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清水谷 (会話 | 投稿記録)
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{{参照方法|date=2015年7月}}
{{競走馬
|画 =
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[[1976年]]11月に[[中央競馬]]で[[競走馬]]としてデビュー。[[重賞]]に出走することはなかったが[[日本の競馬の競走体系#平地競走|条件戦]]で堅実に走り、6勝を挙げた。管理した[[北橋修二]]によると性格は神経質で食が細い面もあったが勝負根性があり[[馬場状態|道悪]]が上手かった。
 
[[1979年]]4月のレースを最後に競走馬を引退し、[[北海道]][[新冠町]]の錦野牧場で[[繁殖牝馬]]となった。しかしまもなく錦野牧場は経営難に陥り、1987年に倒産した。それに伴いグリーンシャトーも人手に渡り複数の牧場を転々とすることとなったが、そ。1986年最中秋より[[マエコウファーム]]で繋養されていたが1987年7月腸捻転を起こして死亡した<ref name="Yushun198808">『[[優駿]]』1988年8月号 通巻536号 p.142</ref>。神経質な馬のため、この年は種付けをせず大事を取っている中での急死であった。
 
== 繁殖成績 ==
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*1986年生 チョウカイパレス(牡)(父:[[クリスタルパレス (競走馬)|クリスタルパレス]])
*1987年生 (牡)(父:[[アーテイアス]])
 
== エピソード ==
*錦野牧場倒産後、牧場にいた繁殖牝馬はちりぢりばらばらになった。グリーンシャトーは消息が確認されたものの、他の牝馬はどこに行ったのかも不明である<ref>『優駿』1988年6月号 通巻534号 p.140</ref>。
*錦野昌章は、たび重なる不渡りによりグリーンシャトーを手放すこととなったのは断腸の思いであり、自分がグリーンシャトー殺したようなものだと語っている。また、神経質で気性が激しく、錦野以外の人間には頑として従わなかった馬であるため、見ず知らずのところへ移されて神経的に参ったのだろうと推測している<ref>『優駿』1989年1月号 通巻541号 p.130</ref>。
*グリーンシャトーの素晴らしい体つきには、マエコウファームの松本和夫が何故これほどの馬が売りに出されたのかを不思議に思うほどであった。また、「あれほどの牝馬は大手の牧場にだってそうざらにはいません。例えタマモクロスが走っていなくても、そのうちいい仔を出したはず」<ref name="Yushun198808"/>と、タマモクロスが宝塚記念を勝利した後のインタビューで答えている。この言の通り、この年の秋にはミヤマポピーがエリザベス女王杯を勝利した。
 
== 血統表 ==