「斎藤歩」の版間の差分

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== 来歴 ==
[[北海道]][[釧路市]]に生まれ、父の転勤によって幼少期に本州に引っ越す。[[千葉県立佐倉高等学校]]から父の母校であった[[北海道大学]]に進学。当初は[[地質学]]に興味があり、科学者志望だった<ref>{{Cite web |date=2014-11-11 |url=http://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/like_hokudai/contents/article/459/ |title=#16 斎藤歩さん(俳優・演出家・劇作家) |work=いいね!Hokudai |publisher=[[北海道大学]] |accessdate=2018-04-18}}</ref>。[[学生寮|1984年、北大教養部自治会]]再建運動で委員長に立候補。[[日本民主青年同盟|民青系]][[日本社会主義青年同盟|社青同系]][[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル系]]候補を圧倒する票を得たものの投票総数が規定に満たなかったため不成立となった。ほぼ同時期、北大演劇研究会の[[アングラ演劇|アングラ]]なテント公演、[[反天皇制]]演劇で知られる「驪団」公演を北大構内で行う運動をきっかけに演劇研究会に入会したのが演劇に関わるようになったきっかけである<ref>{{Cite web |date=2010-09-28 |url=http://www.yakutama.jp/ng_interview_display.php?id=2 |title=ピックアップ魂 vol.2 斎藤歩篇 前編 |work=役者魂.jp |publisher=イー・スピリット |accessdate=2018-04-18}}</ref>。大学は教養部2年生を3回繰り返すなどして、結局3年半で中退する。
 
[[1987年]]、北大演劇研究会出身者を中心メンバーとして「札幌ロマンチカシアター魴鮄舎(そうぼうしゃ)」を旗揚げし、[[1995年]]の活動休止まで座長を務める。[[琴似駅 (JR北海道)|JR琴似駅]]北口の[[倉庫]]を拠点に公演を行う。その他、A.S.G(アーティスツ・ギルド・オブ・サッポロ)など数々の劇団に携わる。演出家、脚本家、俳優として北海道を中心に活動。80年代後半は[[鈴井貴之]]、[[増澤ノゾム]]とともに札幌の若手劇作家として注目された。