「トルーマン・カポーティ」の版間の差分

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== 略歴 ==
1924年 [[ルイジアナ州]][[ニューオーリンズ]]で、父アーチ・パーソンズ、母リリー・メイ・フォークの息子として生まれた。出生時の名前は'''トルーマン・ストレックファス・パーソンズ'''(Truman Streckfus Persons)。両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナ、[[ミシシッピ州|ミシシッピ]]、[[アラバマ州|アラバマ]]など[[アメリカ合衆国南部]]の各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育った。その中には高齢者同士の孤立世帯や精神障害をもつ高齢者もあり、その当時の思い出は、『誕生日の子どもたち』という短編集に収められている。引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した(ニューヨークとコネチカットの学校に通ったりやめたりした)。母親は後年ジョゼフ・ガルシア・カポーティと再婚し、その後自殺した。
 
アラバマ在住当時、後年の女流作家[[ハーパー・リー]]と幼なじみで、リーの代表作『[[アラバマ物語 (小説)|アラバマ物語]]』中の登場人物ディルはカポーティがモデルである。ちなみにこの作品は、映画化されてよく知られたものになり、原作自体も学校の教材として取り上げられることも多い。
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若き頃から作品を作っており、カポーティ自身は「その気になって書き出したのは、十一歳の頃だった」と言ったことがある。「その気に、というのは、他の子が学校から帰ってバイオリンやらピアノやらの練習をするようなもので、僕は帰ってから毎日三時間くらいは書いた。夢中になって書いた」<ref name=":0">{{Cite book|title=ここから世界が始まる トルーマン・カポーティ初期短編集|date=2019年2月25日|year=|publisher=新潮社}}</ref>。
 
17歳で学校をやめて『[[ザ・ニューヨーカー]]』誌のスタッフになり、二年ほどいた。仕事はマンガの整理と新聞の切り抜き
 
19歳の時に掲載された最初の作品『ミリアム』で[[オー・ヘンリー賞]]を受賞し、「[[アンファン・テリブル]](恐るべき子供)」と評される。
 
23歳で初めての長編『遠い声 遠い部屋』を出版し、若き天才作家として注目を浴びた。

1947年6月には、[[ジャン・コクトー]]が世話をやいてくれ、[[パレ・ロワイヤル]]にて[[シドニー=ガブリエル・コレット]]に面会している。

その後は中編『[[ティファニーで朝食を]]』が映画化されヒットするなど、1作ごとに華やかな話題をふりまき映画にも出演し、[[ノーマン・メイラー]]とともに作家としては珍しくゴシップ欄の常連になるなど、公私の両面で話題を振りまいた。
 
作家としての出発時点から、早くも華やかな交友関係ができあがった。作家、芸術家のほか、上流階級、国際社会の著名人と幅広い交友があり、その活発な社会生活によって何度となくメディアの注目を浴びた<ref name=":0" />。