「ヘルベルト・マルクーゼ」の版間の差分

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[[1933年]]から[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]の社会研究所につとめ、[[フランクフルト学派]]の一員となったが、[[1934年]]アメリカへの[[亡命]]を余儀なくされ、[[1940年]]に[[帰化]]した。[[第二次世界大戦]]中はアメリカの対[[ナチス]]政策に協力した。
 
1952年から[[コロンビア大学]]で政治哲学の教授として教鞭を執り、[[1954年]]から[[1965年]]まで[[ブランダイス大学]]の教授、1965年からは[[カリフォルニア大学サンディエゴ校]]の教授。1969年に『解放論の試み』を出版し、アジア・アフリカの解放には、共産勢力の強化より、資本主義国の弱体化が必要と訴えた<ref>[http://ci.nii.ac.jp/naid/40020500129 ジョン・ダワーのノーマン再評価で日本悪玉論拡散]岡部伸、『歴史通』2015.7月号</ref>。
 
「[[否定]]の哲学」を根底に据え、[[1960年代]]の[[新左翼]]の父と呼ばれる<ref>Douglas Kellner. [http://www.uta.edu/huma/illuminations/kell12.htm "Illuminations: Kellner"]. Retrieved October 1, 2012.</ref>。
[[Category:アメリカ合衆国の反資本主義者]]
[[Category:フランクフルト学派]]
[[Category:コロンビア大学の教員]]
[[Category:カリフォルニア大学サンディエゴ校の教員]]
[[Category:ドイツの亡命者]]