「ドゥーフ・ハルマ」の版間の差分

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蘭学修行を志した25歳の[[勝海舟]]は、貧窮にもめげず赤城玄意という蘭医から『ドゥーフ・ハルマ』を年10両(約120〜130万円に相当)で借り受け、滲まないインクや鳥の羽根を削ったペンを自作しながら1年がかりで写本2部を製作した<ref>このエピソードについては、本の所有者が某与力で夜間のみの閲覧を許可されて書写したというものもあるが、これは兵学書『ソルダート・スコール』の件を混同したものと思われる。詳しくは[http://www.ma-fa.com/kaisyu/01_awadenki/awa_008.html]にて検証されている。</ref>。このうち1部を売り払い借り賃と生活費に充て、もう1部を所有した。なお、この写本を買ったのは師である[[永井青崖]]という説があり、その金額も30両とも60両とも言われている。<ref>以下に売却額それぞれの説を採るリンクを列挙する。<br/>30両説:[http://money.goo.ne.jp/column/story/07/index0712.html][http://www.kanda-zatsugaku.com/041126/1126.htm][http://m1.aol.com/mhokada/katu/rireki.html] <br/>60両説:[http://www.ma-fa.com/kaisyu/01_awadenki/awa_007.html]</ref>
 
貴重な『ドゥーフ・ハルマ』は当時最高の蘭塾と評判の高かった[[緒方洪庵]]の[[適塾]]にも一部しか無く、わざわざ「ヅーフ部屋」と呼ばれる3畳程の別室に保管された。塾生が辞書を用いるに争う様を[[福澤諭吉]]は述懐している。また、外部から申し込まれる写本の依頼は、塾生たちの良い収入源ともなっていた。
 
[[宇田川榛斎]]に学んだ[[坪井信道]]も『ドゥーフ・ハルマ』を写本したと伝わる。<ref>{{cite web|url=http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2006/07nihontou30.html|title=日本人教養講座「日本刀」|publisher=東京木材問屋協同組合|language=日本語|accessdate=2008-06-15}}</ref>