「衆愚政治」の版間の差分

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→‎主な例: 戦前の日本は国民主権ではなかったため衆愚政治とは言えない。
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* [[ナチス・ドイツ]]において、[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチス党)を率いた[[アドルフ・ヒトラー]]は、[[ヴァイマル共和政]]での[[ヴァイマル憲法]]下における民主主義が政局や経済混乱を招いているとして、これを「衆愚政治」と捉え、「民主主義の否定」と「指導者への服従、[[独裁]]の利点」を主張し、煽動や民族的な怒りや[[テロリズム|テロ]]などに訴えたが、最終的には[[間接民主主義|間接民主制]]による[[選挙]]という合法手段によって、政権と絶対権力を樹立し、民主主義は崩壊した。[[エーリヒ・フロム]]は著書でこの国民心理を「自由からの逃走」と呼んだ<ref>この反省から[[第二次世界大戦]]敗戦後の[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]は、国民に「自由と民主主義を守る義務」を課す「[[戦う民主主義]]」を導入した。</ref>。
{{see also|ナチ党の権力掌握}}
* 政治学者の[[丸山眞男]]は、[[第二次世界大戦]]敗戦前の日本の支配体系<ref>{{lang-en-short|the prewar Japanese government}}</ref>を「無責任の体系」と呼んでいる<ref>[[丸山眞男]]『[[現代政治の思想と行動]]』[[未來社]]、1956-1957年。増補版、1964年。</ref>。
 
*[[イギリス]]の首相、[[ウィンストン・チャーチル]]は「独裁政治への魅力」を戒め、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」と述べた。