「性霊集」の版間の差分

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成立年代をめぐる主な説は以下のとおり。
*天長7年11月([[830年]]12月)〜9年3月([[832年]]4月)の間<ref name="iijima2">飯島氏前掲論文</ref>
:『性霊集』は真済と空海の共同編集であるとの見地から、[[高雄山]]で真済が空海から[[密教]]の奥義を授けられた(その記録が『高雄口訣』といわれる)と伝えられる期間に編纂されたとするもの。
*天長9年(832年)から[[承和 (日本)|承和]]2年3月([[835年]]4月)の間で空海在世中<ref name="watanabe">渡辺照宏・宮坂宥勝校注『三教指帰・性霊集 [[日本古典文学大系]]71』解説(岩波書店、1965年)</ref>
:序文に「西山禅念沙門真済撰」とあることから、真済が高雄山=西山に住した天長9年以降<ref name="kunenikou">この点に関して飯島氏は、天長9年は空海から高雄山を譲られた年であり、それ以前から真済は高雄山に住していたので不当とする</ref>とし、「執事年深くして、未だその浅きを見ず」とあることから、現に真済が空海に師事していた間、すなわち空海存命中とするもの。
*承和2年3月(835年4月)の空海入滅直後<ref name="katumata">勝又俊教「遍照発揮性霊集と高野雑筆集」(『豊山教学大会紀要』2、1974年)、『定本 弘法大師全集』第8巻(密教文化研究所、1996年)の『性霊集』解説</ref>
:序文に「謂ゆる第八の折負たる者は吾が師これなり」とあり、空海を密教の第八祖としていること、「大遍照金剛」と空海を尊称していることから、空海没後とするもの。
 
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*[[高野山]]
*[[東寺]]
*[[真言宗]]
*[[入定]]
*[[東密]]
 
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