「小松未歩」の版間の差分

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両親が音楽好きで、兄の影響もあり、3歳の頃より[[エレクトーン]]を始める。また、兄と2人で[[合唱|合唱団]]にも入っていた<ref>artist express 小松未歩「音楽は兄からの影響が大きかった、兄が[[カセットテープ|テープ]]に入れてくれた曲をいつも聴いていました。」『[[JUNON]] (2000年4月号)』、[[主婦と生活社]]。</ref>。中学時代から、[[邦楽]][[洋楽]]問わずに興味を持ち、オリジナルで[[作詞]][[作曲]]を始める。この頃、初めて組んだ[[バンド (音楽)|バンド]]に[[キーボード (楽器)|キーボード]]で参加する。高校時代より、バンドの[[ボーカル]]として[[京阪神]]の[[ライブハウス]]に出演するようになり、楽曲制作と並行して[[演奏会|ライブ]]を続けていくようになる{{efn|name="before_the_debuts"|[http://www.miho-komatsu.com/menu/biography.html 公式プロフィール]では、小松はデビュー前に「中学時代から、オリジナルで作詞作曲を始める」「バンドにキーボードで参加」としているが、GIZA制作チーフディレクターの[[寺尾広]]によるコラム(「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、[[エムアールエム]])によると、小松は[[長戸大幸]]に作曲を勧められるまで、作曲デモを作成した事が無く、歌いながらキーボードを指1本、または、指2〜3本で弾いていたとしている。}}。
 
大手航空会社に勤務していたが、[[ビーイング]]グループの[[B-Gram RECORDS|ビーグラム]]大阪{{efn|name="diamond-building"}}で行われた[[転職|中途採用]]の面接<ref>2021年4月10日放送「OLDIES GOODIES」([[エフエム滋賀|FM滋賀]])にて、[[長戸大幸]]が「この子は私の秘書の面接試験を受けに来て、秘書がもう一人決まってダメだったんです。」と語っている。</ref>にて、[[長戸大幸]]に作曲を勧められる<ref name="Karaoke" /><ref name="debut_musicfreakEs">“大手航空会社勤務だった小松未歩さんは、音楽制作会社ビーイング系列のビーグラム大阪で行われた、中途採用の社員面接に訪れました。この時、プロデューサーの長戸大幸さんと出会います。”([[寺尾広]]「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、[[エムアールエム]]。)</ref><ref>{{Twitter status2|saidasai|157785031132196864|2012年1月13日20時24分}} 「ビーイングのアーティストじゃなけりゃ小松未歩さんは発掘すらされてなかったと断言しておきます。」</ref>{{efn|name="debut_OfficialProfile"|小松のデビューの経緯について、[http://www.miho-komatsu.com/menu/biography.html 公式プロフィール]では「創作活動、ライブを続けていた時、知人を通じオリジナル曲のデモテープがプロデューサーの手に渡る」としている。}}。
 
; 1996年