「オランダ東インド会社」の版間の差分

概要
(概要)
タグ: 差し戻し済み
[[ファイル:VOC-Amsterdam.svg|thumb|120px|right|VOCアムステルダム本社の[[ロゴタイプ|ロゴ]]]]
[[ファイル:Flag of the Dutch East India Company.svg|thumb|220px|right|{{FIAV|historical}}オランダ東インド会社の旗]]
'''オランダ東インド会社'''(オランダひがしインドがいしゃ、正式には'''連合東インド会社'''、{{lang-nl|'''Verenigde Oost-Indische Compagnie'''}}、略称'''VOC''')は、[[1602年]][[3月20日]]に[[ネーデルラント連邦共和国]](通称:[[オランダ]]で設立され世界初の[[株式会社多国籍企業]]といわれる。会社といっても商業活動のみなくあり[[条約]]世界初締結権・軍隊の交戦権・[[植民地]]経営権など[[喜望峰]]以東における諸種の特権を与えられた[[勅許株式会社]]であり、帝国主義の先駆け。[[アジア]]での交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万[[ギネーデダー]]、[[重役]]会は{{仮リク|17人会|nl|Heren XVII}}と呼ばれた。これには同ト連邦共和の銀行の[[ホープ商会]]も参加した。本社は[[アムフランテルダム革命]]設置占領され、支店の位置づけて1795年1月に崩壊するなる[[オランダ商館]]は[[ジャワ島|ジャワ]]や[[平戸市|平戸]]などに置かれた。[[18世紀]]末の[[1799年]][[12月31日]]に、フランダ政府スの[[衛星国]]であった[[バタヴィア共和国]]により解散させられた。
== 概要 ==
会社といっても商業活動のみでなく、[[条約]]の締結権・軍隊の交戦権・[[植民地]]経営権など[[喜望峰]]以東における諸種の特権を与えられた[[勅許会社]]であり、帝国主義の先駆け。[[アジア]]での交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万[[ギルダー]]、[[重役]]会は{{仮リンク|17人会|nl|Heren XVII}}と呼ばれた。これには同国の銀行の[[ホープ商会]]も参加した。本社は[[アムステルダム]]に設置され、支店の位置づけとなる[[オランダ商館]]は、[[ジャワ島|ジャワ]]や[[平戸市|平戸]]などに置かれた。
 
1602年の創業から1796年までの間、貿易と植民地化を推し進めるために、インドネシア、 日本、インド、その他アジアの国々に、約百万人のヨーロッパ人を約5000隻の船で送り込み、同社の事業には数千人のアフリカ人とアジア人の奴隷化も含まれていた<ref>[[水原紫織]]『もう一人の「明治天皇」箕作奎吾』2020年、ヒカルランド、p.64</ref><ref>[https://archive.jewishcurrents.org/august-14-isaac-de-pinto-and-the-dutch-east-india-company/ ''Jewish Currents AUGUST 14''2016, Lawrence Bush 'ISAAC DE PINTO AND THE DUTCH EAST INDIA COMPANY']</ref>。
== 歴史 ==
===設立までの背景===
261

回編集