「ウスタシャ」の版間の差分

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この期間中に70~100万人ものセルビア人が殺害されたと言われているが、正確な数ははっきりしていない。一方、セルビアも「[[チェトニック]]」と呼ばれる組織がクロアチア人を迫害していた。
 
旧ユーゴスラビア王国政府関係者の抵抗組織としては「チェトニック」が存在したが、セルビア人が主流であり、旧体制と同じく様々な問題を抱えた組織であった。士気が低い彼らに代わりユーゴを解放したのは、闘士[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]率いる[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]の闘士[[ヨシップ・ブロズ・チトー(人民解放軍)]]であった。
 
1945年にクロアチア独立国は崩壊し、行き場を失ったパヴェリッチは南米およびスペインへ亡命する。そこでフランコ独裁政権の保護を受けながら、新生ユーゴ領内やヨーロッパ各地に潜伏しているウスタシャ残党と連絡を取り合い、再び祖国復権の夢を実現させようとしたが、1957年に襲撃を受けて重傷を負い、2年後に死亡した。