「ラルフ・ラングニック」の版間の差分

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|画像=2019-03-30 Fußball, Männer, 1. Bundesliga, RB Leipzig - Hertha BSC StP 3705 LR10 by Stepro (cropped).jpg
|画像サイズ=220px
|画像の説明= [[RBライプツィヒ]]監督時代(2019のラングニック (20193月))
|本名=
|愛称=プロフェッソア(教授)<ref>{{Cite web |publisher=スポーツナビ |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/1011/headlines/20110318-00000008-spnavi-socc.html |title=内田所属のシャルケ04、マガト前監督の後任にラングニック氏 |date=2011-03-18 |accessdate=2011-03-23}}</ref>
|血液型=
|所属チーム名=
|ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]] (DH)
|背番号=
|利き足=
|年1=1976-1979 |クラブ1={{Flagicon|GER}} [[VfBシュトゥットガルト|シュトゥットガルト II]] |出場1= |得点1=
|代表国=
|年2=1979-1980 |クラブ2={{Flagicon|ENG}} [[サウスウィックFC|サウスウィック]] |出場2=66 |得点2=6
|代表年=
|年3=1980-1982 |クラブ3={{Flagicon|GER}} [[VfRヘイルブロン|ヘイルブロン]] |出場3=32 |得点3=0
|代表出場(得点)=
|年4=1982-1983 |クラブ4={{Flagicon|GER}} [[SSVウルム1846|ウルム]] |出場4=18 |得点4=
|年5=1983-1985 |クラブ5={{Flagicon|GER}} バックナング |出場5= |得点5=
|年6=1987-1988 |クラブ6={{Flagicon|GER}} リッポルツヴァイラー |出場6= |得点6=
|監督年1=1983-1985 |監督チーム1={{Flagicon|GER}} バックナング
|監督年2=1985-1987 |監督チーム2={{Flagicon|GER}} [[VfBシュトゥットガルト|シュトゥットガルト II]]
|監督年3=1987-1988 |監督チーム3={{Flagicon|GER}} リッポルツヴァイラー
|監督年4=1988-1990 |監督チーム4={{Flagicon|GER}} [[SCコルプ|コルプ]]
|監督年5=1990-1994 |監督チーム5={{Flagicon|GER}} [[VfBシュトゥットガルト|シュトゥットガルト]] U-19
|監督年6=1995-1997 |監督チーム6={{Flagicon|GER}} [[SSVロイトリンゲン|ロイトリンゲン]]
|監督年7=1997-1999 |監督チーム7={{Flagicon|GER}} [[SSVウルム1846|ウルム]]
|監督年8=1999-2001 |監督チーム8={{Flagicon|GER}} [[VfBシュトゥットガルト]]
|監督年9=2001-2004 |監督チーム9={{Flagicon|GER}} [[ハノーファー96|ハノーファー]]
|監督年10=2004-2005 |監督チーム10={{Flagicon|GER}} [[シャルケ04|シャルケ]]
|監督年11=2006-2011 |監督チーム11={{Flagicon|GER}} [[TSG1899ホッフェンハイム|ホッフェンハイム]]
|監督年12=2011 |監督チーム12={{Flagicon|GER}} [[シャルケ04|シャルケ]]
|監督年13=2015-2016 |監督チーム13={{Flagicon|GER}} [[RBライプツィヒ]]
|監督年14=2018-2019 |監督チーム14={{Flagicon|GER}} [[RBライプツィヒ]]
}}
'''ラルフ・ラングニック'''(Ralf Rangnick、[[1958年]][[6月29日]] - )は、[[ドイツ]]出身の元[[サッカー選手]]、同指導者、[[テクニカルディレクター (スポーツ)|スポーツディレクター]]。近年は、[[:en:Red Bull GmbH|レッドブル・グループ]]のサッカー開発部門責任者を務めている。
 
== 経歴 ==
=== 指導者への就任から2011年まで時代 ===
[[VfBシュトゥットガルト]]に在籍するも、プロにはなれなかった。アマチュアのクラブでプレーし、選手兼監督を務めることもあった。1996-97シーズンには[[SSVウルム1846]]を2部に昇格させ、[[VfBシュトゥットガルト]]の監督に抜擢された。1999-2000シーズンの[[DFBポカール|ドイツ・カップ]]準優勝、[[UEFAカップ]]ベスト16など結果を残した。
 
同年3月17日、ブンデスリーガでの成績不振により解任された[[フェリックス・マガト]]に代わって[[シャルケ04]]の監督に復帰することが発表されたが<ref>{{Cite web |publisher=Goal.com |url=http://www.goal.com/jp/news/123/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/2011/03/18/2399208/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%B1%E6%96%B0%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF |title=シャルケ新監督はラングニック |date=2011-03-18 |accessdate=2011-03-23}}</ref>、同年[[9月22日]]にバーンアウト([[燃え尽き症候群]])に陥り<ref>{{Cite web |publisher=Soccer King |url=http://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20141111/249419.html |title=元独代表GKエンケの死から5年…サッカー選手とうつ病の関係 |date=2014-11-11 |accessdate=2015-07-30}} </ref>、健康上の理由で辞任した<ref>{{Cite web |publisher=Soccer King |url=http://www.soccer-king.jp/news/germany/article/201109221810_schalke_rangnick.html |title= 内田所属のシャルケ、ラングニック監督が電撃辞任|date=2011-09-22 |accessdate=2011-09-22}}</ref>。
 
