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{{神社
|名称= 水神社
|所在地= [[大阪府]][[大阪市]][[城東区]][[野江]]4-丁目1-39
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|位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|34|42|31|N|135|32|19.7|E}}
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'''野江水神社'''(のえすいじんじゃ)は、[[大阪市]][[城東区]]にある[[神社]]。[[法人登記|登記]]上の[[宗教法人]]名称は'''水神社'''(すいじんじゃ)。社格は旧[[村社]]。
 
== 歴史 ==
[[天文 (元号)|天文]]2年([[1533年]])10月、[[細川晴元]]の家臣[[三好政長]]がこの地に[[榎並城]]を築城した。その際、この地は度々水害が発生していたためそれを避けようとし、城内に[[水神]]である[[ミヅハノメ|水波女大神]]を祀ったのが当社の起こりである。また、現代に至るまで社殿がある場所は当初から変わっていない。
 
[[天正]]11年([[1583年]])6月には[[大坂城]]を築城した[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が、水火除難の[[守護神]]として当社を篤く崇敬して社殿を修築している。
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[[1872年]]([[明治]]5年)に村社に列せられ、[[1883年]](明治16年)には新たに本殿が新築された。しかし、[[1885年]](明治18年)6月、7月に起きた[[明治十八年の淀川洪水]]によってついに当社は水害の被害を受けてしまい、本殿が倒壊した。
 
[[1888年]](明治21年)に本殿が再建され、[[1922年]]([[大正]]11年)には[[幣殿]]を増築している。
 
[[1945年]]([[昭和]]20年)6月7日の第3回[[大阪大空襲]]の際には隣町の[[都島区]][[内代町]]被害を受けたが、一方で当社を含めた野江一帯は幸いにも被害をまぬがれている。
 
[[大阪市|大阪]]は水の都といわれているが、水神を祀っている神社はあまりない。
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[[鳥居]]の横には明治十八年の淀川洪水の際に流されて当地に漂着したという水流[[地蔵尊]]と白杉[[大明神]]が祀られている。
 
== 祭神 ==
* 主祭神 - [[ミヅハノメ|水波女大神]]
 
== 境内 ==
* 本殿 - [[1888年]]([[明治]]21年)再建。
*本殿
* 幣殿 - [[1922年]]([[大正]]11年)建立。
*幣殿
* 拝殿 - 1888年(明治21年)再建。
*拝殿
* 野江[[稲荷神社]] - 祭神:[[稲荷神]]
* 御神水
 
== 祭事 ==
* 夏祭
* 秋祭
 
== 交通アクセス ==
* [[大阪市高速電気軌道|大阪メトロ]][[Osaka Metro谷町線|谷町線]][[野江内代駅]]より徒歩2分
* [[JR]][[おおさか東線]][[JR野江駅]]より徒歩2分。
 
== 参考文献 ==
* 野江水神社 参拝のしおり
 
== 外部リンク ==
*[http://www001.upp.so-net.ne.jp/water-shrine/index.html/ 水の都大阪の野江水神社]