (2014 - )
|派遣歴=* [[時報イーグルス]] (1995)
}}
'''菊地原 毅'''(きくちはら つよし、[[1975年]][[3月7日]] - )は、[[神奈川県]][[相模原市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])、野球指導者。2019年から[[広島東洋カープ]]の二軍投手コーチを務める。
 
== 来歴 ==
=== プロ入り前 ===
小学校時代に地元の野球チーム「[[並木ヤンキース]]」に所属して野球を始める。[[神奈川県立相武台高等学校]]時代は関東屈指の左腕投手と言われ、夏の[[全国高等学校野球選手権神奈川大会]]では28回連続無失点、33イニングで44奪三振を記録するなど大活躍を見せた。無名校ながら甲子園出場が期待されたが、準々決勝で[[高橋由伸]]を擁する[[桐蔭学園中学校・高等学校|桐蔭学園高等学校]]にコールド負けを喫し、甲子園出場は果たせなかった。
 
[[1992年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1992年のドラフト会議]]において、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]と[[広島東洋カープ]]の競合の末、広島から2巡目で指名を受け、入団。
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{{by|2003年}}4月3日の対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦([[ウエスタン・リーグ]])で363日ぶりに登板したほか、6月26日には714日ぶりの一軍勝利を挙げた。この年は30試合に登板して防御率3点台前半と、見事に復活を遂げた。
 
{{by|2004年}}も左の中継ぎとして29試合に登板した。同年オフ、選手の若返りを図る広島と左の中継ぎが不足していたオリックスの思惑が合致し、[[山崎浩司]]・[[上村和裕]]との交換トレードで[[オリックス・バファローズ]]へ移籍<ref>[http{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10january/KFullNormal20100101184.html |title=【1月6日】2005年(平17) 鉄腕とタイ記録の菊地原毅 復活のきっかけになったトレード] |publisher= |date= |accessdate=2021-04-11 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100108185909/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10january/KFullNormal20100101184.html |archivedate=2010-01-08}}</ref>。背番号は'''43'''。
[[ファイル:菊地原毅20040218.jpg|サムネイル|2004年2月18日、[[日南市天福球場]]にて]]
 
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{{by|2009年}}は45試合登板も、防御率5.21と精彩を欠いた。8月24日に国内FA権利を取得、オフには背番号を'''46'''へ変更。
 
{{by|2010年}}も開幕一軍入りを果たしたが安定感に欠いた投球が続き、[[阿南徹]]との入れ替えで昇格と降格を繰り返した。この年は18試合の登板に留まり防御率10.00と大きく悪化。11月8日、[[小島心二郎]]との交換トレードで6年ぶりに古巣・広島東洋カープへ復帰<ref>{{WaybackCite web |url=httphttps://www.carp.co.jp/news10/s-057.html |title=トレードのお知らせ |datepublisher=2010111200314 }} - 広島東洋カープ公式サイト(2010年 |date=2010-11月8日)-08 |accessdate=2021-04-11 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101112003149/http://www.carp.co.jp/news10/s-057.html |archivedate=2010-11-12}}</ref>
 
=== 第三次広島時代 ===
{{by|2011年}}は左ふくらはぎ痛で出遅れたものの、9月3日に昇格して5試合に登板した。しかし、9月13日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]18回戦(マツダスタジアム)で左アキレス腱断裂の重傷を負った<ref>{{citeCite news |url=https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2011/09/14/0004465282.shtml |title=菊地原、左アキレス腱痛で途中降板 |newspaper=デイリースポーツ |date=2011-09-13 |url=http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2011/09/14/0004465282.shtml |accessdate=2011-10-18}}</ref>。このケガが原因で10月13日に球団から戦力外通告を受け、2012年シーズンは[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]として契約する方針が伝えられた<ref>{{citeCite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/14/kiji/K20111014001815170.html |title=戦力外の36歳・菊地原 育成で“再出発” |newspaper=スポーツニッポン |date=2011-10-13 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/14/kiji/K20111014001815170.html |accessdate=2011-10-18}}</ref>。
 
