「尾崎豊」の版間の差分

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|公式サイト = [http://www.ozaki.org/ YUTAKA OZAKI OFFICIAL SITE]
}}
'''尾崎 豊'''(おざき ゆたか、[[1965年]]〈昭和40年〉[[11月29日]]<ref name="off">{{Cite web |url=http://www.sonymusic.co.jp/artist/YutakaOzaki/profile/ |title=尾崎豊 プロフィール|accessdate=2016-09-09 |work=Sony Music ソニー・ミュージック公式サイト |publisher=Sony Music Entertainment Japan}}</ref> - [[1992年]]〈平成4年〉[[4月25日]]<ref name="off"/>)は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]。[[青山学院中等部・高等部|青山学院高等部]]中退<ref name="off"/>。[[血液型]][[ABO式血液型|B型]]<ref name="kyoso">[[フジテレビ系列]]「尾崎豊 〜作られた教祖〜」平成4年(1992年)6月2日放送分より</ref><ref>「尾崎豊ストーリー 未成年のまんまで」(1985年、落合昇平著、[[ソニー・マガジンズ]]、ISBN 4789701964)</ref><ref>「尾崎豊 青春の叫び BORN TO RUN」(2002年4月21日、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]])</ref>。[[身長]]178cm。既婚。息子は歌手の[[尾崎裕哉]]。兄は[[弁護士]]、[[裁判官]]の[[尾崎康]]。
 
== 概略 ==
== 死後のエピソード ==
; 死亡直後の影響
: 尾崎の死後、尾崎のアルバムが急激に売れる現象が起こり、1992年5月25日付のオリコンアルバムチャートではTOP10中6作を尾崎が占める現象が起こった(1位『[[放熱への証]]』、4位『[[回帰線 (尾崎豊のアルバム)|回帰線]]』、5位『[[十七歳の地図 (アルバム)|十七歳の地図]]』、6位『[[LAST TEENAGE APPEARANCE]]』、7位『[[壊れた扉から]]』、9位『[[誕生 (尾崎豊のアルバム)|誕生]]』。なお、TOP10外に14位『[[街路樹 (アルバム)|街路樹]]』がある)。また、同年6月16日 - 17日の初の[[日本武道館]]ライブを含む全国コンサートツアーが予定されていたが、尾崎の死によって中止となった。しかし、チケットを手元に置くファンが多かったためか、チケットの払い戻しに来る人はほとんどなかった。
: 尾崎が倒れていた東京都[[足立区]]千住河原町の民家の部屋は1人の女性ファンが毎日訪問したことをきっかけに所有者が意でファンに開放し、「尾崎ハウス」と呼ばれてファンの交流の場になっていたが、2011年10月、改築の為、ため解体された<ref>{{Cite news|title=尾崎の記憶永遠に|newspaper=[[読売新聞]]|date=2011-10-04|url=http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news2/20111004-OYT8T00284.htm|accessdate=2014-03-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111010050604/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news2/20111004-OYT8T00284.htm|archivedate=2011年10月10日}}※現在は[[インターネットアーカイブ]]に残存(掲載写真画像を除く)</ref>。
 
; 教科書への掲載
: その思想や活動、若者におけるカリスマ的人気から、中学・高校などの教育現場で長らくタブー視されてきた。死後10年以上経った現在では評価も変わってきており、高校教科書に顔写真や「15の夜」の歌詞が掲載されている(『高等学校 新倫理 - 人間とは何か 思索の糧に - 』 [[清水書院]]、[[2002年]])。『新[[カリキュラム|課程]]用 倫理用語集』([[山川出版社]]、[[2005年]])には、「尾崎豊」は用語頻度「3」で掲載され<ref group="注釈">現行教科書11種類の内、うち3種類の本に記述があること。</ref>、「1980年代に活躍し、[[夭折]]したシンガーソングライター」「自ら作詞・作曲した歌の世界に没頭しながら全身全霊をこめて歌い」というように記述されている (ISBN 4634053500)。
 
; 海外でのカバー化
 
; 遺書の公開
: 2011年11月9日、翌10日発行の[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]に「遺書」全文が公開されることが報じられた。文藝春秋の記事はジャーナリストの加賀孝英が執筆した。「遺書」と言われる文書の存在は1994年の月刊誌で報じられたが、全文掲載は初めてとなる。加賀が同年に入手していたが、尾崎の妻から「長男の[[尾崎裕哉]]が物心つくまで公表しないでほしい」と要請され、全文公開を控えていた。裕哉が成人してアーティストとしてCMで歌声を披露したことや、上述の「尾崎ハウス」が解体されたことを契機として、公開に至ったとしている<ref>{{Cite news |title=尾崎豊さんの“遺書”あった 10日発売の「文藝春秋」に掲載 「先日からずっと死にたいと…」|newspaper=[[産経新聞]] |date=2011-11-09 |url=http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111109/ent11110914340014-n1.htm |accessdate=2014-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131001042327/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111109/ent11110914340014-n1.htm |archivedate=2013-10-01}}<br />
※全2頁構成《上記リンクは第1頁を表示;[https://web.archive.org/web/20130718234531/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111109/ent11110914340014-n2.htm →第2頁]》。いずれも現在はテキスト部分のみインターネットアーカイブに残存</ref>。
: 一方、NEWSポストセブンによると、1994年に本来なら未公開であるはずの「死体検案書」が一部のマスコミに流出して他殺説が噂されたり、当時尾崎の父親が署名を集め警察に再捜査を要請したなどの経緯もあることから、父親は遺書の公開についても真偽について疑念を抱いており、「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺ではない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」と自殺であることを否定した<ref>{{Cite news |title=尾崎豊の遺書公開に実父 「本当の遺書?」「自殺じゃない」|newspaper=NEWSポストセブン |date=2011-11-18 |url=http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html |accessdate=2014-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131023230343/http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html |archivedate=2013-10-23}}《》</ref>。
 
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