「リヒャルト・ワーグナー」の版間の差分

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[[ファイル: Giacomo Meyerbeer nuorempana.jpg |left|サムネイル|180px|ワーグナーを庇護したユダヤ人作曲家[[ジャコモ・マイアベーア|マイアベーア]]。]]
 
[[1839年]]、ロンドンから[[ドーバー海峡]]を渡り、船上で婦人からパリで成功したユダヤ人作曲家[[ジャコモ・マイアベーア]]への紹介状を書いてもらった<ref>[[#高辻1986]],p50.</ref>。一時[[ブローニュ=シュル=メール]]で歌劇『[[リエンツィ|最後の護民官リエンツィ]]』を完成させた<ref>[[#高辻1986]],p50.</ref>
 
銀行家の息子だったマイアベーアはパリで[[1824年]]に『[[エジプトの十字軍]]』を成功させ、『[[悪魔のロベール]]』(1831年)、[[サン・バルテルミの虐殺]]に基づく[[グランド・オペラ]]『[[ユグノー教徒 (オペラ)|ユグノー教徒]]』(1836年)の大ヒットなどで名声を博し、[[1842年]]には[[ベルリン国立歌劇場|ベルリン宮廷歌劇場]]音楽監督に就任した。マイアベーアの『[[預言者 (オペラ)|預言者]]』(1849年)では最初の10回の収入だけで10万フラン、さらに版権で44000フランを獲得したうえに、[[レジオンドヌール勲章]]、ザクセン騎士功労章、オーストリア・フランツ・ヨーゼフ騎士団騎士勲章、ヴュルテンベルク上級騎士修道会勲章、エルネスティン家一級指揮勲章、イエナ大学名誉博士号、ベルリン芸術アカデミー顧問などの名誉を獲得した<ref name="geck1-68-71">[[#マルティン・ゲック上]],p.68-71.</ref>。