「小松未歩」の版間の差分

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デビューから2009年に至るまで神戸市に在住しながら活動を続けた。1995年には[[阪神・淡路大震災]]を経験<ref>“あの阪神淡路の大きな地震が来るまでは話し半分でしたね。一瞬にして町も価値観も変えてしまうくらいの揺れはもう一生忘れられない衝撃です。”「温故知新」『ヘンな物さし。』2003年11月26日、ジェイロックマガジン社。</ref><ref>“あの震災から10年。神戸を愛する私の中に刻まれた記憶は、一生消えることはありません。”『Miho's Diary』2005年1月17日、公式サイトの[[Web日記]]。</ref>。
 
趣味は[[カラオケ]]<ref name="Karaoke1">[[長戸大幸]]は、社員募集で面接に来た小松が、趣味のカラオケでヒット曲を沢山知っていたため、ヒット曲のツボも心得ている可能性があると考え、作曲を勧めた。([[寺尾広]]「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、[[エムアールエム]]。)</ref><ref name="OldiesGoodies1">2021年4月10日放送[[OLDIES GOODIES]]([[エフエム滋賀|FM滋賀]])にて、[[長戸大幸]]が(長戸の秘書の面接試験を受けに来た小松に対し)「歌でも歌っているの?」と尋ねたところ、小松が「私、カラオケが大好きなんです。カラオケの曲は大体歌えるんです。」と答えたエピソードが紹介された。</ref>・[[ドライブ]]<ref>“ドライブは私の趣味のひとつ。”「ハイテク?な生活」『ヘンな物さし。』2003年11月26日、ジェイロックマガジン社。</ref>・[[写真#写真の撮影|写真撮影]]など。小松自身による撮り下ろし写真は、公式サイトや[[随筆|エッセイ集]]、CDの[[チラシ|フライヤー]]などで公開されている。
 
音楽活動をメインとしているが、それ以外にも、月刊[[音楽雑誌]]『J-groove magazine』(ジェイロックマガジン社、現在休刊)の2001年7月号から最終号の2006年5月号まで、エッセイ『小松未歩のヘンな物さし。』を連載し、[[本|書籍]]としても刊行するなど、[[随筆家|エッセイスト]]としての活動も行っていた。
 
2009年以降、新たな情報は無くなり、活動停止状態である<ref name="OldiesGoodies2">2021年4月10日放送[[OLDIES GOODIES]]([[エフエム滋賀|FM滋賀]])にて、[[ばんばひろふみ]]が「小松さんは残念ですね。もっと頑張ってやっていれば。」と語ったところ、[[長戸大幸]]は「彼女自身は、もう表に出たくなかったそうなので。」と答えている。</ref>。
 
=== 音楽活動 ===
 
== 来歴 ==
両親が音楽好きで、兄の影響もあり、3歳の頃より[[エレクトーン]]を始める。また、兄と2人で[[合唱|合唱団]]にも入っていた<ref>artist express 小松未歩「音楽は兄からの影響が大きかった、兄が[[カセットテープ|テープ]]に入れてくれた曲をいつも聴いていました。」『[[JUNON]] (2000年4月号)』、[[主婦と生活社]]。</ref>。中学時代から、[[邦楽]][[洋楽]]問わずに興味を持ち、オリジナルで[[作詞]][[作曲]]を始める。この頃、初めて組んだ[[バンド (音楽)|バンド]]に[[キーボード (楽器)|キーボード]]で参加する。高校時代より、バンドの[[ボーカル]]として[[京阪神]]の[[ライブハウス]]に出演するようになり、楽曲制作と並行して[[演奏会|ライブ]]を続けていくようになる{{efn|name="before_the_debuts"|[http://www.miho-komatsu.com/menu/biography.html 公式プロフィール]では、小松はデビュー前に「3歳の頃よりエレクトーンを始める」「中学時代から、オリジナルで作詞作曲を始める」「バンドにキーボードで参加」としているが、GIZA制作チーフディレクターの[[寺尾広]]によるコラム(「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、[[エムアールエム]])によると、小松は[[長戸大幸]]に作曲を勧められるまで、作曲デモを作成した事が無く、歌いながらキーボードを指1本、または、指2〜3本で弾いていたとしている。また、2021年4月10日放送[[OLDIES GOODIES]]([[エフエム滋賀|FM滋賀]])にて、[[長戸大幸]]が(長戸の秘書の面接試験を受けに来た小松に対し)「楽器弾ける?」と尋ねたところ、小松が「いえ、弾けません」と答えたエピソードを紹介するとともに、小松が歌いながらキーボードを単音で弾いている「[[愛してる...]]」と「[[謎 (曲)|謎]]」のデモテープが流された。}}。
 
大手航空会社に勤務していたが、[[ビーイング]]グループの[[B-Gram RECORDS|ビーグラム]]大阪{{efn|name="diamond-building"}}で行われた[[転職|中途採用]]の面接<ref name="OldiesGoodies3">2021年4月10日放送[[OLDIES GOODIES]]([[エフエム滋賀|FM滋賀]])にて、[[長戸大幸]]が「この子は私の秘書の面接試験を受けに来て、秘書がもう一人決まってダメだったんです。」と語っている。</ref>にて、[[長戸大幸]]に作曲を勧められる<ref name="Karaoke1" /><ref name="debut_musicfreakEs">“大手航空会社勤務だった小松未歩さんは、音楽制作会社ビーイング系列のビーグラム大阪で行われた、中途採用の社員面接に訪れました。この時、プロデューサーの長戸大幸さんと出会います。”([[寺尾広]]「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、[[エムアールエム]]。)</ref><ref>{{Twitter status2|saidasai|157785031132196864|2012年1月13日20時24分}} 「ビーイングのアーティストじゃなけりゃ小松未歩さんは発掘すらされてなかったと断言しておきます。」</ref>{{efn|name="debut_OfficialProfile"|小松のデビューの経緯について、[http://www.miho-komatsu.com/menu/biography.html 公式プロフィール]では「創作活動、ライブを続けていた時、知人を通じオリジナル曲のデモテープがプロデューサーの手に渡る」としている。}}。
 
; 1996年
 
; 2021年
*4月10日、プロデューサーの[[長戸大幸]]が、[[エフエム滋賀|FM滋賀]]の音楽番組[[OLDIES GOODIES]]にて、プロデューサーの[[長戸大幸]]が小松のデビューの経緯が公式プロフィールとは異なること{{efn|name="debut_OfficialProfile"}}や、小松が活動休止中である理由<ref name="OldiesGoodies2" />などを明らかにした。また、番組内でデビューシングル「[[謎 (曲)|謎]]」と15thシングル「[[愛してる...]]」のデモテープが公開される{{efn|name="before_the_debuts"}}{{efn|2021年4月10日放送[[OLDIES GOODIES]]([[エフエム滋賀|FM滋賀]])にて公開された小松のデモテープについて、「[[謎 (曲)|謎]]」は2つ流されたが、1つ目は原曲に対し歌詞とBメロが大きく異なるもの、2つ目は原曲に近いものであった。また「[[愛してる...]]」は、指1本でキーボードを弾きながら適当な英語の仮歌を歌ったものであった。なお、小松のボーカルラインに[[ダブルトラック (音楽)|ダブルトラック]]手法を用いていない音源が公開されたのは初めてのことである。}}。