{{by|2012年}}[[5月13日]]に、同18日より支配下選手登録されると発表された<ref>[http{{Cite web |url=https://www.carp.co.jp/news12/s-022.html |title=育成 菊地原毅投手 支配下登録選手へ!] - |publisher=広島東洋カープ公式サイト |date=2012-05-13 |accessdate=2021-04-11 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121023145321/http://carp.co.jp/news12/s-022.html |archivedate=2012-10-23}}</ref>。しかし若手の台頭でわずか14試合しか登板できなかった。
 
{{by|2013年}}は4月に一軍に登録されたものの、登板した4試合のうち3試合で失点し、二軍落ちした。7月2日に一軍に再登録され、その日の対中日11回戦([[豊橋市民球場|豊橋]])で7番手として延長11回から登板し、ピンチを迎えたものの1イニングを無失点に抑えた。直後に[[安部友裕]]が勝ち越し打を放ち、オリックス時代の2007年7月26日の対日本ハム戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマーク]])以来の勝利投手となった<ref>{{citeCite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/02/kiji/K20130702006139090.html |title=安部 執念の一振りが決勝打、菊地原は2168日ぶりの白星 |newspaper=スポニチアネックス |date=2013-07-02 |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130702-00000117-spnannex-base |accessdate=2013-707-202}}</ref>。しかし、同年も前年同様登板機会を得られず、9月28日に現役引退を表明し<ref>{{citeCite news |url=https://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201309290034.html |title=今季限りで菊地原引退 |newspaper=中国新聞 |date=2013-09-29 |url=http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201309290034.html |accessdate=2013-10-02}}</ref>、10月2日の対阪神戦(マツダ)で同じく現役引退を表明していた[[前田智徳]]と共に出場、8回に登板し[[新井貴浩]]を見逃し三振に抑え<ref>{{citeCite news |url=https://www.daily.co.jp/baseball/affairs/2013/10/03/0006389815.shtml |title=菊地原が有終K斬り 21年目涙の引退登板 |newspaper=デイリースポーツ |date=2013-10-03 |url=http://www.daily.co.jp/baseball/affairs/2013/10/03/0006389815.shtml |accessdate=2015-101-21}}</ref>、試合後に胴上げされた<ref>[http{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/02/kiji/K20131002006735360.html |title=広島 引退組が出場 前田智「144キロとか球が見えない」菊地原は胴上げ] |publisher=スポーツニッポン |date=2013-10月2日配信-02 |accessdate=2021-04-11}}</ref>。菊地原の引退によって、[[時報イーグルス]]に在籍経験のある選手は台湾内外を含めすべて現役を退いた<ref>http[https://sports.ettoday.net/news/275744 日職/時報鷹最後遺員 菊地原毅宣布引退] ETtoday 2013年09月28日</ref><ref group="注釈">時報イーグルスは1997年の「黒鷹事件」と呼ばれる八百長事件で台湾人選手はほとんどが永久追放となり、翌年に球団を解散している。</ref>
 
=== 引退後 ===
2013年11月4日、三軍投手コーチとして広島に残留することが発表された<ref>[http{{Cite web |url=https://www.carp.co.jp/news13/s-073.html |title=2014年度 コーチングスタッフ発表] |publisher=広島東洋カープ公式サイト |date=2013-11月4日-04 |accessdate=2021-04-11 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131115035225/https://www.carp.co.jp/news13/s-073.html |archivedate=2013-11-15}}。</ref>。
 
2018年11月8日には、2019年度より三軍から二軍投手コーチへ異動することが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/11/08/kiji/20181108s00001173150000c.html?amp=1 |website=www.sponichi.co.jp |accessdate=2019-03-14 |title=広島 来季スタッフ発表 佐々岡投手コーチが1軍に配置転換}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
{{NPB|21323887}}
* [http://www.cpbl.com.tw/Personal_Rec/pbat_personal.aspx?Pno=C049&Role=2&Gno=01 中華職業棒球大聯盟(菊地原毅)]
 
{{広島東洋カープ}}