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== 歴史 ==
最初にグリーンブーツを記録したビデオ動画は、[[2001年]][[5月21日]]に[[フランス]]の登山家ピエール・パペロン (Pierre Paperon) によって撮影された。このビデオ動画で、グリーンブーツは身体の右側を下に横たわっていた。パペロンは、[[シェルパ]]たちから、この遺体について、6ヶ月前に登頂を試みた中国の登山家のものだと聞かされたという<ref>{{YouTube|N-nh4smWbTA|"Everest Pierre Paperon 6 bis"}} {{in lang|fr}}. 31 October 2010. - グリーンブーツの映像は 45秒あたりから</ref>。
 
長年にわたって、この遺体は北ルートのランドマークとして知られ、また、[[デイヴィッド・シャープ]]の死との関係でも知られてきた<ref>{{cite news |last=Quinlan |first=Mark |date=25 May 2012|url=http://www.cbc.ca/news/world/reclaiming-the-dead-on-mt-everest-1.1206082 |title=Reclaiming the dead on Mt. Everest |publisher=CBC News}}</ref>。[[2014年]]5月、グリーンブーツが姿を消したという報告がなされ、撤去されたか、埋葬されたかしたのだろうかと憶測を呼んだが<ref name="Nuwer">{{cite news|last=Nuwer|first=Rachel|date=9 October 2015|title=Death in the clouds: The problem with Everest's 200+ bodies|work=BBC Future|url=http://www.bbc.com/future/story/20151008-the-graveyard-in-the-clouds-everests-200-dead-bodies}}</ref>、[[2015年]]には再び目視されるようになった<ref>{{Cite web|title=Jake Meyer FRGS Passing 'Green Boots|url=https://mobile.twitter.com/jakeclimber/status/606301808047362048|access-date=2021-04-19|website=Twitter|language=en}}</ref>。[[2017年]]にもテントやその他のデブリ瓦礫とともに崖の表面に引っかかっている遺体が発見されており、これをグリーンブーツが移動したものと考える者もいる<ref>{{Cite web|url=http://www.alanarnette.com/blog/2017/05/27/everest-2017-weekend-update-may-27/|title=Everest 2017: Weekend Update May 27|date=May 27, 2017|website=The Blog on alanarnette.com|accessdate=2021-04-23}}</ref>。
 
== 誰の遺体か ==
=== ツェワング・パルジョール ===
グリーンブーツは、インド人登山家ツェワング・パルジョールであると広く信じられており<ref>{{Cite news|first=Ed |last=Douglas |title=Over the Top |date=15 August 2006 |work=Outside Magazine |url=http://outsideonline.com/outside/destinations/200609/mount-everest-climbing-ethics-1.html |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100912163732/http://outsideonline.com/outside/destinations/200609/mount-everest-climbing-ethics-1.html |archivedate=12 September 2010}}</ref>、彼は2人の同僚とともに[[1996年]]に登頂を試みた日にコフラック社製の緑のブールを履いていたが、可能性としては彼と同じ登山隊のメンバーであったドルジェ・モルップ (Dorje Morup) だとも考えられる。[[1996年のエベレスト大量遭難]]では、8人の遭難死者が出たが、その中には南東ルートを進んだアドベンチャー・コンサルタンツ隊や{{仮リンク|マウンテン・マッドネス|en|Mountain Madness}}隊の5人のほか、北東ルートをとった3人が含まれていた。この3人は、{{仮リンク|インド・チベット国境警察|en|Indo-Tibetan Border Police}} (ITBP) が派遣したインド隊の登山家たちであった。この遠征隊を率いていたのは、モヒンダール・シン隊長 ([[:en:Commandant|Commandant]] Mohinder Singh) で、彼は東側からエベレストに登頂した最初のインド人であった<ref>{{Cite book| last =Singh | first =Mohinder | title =Everest: The First Indian Ascent from North | publisher =Indian Publishers Distributors | year = 2003 | isbn= 978-81-7341-276-9 }}</ref>。
 
[[1996年]][[5月10日]]、ツェワング・サマニア[[大尉]] ([[:en:Subedar|Subedar]] Tsewang Samanla)、ドルジェ・モルップ[[上等兵]] ([[:en:Lance Naik|Lance Naik]] Dorje Morup)、ツェワング・パルジョール[[曹長]] (Head Constable Tsewang Paljor) の3人が、山頂を目前にして吹雪に襲われた。6人の登頂隊のうち3人は撤退したが、サマニア、モルップ、パルジョールは、そのまま登頂を目指した<ref>{{Cite book| last =Krakauer | first =Jon | title =Into Thin Air | publisher =Anchor Books | year =1997 | isbn=978-03-8549-208-9 | title-link =Into Thin Air }}</ref>。[[ネパール標準時]]で 15:45 ころ、3人は山頂に達したと無線で隊長に報告した。彼らは山頂に、[[タルチョー]]や{{仮リンク|ハタ (スカーフ)|label=ハタ|en|Khata}}、[[ハーケン (登山用品)|ハーケン]]を捧げ物として残した。ここでリーダーのサマニアは、宗教的儀式のために時間の余裕を使うことを決め、他の2人には下山を指示した。
 
