「グリーンシャトー」の版間の差分

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== エピソード ==
*錦野牧場倒産後、牧場にいた繁殖牝馬はちりぢりばらばらになった。グリーンシャトーは消息が確認されたものの、他の牝馬はどこに行ったのかも不明である<ref>『優駿』1988年6月号 通巻534号 p.140</ref>。
*錦野昌章は、たび重なる不渡りによりグリーンシャトーを手放すこととなったのは断腸の思いであり、自分がグリーンシャトー殺したようなものだと語っている。また、神経質で気性が激しく、錦野以外の人間には頑として従わなかった馬であるため、見ず知らずのところへ移されて神経的に参ったのだろうと推測している<ref>『優駿』1989年1月号 通巻541号 p.130</ref>。
*グリーンシャトーの素晴らしい体つきには、マエコウファームの松本和夫が何故これほどの馬が売りに出されたのかを不思議に思うほどであった。また、「あれほどの牝馬は大手の牧場にだってそうざらにはいません。例えタマモクロスが走っていなくても、そのうちいい仔を出したはず」<ref name="Yushun198808"/>と、タマモクロスが宝塚記念を勝利した後のインタビューで答えている。この言通り、この年の秋にはミヤマポピーがエリザベス女王杯を勝利した。
*グリーンシャトーの初は北橋が騎手時代に乗って3をあげ、4勝目は調教師としての北橋の初勝利でもあり、となった。北橋夫人がプレゼント代わりにメロンを食べさせたところ、グリーンシャトーの大好物となった。それからというもの、カイバを食べなくてもメロンだけは食べた<ref name="Yushun198808" />。
 
== 血統表 ==