「小林一茶」の版間の差分

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文政3年10月5日([[1820年]]11月10日)、妻の菊は次男石太郎を生む。石太郎という名は石のように強く長生きして欲しいとの願いを込めて付けた名であった。ところが次男誕生の喜びに浸る間も無く、一茶の身に不幸が襲う。10月16日(1820年11月21日)、外出中に雪道で転倒した一茶は[[中風]]を起こし、駕籠で自宅に担ぎ込まれた。一時は言語障害と運動障害を併発し、生まれたばかりのわが子とともに自宅で臥床する状態に陥った。幸いこのときの中風は比較的軽く、症状もある程度改善して認知的な問題は起こらなかった。しかし歩行の不自由さは残ってしまった<ref>小林(1986)pp.212-213、矢羽(2004)p.144</ref>。
 
文政4年1月11日([[1821年]]2月13日)、一茶に再び不幸が襲う。生まれて100日経っていない石太郎が、母、菊の背中で窒息死してしまうという事故が起きた。愛児の事故死を受けて一茶は妻のことを激しく罵る文章を残している。確かに石太郎の事故死は菊の過失ではあるが、実は石太郎は生まれながらの虚弱体質だったのではとの推測もされている
 
{{Quotation|陽炎や目につきまとふわらひ顔}}