その後、無線は途絶した。直下のキャンプでは、隊員たちが、標高{{convert|8570|m|ft|0}}の第2ステップのやや上方を下山する2ヘッドランプを目視した。しかし、3人はいずれも、標高{{convert|8300|m|ft|0}}に設けられていた前進キャンプまで帰還することができなかった。
 
後に、この遭難をめぐって、福岡チョモランマ登山隊の日本人登山者たちが、行方不明となったインド隊の隊員たちの救助を怠ったのではないかとして論争が起こった。福岡隊は、標高{{convert|8300|m|ft|0}}に設けた彼らのキャンプを、[[中国標準時]] 06:15 に出発し、15:07 に登頂へ到達した。その途中で、彼らは他の登山者たちに遭遇していた。彼らは、インド隊に行方不明者が出ていることは知らず、皆フードの下にゴーグルと酸素マスクを着けていたこの登山者たちを、[[台湾]]隊のメンバーだと思い込んでいた。15:30 から下山を始めた福岡隊は、第2ステップの上方で何かわからない物体が見えると報告した。第1ステップの下方では、ひとりの人間が固定ロープにいると無線で報告した。その後、福岡隊の一員だった[[重川英介]]は、近くに立っていた正体不明の男性に声をかけて挨拶した。この時点で、福岡隊が持っていた酸素は、第6キャンプに引き返す分しか残ってなかった。
 
16:00 に至り、福岡隊は、隊に参加していたインド人のひとりから、3人が行方不明になっていることを知らされた<ref name="uiaa"/>。福岡隊は、救助への参加を申し出たが、断られた。天候の悪化で、更に1日待った後、福岡隊は[[5月13日]]に第二次登頂隊を送り出した。彼らは、第1ステップ付近で複数の遺体を見かけたが、そのまま山頂を目指した。
 
その後、様々な誤解も重なり、福岡隊の行動について厳しい非難もなされたが、後には誤解は解けた。[[ロイター]]は、福岡隊は行方不明者の捜索に協力すると言っておきながら登頂に進んだ、とインド隊が非難したと報じた<ref>{{Cite news | title=India probes Everest deaths, questions Japanese team | publisher=Reuters | url =http://outside.away.com/peaks/japan.html |archiveurl = https://web.archive.org/web/20070927201024/http://outside.away.com/peaks/japan.html |archivedate = 27 September 2007}}</ref>。福岡隊は、登頂の途中で、死にかけている登山者を見捨てたり、救援の求めを拒むようなことはしていないと、報道を否定し、この主張はインド・チベット国境警察にも受け入れられた<ref name="uiaa">{{Cite news| first=Hiroo| last=Saso| title=Misunderstandings Beyond the North Ridge| publisher=International Mountaineering and Climbing Federation| url=http://www.uiaa.ch/article.aspx?c=226&a=120| archiveurl=https://web.archive.org/web/20050224103225/http://www.uiaa.ch/article.aspx?c=226&a=120|archivedate=24 February 2005}}</ref>。インド山岳連盟 (the Indian Mountaineering Federation) の役員であるコーリ大尉 (Captain Kohli) は、5月10日の時点で福岡隊はインド人と会ったと報告していたとして一旦は福岡隊を非難したが、後にそれを撤回した。
 
=== ドルジェ・モルップ ===
グリーンブーツは、ツェワング・パルジョール曹長の遺体であるというのが一般的な認識であるが、[[1997年]]に『''[[:en:Himalayan Journal|Himalayan Journal]]''』へ発表された「The Indian Ascent of Qomolungma by the North Ridge」(北稜からのインド隊のチョモランマ下山)という、遠征隊の副隊長だった P・M・ダス (P. M. Das) による記事は、遺体がドルジェ・モルップ上等兵のものである可能性を示唆している。ダスによれば、19:30にヘッドライトを点けて下山しているところを目視された2人の登山者がいたが、程なくして見えなくなったという<ref name=Himalayan>{{Cite journal | first=P. M. | last=Das | title=The Indian Ascent of Qomolungma by the North Ridge | year=1997 | journal=Himalayan Journal | url =https://www.himalayanclub.org/hj/53/7/the-indian-ascent-of-qomolungma-by-the-north-ridge/ |volume=53 }}</ref>。翌日、インド隊の第二次登頂隊のリーダーが無線でベース・キャンプに連絡し、彼らが第1ステップと第2ステップの間をゆっくりと動いているモルップに出会ったと報告した。ダスの記すところでは、モルップは「凍傷にかかった手に手袋をすることを拒み」、「アンカー・ポイントの安全カラビナを外すのにも手間取っている様子であった」という<ref name=Himalayan/>。ダスによれば、福岡隊は、彼が次のロープに取り付く手助けをしたという。
 
