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アメリカ[[南北戦争]]の戦前および戦中には、ジョゼフ・メディルは[[奴隷]]解放政策を後押しし、[[エイブラハム・リンカーン]]を強く支持。[[1860年アメリカ合衆国大統領選挙|1860年の大統領選挙]]に立候補するようリンカーンを説得したのは、メディルである。その後何年にもわたって、この新聞は[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の政策に対して強い力を持ち続けた。メディルは1871年の[[シカゴ大火]]の後、シカゴ市長を1期務めた。
 
1930年には、当時[[アメリカ合衆国における禁酒法|禁酒法]]によって[[マフィア]]や[[ギャング]]が街を牛耳っていたため、紙面で「民衆の敵」としてリストアップして非難した。民衆の敵ナンバー1は[[アル・カポネ]]だった。
[[File:Dewey Defeats Truman (AN-95-187) resized.jpg|left|thumb|『'デューイ、トルーマンを破る』の記事を掲げるトルーマン]]
1947年に[[ライノタイプ]]を用いシカゴ地元紙の印刷版型を制作していた印刷業者でストライキが起きると、シカゴ・トリビューンでは通常のタイプライターで元記事を作成し、これを撮影した写真を元に印刷版型の作成を行う手法を採用した。この手法ではライノタイプを用いる場合よりも数時間早く元記事を提出しなければならない。その結果、[[1948年アメリカ合衆国大統領選挙]]について、実際の開票報告ではなく事前の世論調査と政治アナリストの意見に基づいて記事を執筆することとなり、共和党の[[トマス・デューイ]]の勝利との誤報を出してしまい(民主党の[[ハリー・S・トルーマン]]が勝利)、笑いものにされた。「[[デューイ、トルーマンを破る]]」と書かれたシカゴ・トリビューンを持って笑うトルーマンの写真は有名である。