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| logo = <!--ロゴのファイル。フェアユースのものは使用できません。-->
| caption = <!--ロゴのキャプション-->
| trading_name = ディビダーク
| native_name = Dyckerhoff & Widmann AG (Dywidag)
| former_name = <!--以前の社名-->
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| foundation = [[1865年]]
| founder = オイゲン・ディッカーホフ<br />ゴットリーブ・ウィドマン
| defunct = <!--解散-->[[2008年]]
| location_city = [[ミュンヘン]]
| location_country = [[ドイツ]]
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| footnotes = <!--注釈-->
}}
'''ディッカーホフ&ウィドマン'''({{Lang-de-short|Dyckerhoff & Widmann AG}})は、かつて[[ドイツ]]の[[ミュンヘン]]にあった[[建設会社]]である。

'''ディビダーク'''(Dywidag)の略称で知られ、[[プレストレスト・コンクリート橋]]をはじめとするコンクリート工事を得意とした。
 
== 歴史 ==
[[1865年]]、{{仮リンク|ヴィルヘルム・グスタフ・ディッカーホフ|de|Wilhelm_Gustav_Dyckerhoff}}によりドイツの[[カールスルーエ]]で創業<ref>Stegmann, 2009, p. 1371.</ref>。当初の社名はLang & Coで、コンクリート製品の製造を行っていた。1866年、ヴィルヘルムの息子の{{仮リンク|オイゲン・ディッカーホフ|de|Eugen_Dyckerhoff}}が入社。オイゲンと、義父<!--オイゲンの妻の父親-->のゴットリーブ・ウィドマンはLang & Coの社名をディッカーホフ&ウィドマンに改め、同社をドイツの大手建設会社に発展させた。1880年代には[[建設工学]]の分野に進出し、[[ポーランド]]・[[ヴロツワフ]]の[[百周年記念ホール_(ヴロツワフ)|百周年記念ホール]]など著名な建築物を受注した。
 
同社は、コンクリート建設の分野で多くの革新的な技術を導入した。 オイゲンは、19世紀に圧縮コンクリートである{{仮リンク|スタンプコンクリート|de|Stampfbeton}}を開発。ドイツのコンクリート建設の標準となった1920年代後期には、コンクリートによる[[シェル構造]]である{{仮リンク|ツァイス・ディビダークシェル構造|de|Zeiss-Dywidag-Schalenbauweise}}を開発。1938年に{{仮リンク|フランクリン協会|en|Franklin Institute}}のエドワード・ロングストレス・メダルを受賞した<ref name="LongstrethMedal_Laureates">{{cite web |url=http://www.fi.edu/winners/show_results.faw?gs=&ln=&fn=&keyword=&subject=&award=LONG+&sy=1937&ey=1939&name=Submit |title=Franklin Laureate Database - Edward Longstreth Medal 1938 Laureates |publisher=[[フランクリン協会]] |accessdate=2019-10-12|url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140407065053/http://www.fi.edu/winners/show_results.faw?gs=&ln=&fn=&keyword=&subject=&award=LONG+&sy=1937&ey=1939&name=Submit |archivedate=April 7, 2014 }}</ref>。同社は1960年代にかけて多くの{{仮リンク|コンクリートシェル|en|Concrete_shell}}の構造物を建設。ドイツにおける[[プレストレスト・コンクリート]]や[[カンチレバー]]工法の確立にも重要な役割を果たした。
 
1907年に本社を[[ヴィースバーデン]]に移転<ref>Dyckerhoff & Widmann, 1908.</ref>。さらに[[第二次世界大戦後]]はミュンヘンに移転した。1972年に{{Enlink|Siemens-Bauunion||de|a=off|p=off|s=off}}、1991年には{{Enlink|Union-Bau||de|a=off|p=off|s=off}}を買収した。2001年には{{Enlink|Walter_Bau||de|a=off|p=off|s=off}}の傘下に入ったが、Walter_Bauは2005年に破産。ディビダークの事業は分割され、その大部分は[[オーストリア]]の{{仮リンク|ストラバッグ|en|Strabag}}に買収された。
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コンクリート橋の架設方法。片持式架設工法の一種で、ワーゲンと呼ばれる移動架設車を使い、[[橋脚]]または橋台から支間中央部に向かって橋体をブロックごとに継ぎ足して張り出し施工する。[[支保工]]を必要としない利点があり、多くの長大コンクリート橋の建設に採用されている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/word/t/te03.html|title=用語事典 ディビダーク工法|publisher=国土交通省東北地方整備局山形国道事務所|accessdate=2019-10-12}}</ref>。
 
ディビダーク社のFinster Walterらにより開発され、1950年に{{仮リンク|バルドゥインシュタイン|de|Balduinstein}}の[[ラーン川]]の橋で初めて導入された。[[日本]]では1959年に[[神奈川県]][[嵐山橋]]に採用されたのが初の事例である。ディビダーク工法はPC鋼棒を使うことから、バーシステムと呼ばれる。これに対しPC鋼線を使うケーブルシステムにはFCC工法(Free Cantilever erection with Cable)などがあり、1955年にフランスのChazei橋で初めて導入された<ref name="kawada">{{Cite journal |和書|author =|title =PC橋梁とのあゆみ―川田とFCC―|date =1990|publisher =[[川田工業]]|journal =川田技報|volume =9|url=https://www.kawada.co.jp/technology/gihou/pdf/vol09/09_gijyutu13-1.pdf|format = PDF|accessdate=2019-10-12|pages =165-166|ref = }}</ref>。
 
橋梁以外の技術で特筆すべきものには、下水汚泥処理で[[消化ガス]]を得る[[プレストレスト・コンクリート]]製卵型タンクなどがある<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.orsc.co.jp/tec/con08_1.html|title=技術情報 PCタンク|publisher=[[オリエンタル白石]]|accessdate=2019-10-12}}</ref>。
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[[Category:建設業者]]
<!--[[Category:ドイツの建設業者]]-->
<!--[[Category:かつて存在した建設業者]]-->
[[Category:ミュンヘンの企業]]
[[Category:1865年設立の企業]]