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KOH-han (会話 | 投稿記録)
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=== 発売後の反響 ===
本社も積極的発売方針では無かったため、レコード発売当初は全く売れなかった。[[1947年]]4月22日、[[日本放送協会|NHK]]のラジオ番組「[[街頭録音]]」で、アナウンサーの[[藤倉修一]]が[[有楽町]]で200人もの夜の女(街娼)を支配していた「[[ラクチョウのお時|ラク町おとき]]」の隠し録りインタビューを敢行した。放送中、彼女が「星の流れに」の一節、「こんな女にだれがした」を口ずさんだことが、この歌が広く世間で認知されるきっかけになったとされる。もともと作品のモデルであった[[娼婦]]たちは歌詞に共感を覚え、彼女たちの間で歌われることが多かった<ref name="b">『歌でつづる20世紀 あの歌が流れていた頃』 133頁。</ref>。彼女たちの中には、菊池を「おねえさん」と呼んで慕い、菊池の出演する劇場にも出かけて、熱い声援を送った者もいたという<ref name="b"/><ref>4月は発売前であり、口ずさんだ歌われていたなど内容の時系列に矛盾点あり</ref>。
 
※4月は発売前であり、口ずさんだ歌われていたなど内容の時系列に矛盾点あり、注意されたし、要確認。
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本社も積極的発売方針では無かったため、レコード発売当初は全く売れなかった。[[1947年]]4月22日、[[日本放送協会|NHK]]のラジオ番組「[[街頭録音]]」で、アナウンサーの[[藤倉修一]]が[[有楽町]]で200人もの夜の女(街娼)を支配していた「[[ラクチョウのお時|ラク町おとき]]」の隠し録りインタビューを敢行した。放送中、彼女が「星の流れに」の一節、「こんな女にだれがした」を口ずさんだことが、この歌が広く世間で認知されるきっかけになったとされる。もともと作品のモデルであった[[娼婦]]たちは歌詞に共感を覚え、彼女たちの間で歌われることが多かった<ref name="b">『歌でつづる20世紀 あの歌が流れていた頃』 133頁。</ref>。彼女たちの中には、菊池を「おねえさん」と呼んで慕い、菊池の出演する劇場にも出かけて、熱い声援を送った者もいたという<ref name="b"/>。
 
その当時、[[新宿]]の「[[ムーラン劇場]]」で風刺ショーが上演されていたが、この歌が使用されるようになってからじわじわと火が付き、[[1949年]](昭和24年)の春頃からヒットの兆しを見せ始め、ついには大ヒットとなった。また、[[田村泰次郎]]原作の小説『[[肉体の門 (1948年の映画)|肉体の門]]』が映画化された際も、この曲が挿入歌として使用され、ヒットの一因を担うこととなった。