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竹東の古名は「橡棋林」という。これは先住民が初めてこの地に至った際、橡棋樹が多い茂っていたのを目にしたことから命名された。また橡棋を別名「樹杞」と称することから「樹杞林」とも称される。
漢人が入植する以前、この地は原住民が狩猟遊耕をを行っていた。当時は有力な「紅面番」が地域の中心となっていたと言われているが、民族的に恐らく賽夏族人によって構成されていたと推測されている。この生活も乾隆年間中期になると変化を
竹東鎮が開発された初期、行政区は淡水庁の管轄に属し、竹塹堡東南廂と称された。[[1875年]]、淡水と新竹が分割されると、新竹県に帰属し,竹北一堡樹杞林荘と称された。[[1890年]]に新竹と苗栗が分割された際には更に竹塹堡樹杞林荘と称されるようになった。
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