「琉球王国」の版間の差分

タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
 
=== 地政 ===
勢力圏(最大版図)は、[[奄美大島]][[沖縄島|沖縄本島]][[宮古島]]および[[石垣島]]の他、多数の小さな離島の集合で、最盛期の総人口17万ほどの小さな王国であった。しかし、[[日本]]の[[鎖国]]政策や隣接する大国[[明]]・[[清]]の[[海禁]]の間にあって、[[東シナ海]]の地の利を生かした[[中継貿易]]で大きな役割を果たした。その交易範囲は[[東南アジア]]まで広がり、特に[[マラッカ王国]]<ref group="注">建国当時は[[マジャパヒト王国]]との交易があったことが知られているが、[[明]]のムスリム・[[鄭和]]の保護下で新興イスラム国家・[[マラッカ王国]]が急速に貿易の主導権を奪い、琉球はマラッカ王国と貿易するようになった。</ref>との深い結び付きが知られる。
 
琉球王国は明及びその領土を継承した清の[[冊封]]下に組み込まれていたが、[[1609年]]([[万暦]]37年・[[慶長]]14年)に日本の[[琉球侵攻|薩摩藩の侵攻]]を受けて以後は、薩摩藩と清への両属という体制([[中華帝国]]の明・清の元号と日本の[[朝廷]]の[[元号]]の両方を施行する国家体制)を取りながらも、独立した王国として存在し、日本や中国の文化の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。