=== レッドブル傘下クラブ・開発スタッフ就任以降 ===
[[2012年]][[7月]]、飲料水[[レッドブル]]などの販売を手掛ける[[:en:Red Bull GmbH|Red Bull GmbH]]<!-- GmbHは「有限会社」の意味-->が運営する2つのクラブ、[[レッドブル・ザルツブルク]]と[[RBライプツィヒ]]の統括スポーツディレクターに就任し、指南役として両クラブのために戦術書を作って配り、「タレントに投資してさらに高く売る」という独自の移籍戦略を推し進めた。その戦術の中に「ボール奪取から8秒以内にシュートに持ち込まなければならない」という「8秒ルール」がある<ref>{{Cite web |publisher=Number |url=http://number.bunshun.jp/articles/-/811663 |title=新記録続きの攻撃力。ザルツブルクを見逃すな。~「オーストリア史上最強」は本物か~ |date=2014-04-15 |accessdate=2015-07-30}}</ref>。この「ラングニック学校」ともいうべきクラブから[[ロガー・シュミット]]や[[アレクサンダー・ツォルニガー]]、[[ペーター・ツァイドラー]]という監督を輩出した。
 
 
そして翌シーズンから予定通り[[ユリアン・ナーゲルスマン]]監督が就任し、自身はまた本来の裏方業務に戻ったが、スポーツディレクターも同時に退任<ref>{{Cite web |url=https://kicker.town/leipzig/2019/06/115654.html |title=一時代の終焉、ラングニック氏がライプツィヒを後に |publisher=キッカー |date=2019/06/05 |accessdate=2019/10/20 }}</ref>。[[2019年]]7月より、レッドブル社のサッカー開発部門責任者(Head of Sport and DevelopmentSoccer)に異動し、北米・南米方面の強化にも就いた<ref>{{Cite web |url=https://www.footballista.jp/special/75670 |title=SD退任の真意。RBライプツィヒの「育成クラブ」脱却計画 |publisher=footballista |date=2019/10/24 |accessdate=2020/5/18 }}</ref>。
 
== 戦術・ラングニック派 ==
1990年代後半のドイツ国内では3バックと[[マンツーマンディフェンス|マンマークディフェンス]]が主流であったが、当時既にラングニックは近代的な4バックと[[ゾーンディフェンス]]を採用し革新的な戦術家として注目を集めていた<ref name="Gegenpressing">{{Cite web|url=https://www.footballista.jp/special/35733|title=ラングニックは最前線たり続ける。異端者のドイツサッカー変革史|publisher=footballista|accessdate=2021年4月26日|date=2017年6月1日}}</ref>。
 
試合の展開に応じてシステムの修正を行うが、RBライプツィヒ時代には2列目の2人をより中央に寄せて配置した4-2-2-2を使用した<ref name="4-2-2-2">{{Cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/823812?page=2 |title=ドイツ2部で戦術革命が始まった!?ラングニック、衝撃の“4-2-2-2”。 |publisher=Number |accessdate=2021年4月26日 |date=2015年7月29日}}</ref>。「8秒以内にボールを奪い、10秒以内にゴールへ至る」<ref>{{Cite web |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/wfootball/2020/09/10/post_194/index_3.php |title=現代サッカーの一大派閥「ラングニック流」。その戦術を徹底分析する |publisher=Sportiva |accessdate=2021年4月26日 |date=2020年9月10日}}</ref>という本人の言葉通り、ボールを失ったタイミングで激しいプレッシングを仕掛け、高い位置で再びボールを奪取し素早くゴールに迫るという戦術コンセプトを持つ。同じドイツ人監督でハイプレスを用いた[[ユルゲン・クロップ]]と共に「ゲーゲンプレッシングの生みの親」とも称され<ref name="Gegenpressing"></ref>、ラングニック本人は自身の極端に激しいプレッシング戦術を「エクストリーム・プレッシング」と呼んでいる<ref>{{Cite web |url=https://www.footballista.jp/special/52576 |title=RBのDNAを取り戻せ!ラングニックの「エクストリーム・プレッシング」 |publisher=footballista |accessdate=2021年4月26日 |date=2018年12月19日}}</ref>。2012年にザルツブルク及びライプツィヒのSDに就任して以降、ラングニックは自身のプレッシング戦術を「レッドブル・スタイル」として確立させ<ref>{{Cite web |url=https://www.goal.com/jp/ニュース/ドイツ中で嫌われる成り上がりから真のトップクラブへライプツィヒ躍進の背景/1kw21csp0olvg1kww238b4z60z |title=ドイツ中で嫌われる成り上がりから真のトップクラブへ。ライプツィヒ躍進の背景 |publisher=Goal |accessdate=2021年4月26日 |date=2020年3月10日}}</ref>、戦術書を作成し傘下クラブに浸透させた。
 
ラングニックに師事した指導者の中でラングニックの哲学を共有する監督は「'''ラングニック派'''」と呼ばれる。[[ロガー・シュミット]]<ref name="4-2-2-2"></ref>、[[オリバー・グラスナー]]<ref>{{Cite web |url=https://www.footballista.jp/special/78319 |title=ラングニック派でも異色の策士。オリバー・グラスナーの「継承と独創」 |publisher=footballista |accessdate=2021年4月26日 |date=2020年1月14日}}</ref>、[[ユリアン・ナーゲルスマン]]<ref name="Rangnick Faction">{{Cite web |url=https://www.footballista.jp/special/75010 |title=新トレンド!? ブンデスリーガは「ラングニックリーガ」になるのか |publisher=footballista |accessdate=2021年4月26日 |date=2019年10月9日}}</ref>、[[マルコ・ローゼ]]<ref name="Rangnick Faction"></ref>、[[アドルフ・ヒュッター|アディ・ヒュッター]]<ref name="Rangnick Faction"></ref>らはラングニック派の代表格とされ、レッドブル・ザルツブルクで指揮を執った後にドイツのクラブで監督を務めている。
 
== 所属クラブ ==
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== 外部リンク ==
{{Normdaten}}
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