「遠山荘」の版間の差分

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*中心地は地頭[[遠山氏]]の居城[[岩村城]]。
*[[恵那郡]]の中でも、[[蛭川村]]の和田川以西、[[中野方村]]・[[笠置村 (岐阜県)|笠置村]]は[[蘇原荘]]に属していた。
*現在の[[馬籠]]付近が遠山荘と[[小木曾荘]]との境界になっていたようである。
 
=== 規模 ===
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*[[建久]]6年([[1196年]])に源頼朝の重臣の加藤景廉が功績により拝領。(遠山譜)
「美濃国恵那郡遠山庄事 右為勲功之賞遠山加藤次景廉所充行也者 早令領知可被専所務之状如件 建久六乙卯年三月三日頼朝判」
*その後、長男が[[遠山景朝]]と称し遠山氏の初代となり、子孫が遠山荘内に分かれて繁栄した
*現在の[[馬籠]]付近が遠山荘と[[小木曾荘]]との境界になっていたようである。
 
 
== 関連項目 ==