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OAGの創設については次のように語られている<ref>''Mitteilungen der OAG'' Band 1, Heft 1, Seite 1</ref>:
 
18733月22日<ref group="注釈">同じ日に世界一周の行程でドイツのベルリンを訪れていた岩倉使節団の一行は、皇帝の誕生日祝典に参列した。</ref>、皇帝ヴィルヘルム1世の誕生日に、江戸と横浜に住んでいたドイツ人たちはドイツ東洋文化協会を設立するために集まった。協会の目的は、個人の努力のための共通センターを作ることで、それにより一方では研究を活発にし、他方ではその結果をより多くの人たちが利用できるようにする事だった。」
 
OAGはまた東アジア研究を自らの課題とし、[[お雇い外国人]]として日本に来ていたドイツ人学者の支援を受けることができた。最初の数10年間はドイツ大使が会長を務めたが、それは施設の手配や提供において地位を重視していた日本政府と交渉するうえで大変役立った。これにより最初の大使は政治的なものを超えて日本に興味を持った。
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== 1945年以降 ==
終戦後、資産は日本側に保持された。多くのドイツ人が本国へ送還され、1945年 (ないし1948年) から1951年までの間、OAGの活動は停止された[Anm<ref 2]group="注釈">この時期にハンブルグでOAG (ドイツ東洋文化研究協会) が設立され、1926年に東京で創刊された機関誌『OAGニュース』(NOAG) を継承し、現在も活動を続けている</ref>.
 
 
1950年に資産が返還されると、それは売却され、赤坂に狭い土地を購入し、協会の新しい集会所と図書室が建てられ、1956年3月21日に落成された。1977年に[[ゲーテ・インスティテュート]]のための安価な施設を探していた連邦共和国が、OAGと協定を結んだ。それによりOAGは自由に使える新しい建物の建築資金を得ることができ、1階から3階は連邦政府が使った。OAGは4階に事務所と図書室、そして広い集会室を借りることができた。この「OAGハウス/ドイツ文化会館」は1979年から活動を開始した。OAG創立期の学術的独占はもはや過去のものとなったが、民間の学術研究機関としてOAGは日本を理解する上で重要な役割を果たしている。
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== 注釈 ==
<references group="注釈" />
同じ日に世界一周の行程でドイツのベルリンを訪れていた岩倉使節団の一行は、皇帝の誕生日式典に参列した。
In dieser Zeit wurde in Hamburg eine unabhängige OAG (Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens) gegründet, die bis heute aktiv ist und die Herausgabe der 1926 in Tokio gegründeten Zeitschrift Nachrichten der OAG (NOAG) übernommen hat.
 
== 脚注 ==
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Einzelnachweise
MOAG Band 1, Heft 1, Seite 1
Abb. in Geschichte der Gesellschaft, 1923, S. 14