「小林一茶」の版間の差分

編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
がある<ref>玉城(2013)p.336</ref>。
 
そして21000句を超える作品の全てが傑作というわけでは無く、駄作の数も多いとされている<ref>加藤(2001)p.55、青木(2012)p.14、金子(2014)Ⅵ</ref>。荻原井泉水は「生涯に2万近い句を書き残して、その大部分がつまらない作で……砂漠の砂の中に宝石が見出されるような句のある」と評した<ref>荻原(1952b)p.321</ref>。
 
一茶の多作は、その句作のやり方に起因しているとの見方がある。加藤楸邨は一茶の句作スタイルを「反射型」に分類している。これは明日のことまでを見据えて現実社会との感覚的な統合を目指す芭蕉や、濁った世間からの高踏的な離脱をした上での美の世界を構築した蕪村とは異なり、一茶は大きく分裂した己の魂のあるがままに、反射的にその場その場で句を作っていったとする<ref>加藤(2001)pp.54-55</ref>。一茶がいわば即興的に、悪く言うと粗製乱造といった形での句作を重ねたとの評価は他にも見られ<ref>小林(2002)p.89、青木(2012)p.13</ref>、繊細な詩的センスを持ち合わせていながらも、十分に練り上げることなく性急に作品として固定化してしまう傾向があるとの指摘もあるが<ref>栗山(1976)pp.300-301</ref>、一茶の遺した書簡などから判断すると、一茶は決していい加減な形で作句をしていたわけでは無く、古典などからしっかりと事物を吸収し、広く先達、同時代の俳人の作品を学んだ上で句を詠んでおり、きちんとした句作スタイルを取っているとの反論がある<ref>矢羽(1994)pp.180-189</ref>。