「ラ・ガレンヌ=コロンブ」の版間の差分

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1910年、コロンブより分離され、新しいコミューン、ラ・ガレンヌ=コロンブが誕生した。
 
1908年(あるいは1909年)中国人農業経済学者によってラ・ガレンヌ=コロンブにあっ設立され大豆加工工場オ=ソジャの工場([[:en:Caséo-Sojaïne|en]])では、中国人たちが働いていた。彼ら世界の貧困層に持続的に供給できる豆乳の生産を目的の一つとしており、また中国人従業員は中国語のコースと平行して、フランス語や科学科目のプログラムに参加できるなど中国人の新しいエリート育成も目指していた。1920年代、[[鄧小平]]がこの工場で働いていた。
 
==経済==