「ボスホート2号」の版間の差分

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ボスホート2号は予定していた飛行期間を終え、地球へ帰還するため自動帰還システムが起動された。宇宙船の回転は止まった。しかし軌道から離脱するための逆噴射を行う直前になってシステムが異常をきたし、自動での帰還は諦められた。ベリャーエフとレオーノフは手動で設定を行い、逆噴射を実行した。宇宙船は軌道を離れ[[大気圏]]に突入したが、本来なら分離されるはずの機械船が帰還カプセルに結合したままだったため、カプセルは予想外の強い[[加速度]]を受けることになった。しばらくすると大気の衝突で機械船の結合が切れ、正常な状態に戻った。パラシュートや軟着陸用ロケットは順調に作動し、カプセルはシベリア奥地の[[タイガ]]に着陸した。
 
実際の着陸地点は予定地点から2,000km{000km(英語版では386km}になっている)も離れていたため、救援隊が駆けつけるにはしばらく時間がかかった。1日目には飛行機から救援物資が投下されるのみだった。2日目には救援隊と合流し、その場で夜を過ごした。3日目になってようやくヘリコプターの着陸場所が確保され、飛行機を乗り継いで[[バイコヌール宇宙基地]]へ戻ることができた。
 
== その後 ==
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ベリャーエフは[[アポロ11号]]・[[アポロ12号|12号]]の成功から間もない[[1970年]]に、病気のため若くして死亡した。レオーノフは、月競争終了後の[[1975年]]に行われたアメリカ・ソ連共同の[[アポロ・ソユーズテスト計画]]に、ソ連側のソユーズ19号船長として参加している。
 
ソビエトの宇宙飛行士は[[タイガ]]に着陸して救援を待つことを想定し、野生動物からの自衛や狩猟用として[[マカロフ PM]]を含むサバイバルキットを装備していたが、ボスホート2号の乗員が実際に使用したところ十分な性能を発揮できなかったことから、新規開発された[[TP-82]]を含む新型キットSONAZ({{lang-ru-short|СОНАЗ}})に更新された<ref name=autogenerated1>Болотин Д. Н. История советского оружия и патронов. — СПб. Полигон, MCMXCV, 1995, стр. 46-51.</ref>。
 
== 脚注 ==