「ルイーズ・ベネディクト・ド・ブルボン」の版間の差分

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== 生涯 ==
=== 幼少期 ===
[[コンデ公]][[アンリ3世 (コンデ公)|アンリ3世ジュール]]とその妻[[プファルツ=ジンメルン家|プファルツ=ジンメルン]]公[[エドゥアルト・フォン・デア・プファルツ|エドゥアルト]]の娘である[[アンヌ・ド・バヴィエール]]の間の第8子として、パリのオテル・ド・コンデ(現在の[[オデオン座]]劇場)に生まれた。洗礼名のベネディクトは母方の叔母である[[カレンベルク侯領|ブラウンシュヴァイク=カレンベルク]]公爵夫人[[ベネディクタ・ヘンリエッテ・フォン・デア・プファルツ|ベネディクト・アンリエット]]に因む。精神錯乱状態の父が母に暴力を振るうなど、あまり幸福とは言えない環境で育った。当初、宮廷では「アンギャン令嬢」と呼ばれたが、父が[[1685年]]にシャロレー伯に叙せられたことを機に「シャロレー令嬢」と呼ばれることになった。
 
ルイーズ・ベネディクトは才気煥発で、非常に短気な性格だった。彼女は長姉のコンティ公[[フランソワ・ルイ・ド・ブルボン (コンティ公)|フランソワ・ルイ]]妃[[マリー=テレーズ・ド・ブルボン (1666-1732)|マリー=テレーズ]]と同じく大変に小柄で、しかも右腕が不自由だったが、見た目には非常に気を使っており、コンデ公家の娘たちの中では魅力的だと言われていた。しかし母の従妹にあたる[[オルレアン公]][[フィリップ1世 (オルレアン公)|フィリップ1世]]夫人[[エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエール|エリザベート・シャルロット]]は、ルイーズ・ベネディクトを「ちびのヒキガエル<ref>[[アントニア・フレーザー|Fraser, Antonia (Lady)]], ''Love and Louis XIV''</ref>」と呼んでけなしており、以下のように描写している。