「ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン」の版間の差分

 
=== 権力の強化 ===
その後ルイ・オーギュストは父王の保護の下で大きな権力を維持し、[[ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボン|ヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ]]と義妹のアンギャン令嬢マリー・アンヌを結びつけた。
 
メーヌ公夫人はルイ14世の[[公妾]]である[[マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ|マントノン侯爵夫人]]の支配する陰鬱なヴェルサイユ宮廷を嫌い、[[ソー公園|ソー城]]に自分を女主人とする小宮廷を開いた。この城は[[ジャン=バティスト・コルベール]]の屋敷だったが、ルイ・オーギュストが[[1700年]]に90万リーブルで相続人から買い取り、公爵夫人はこの城の改築・改装に総計80万リーブルの巨費を費やし、同年12月にソー城へ移り住んだ。ソー城のメーヌ公夫人のサロンは、青年時代の[[ヴォルテール]]、[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]男爵、[[フランソワ=ジョアシャン・ド・ピエール・ド・ベルニ|ベルニ]]枢機卿、[[アンヌ・クロード・ド・ケリュ|ケリュ]]伯爵、[[シャルル・ジャン・フランソワ・エノール]]、[[ジャン=バティスト・ルソー]]などの文芸人が彼女のもとでサークルを形成した。
 
[[1714年]][[7月23日]]、父王は庶子であるルイ・オーギュストと弟の[[ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン (トゥールーズ伯)|ルイ・アレクサンドル]]に[[プランス・デュ・サン]]([[:en:Prince du sang|Prince du sang]])の身分を授け、二人を正式なフランス王位継承者とした。この頃、ルイ14世の嫡男[[ルイ (グラン・ドーファン)|グラン・ドーファン]]、孫の[[ルイ (ブルゴーニュ公)|ブルゴーニュ公]]、[[シャルル・ド・ブルボン (ベリー公)|ベリー公]]兄弟とルイ14世の王位継承者が3人続けて亡くなっていることと、幼い曾孫のアンジュー公(後の[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]])にはフランス王位を継がせるのは難しく、オルレアン公[[フィリップ2世 (オルレアン公)|フィリップ2世]]もスペイン王家の血を引くことからアンジュー公かオルレアン公をスペイン王座につかせようと父王は考え、フランス王位には自身の直系である彼の嫡子を王位継承者にすることによって内戦を防ぐことを望み、このような措置がなされた。