福岡隊は、ツェワング・サマニアの遺体を第2ステップの上方で発見した。登頂後の帰路、彼らはモルップがまだゆっくりと進んでいるのを見つけた。モルップは、11日の午後に落命したのもと考えられている。ダスは、パルジョールの遺体はまったく見つかっていないと述べている。
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グリーンブーツは、およそ200体に上る、21世紀初頭の時点でエベレストに取り残された遺体のひとつとなった<ref name=Smithsonian>{{cite news|last=Nuwer |first=Rachel |url=http://blogs.smithsonianmag.com/smartnews/2012/11/there-are-over-200-bodies-on-mount-everest-and-theyre-used-as-landmarks/ |title=There Are Over 200 Bodies on Mount Everest, And They're Used as Landmarks |work=Smithsonian Magazine |date=28 November 2012}}</ref><ref>{{cite news |url = http://www.mcclatchydc.com/2007/05/16/16188/corpses-litter-the-death-zone.html | title = Corpses litter the 'death zone' near Everest's summit, frozen for eternity | first = Tim |last = Johnson | work = McClatchy Newspapers | date= 7 June 2007}}</ref>。「グリーンブーツ」という呼称がエベレスト界隈でいつ頃定着したのかははっきりしていない。長年の間にこの呼称は一般化していったが、それは、北側からの登頂を目指す全ての遠征隊が、石灰岩の洞の中で身を屈めるようにしているこの登山者の遺体を必ず目にしてきたからであった。この洞は、標高{{convert|8500|m|ft|0}}にあり、空の酸素ボンベがいくつも打ち捨てられている。この洞は、第1ステップより下の、登山ルート沿いにある。
 
あだ名がつけられている遺体としては、ほかにも、「眠れる美女 (Sleeping Beauty)」と称されている[[フランシス・アーセンティエフ|フランシス・ディステファノ=アーセンティエフ]] ([[:en:Francys Arsentiev|Francys Distefano-Arsentiev]]) があり、[[1998年]]に遭難死した彼女は登頂に成功しながら下山できなかった。彼女の遺体は、彼女が倒れた場所に留まり、儀礼的に視界から隠された[[2007年]]まで、目視することができた<ref name=Nuwer/>。
 
さらに、「虹の谷 (Rainbow Valley)」と称される、頂上直下の一帯には、明るい色の登山着をまとったいくつもの遺体が散在している<ref>{{cite web |last=Parker |first=Alan |date=24 May 2012 |url=http://www.macleans.ca/society/life/everest-the-open-graveyard-waiting-above/ |title=Everest: 'The open graveyard waiting above' |website=Maclean's|accessdate=2021-04-20}}</ref>。また、南側ルートの目立つ場所にあった[[ハンネローレ・シュマッツ]]の遺体は、「ドイツ人女性 (the German woman)」という名で知られていたが、彼女は[[1979年]]に登頂に成功した後、下山の途中に標高{{convert|8200|m|ft|0}}で遭難死したのであった<ref name=dwhelga>{{cite web |url=http://blogs.dw.com/abenteuersport/helga-hengge-everest-english/ |title=Helga's Everest nightmare |website=Abenteuer Sport |publisher=DW.com |date=17 April 2013|accessdate=2021-04-20}}</ref>。彼女の遺体は、長らくその場所にあったが、その後、斜面の下へ吹き落されてしまった<ref name=dwhelga/>。
 
[[2006年]]、[[イギリス]]の登山家[[デイヴィッド・シャープ]]がグリーンブーツ・ケーブで、[[低体温症]]の状態で、登山家[[マーク・イングリス]]の一隊によって発見された。イングリスは無線でシャープを救助するにはどうしたら良いのかと助言を求めたが、何もできることはなく、そのまま頂上を目指した。その数時間後、極度の低温の中でシャープは落命した。その日には、他にもおよそ3ダースほどの登山者たちが、死にかけていたシャープの近くを通ったはずであったが、シャープを見かけた者の中にはシャープをグリーンブーツと見誤って、ほとんど注意を払わなかった者もいたと考えられている<ref name=Smithsonian/><ref name=Sharp>{{cite news |last1=Breed |first1=Allen G. |last2=Gurubacharya |first2=Binaj | url = http://english.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?menu=c10400&no=305837&rel_no=1 | title = Part II: Near top of Everest, he waves off fellow climbers: 'I just want to sleep' | date = 18 July 2006 | work = Oh My News}}</ref>。