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|birth_place = {{JPN}}・[[東京府]][[東京市]][[四谷区]]四谷箪笥町59番地(現:東京都[[新宿区]][[四谷三栄町]])
|death_date = {{死亡年月日と没年齢|1909|5|5|1942|12|4}}
|death_place = {{JPN}}・東京府東京市[[世田谷区]][[世田谷 (世田谷区)|世田谷]](現:東京都世田谷区世田谷一丁目32番18号)<!-- 昭38・79民事甲1974号において、「横書きの場合は」アラビア数字を用いて良いとある為表記上の問題はないが、こちらにおいては漢数字が丁目の正式表記かつ正式表記であれば字丁目との区別も付く為、アラビア数字にするメリットはないと判断 --><br />岡田病院(現:[[世田谷中央病院]])
|resting_place = [[多磨霊園]]
|occupation = [[小説家]]、[[教員]]
<!--|footnotes = -->
}}
'''中島 敦'''(なかじま あつし、[[1909年]]([[明治]]42年)[[5月5日]] - [[1942年]]([[昭和]]17年)[[12月4日]])は、[[日本]]の[[小説家]]。代表作は『[[山月記]]』『[[光と風と夢]]』『[[弟子 (小説)|弟子]]』『[[李陵 (小説)|李陵]]』など<ref name="senuma">[[瀬沼茂樹]]「解説」({{Harvnb|李陵|2003|pp=207-215}})</ref><ref name="higami">[[氷上英廣]]「解説」({{Harvnb|山月記|1994|pp=401-419}})</ref><ref name="hino">[[日野啓三]]「文学という恩寵」({{Harvnb|ちくま3|1993|pp=461-472}})</ref>{{Sfn|勝又|2009|pp=38-43}}。[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]、[[東京大学|東京帝国大学]]を卒業後、[[横浜学園高等学校|横浜高等女学校]]の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、[[パラオ]][[南洋庁]]の[[官吏]](教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の[[気管支喘息|喘息]]悪化のため33歳で病没<ref name="nenpu-s">「年譜」({{Harvnb|李陵|2003|pp=216-218}})</ref><ref name="nenpu-chi">「中島敦年譜」({{Harvnb|ちくま3|1993|pp=445-459}})</ref>。死後に出版された全集は[[毎日出版文化賞]]を受賞した<ref name="nenpu-chi"/>{{Sfn|佐野|2013|p=44-54}}。
 
その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした[[私小説]]的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが<ref name="senuma"/><ref name="kaidai1">勝又浩「解題」({{Harvnb|ちくま1|1993|pp=477-488}})</ref><ref name="kaidai2">勝又浩「解題」({{Harvnb|ちくま2|1993|pp=547-560}})</ref><ref name="kaidai3">勝又浩「解題」({{Harvnb|ちくま3|1993|pp=473-485}})</ref>{{Sfn|川村|2009b|pp=2-3}}、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている<ref name="senuma"/><ref name="higami"/><ref name="hino"/>。
 
特に遺作となった『李陵』の評価は高く、死後に名声を上げた作品のひとつとして知られている{{Sfn|勝又|2004|pp=153-154}}{{Sfn|吉田|1984|pp=155-156}}<ref name="senuma"/>。また、『山月記』は雑誌『[[文學界]]』に掲載されたことで中島敦の名を初めて世間に知らしめた作品であり<ref name="senuma"/>、のちに新制[[高等学校]]の[[国語 (教科)|国語教科書]]に広く掲載され、多くの人々に読み継がれている{{Sfn|勝又|2004|pp=112-113}}。なお、自筆資料や遺品は[[神奈川近代文学館]]の「[[#神奈川近代博物館・中島敦文庫|中島敦文庫]]」に所蔵されている{{Sfn|川村|2009b|pp=14-15}}{{Sfn|宝島社|2009}}{{R|生誕100年|特別展2019}}。
 
== 生涯 ==
続けて「ツシタラの死」を編集者の要請で「[[光と風と夢]]」と題名変更し『文學界』5月号に発表し、昭和17年度上半期の[[芥川龍之介賞|芥川賞]]候補となる{{Sfn|勝又|2004|pp=71-72}}。しかし、同作品は[[室生犀星]]と[[川端康成]]の2人の選考委員が高く評価したのみで、ほかの選考委員からの支持が得られず落選する{{Sfn|勝又|2004|pp=71-72}}。とはいえ、「光と風と夢」の掲載後、[[筑摩書房]]、[[中央公論社]]、今日の問題社の3社から中島の作品集を出版したいという申し出があった<ref name="kaidai2"/>。
 
5月、小康状態になった敦の元へ、筑摩書房の[[古田晁]]、中央公論社の[[杉森久英]]の訪問があり、作品集の出版が決まった(中央公論社には第三創作集(「弟子」を含む予定で)の約束をする){{sfn|森田|1995|p=128}}<ref name="nenpu-chi"/><ref name="kaidai2"/>。7月に第一創作集『光と風と夢』が出版され{{Sfn|勝又|2004|pp=71-72}}、その印税で妻子に着物を買った<ref name="nenpu-chi"/>。8月に南洋庁に辞表を提出し(9月に正式辞令が下り)、専業作家生活に入った<ref name="nenpu-chi"/><ref name="mondai">{{Cite webjournal|和書 |urlauthor=http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/594PDF/hasimoto.pdf橋本正志 |title=旧南洋群島における国語読本第5次編纂の諸問題--その未完の実務的要因を中心に |journal=立命館文學 |accessdateissn=20180287-11-297015 |publisher=立命館大学文学部}}{{Naid|year=2006 |month=mar |issue=594 |pages=1208-1200 |naid=40007264642 |url=http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/594PDF/hasimoto.pdf |format=PDF |accessdate=2018-11-29}}</ref>。
 
11月には第二創作集『南島譚』が出版されるも、同月に持病の[[気管支喘息]]悪化と服薬の影響で心臓もかなり衰弱し、世田谷の岡田医院に入院{{sfn|森田|1995|p=134}}{{Sfn|村山|2002|pp=128-139}}。12月4日の午前6時に同院で死去した{{R|nenpu-s|nenpu-chi}}。33歳没{{R|磯田ほか編1988|大塚2015}}。涙をためながら「書きたい、書きたい」「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい」と言ったのが最期の言葉だったと伝えられている{{Sfn|勝又|2004|p=74}}{{Sfn|村山|2002|pp=128-139}}。
=== 中国古典からの影響 ===
[[画像:Half Portraits of the Great Sage and Virtuous Men of Old - Zhong You Zilu (仲由 子路).jpg|thumb|孔子の弟子の[[子路|仲由子路]]。中島敦の『[[弟子 (小説)|弟子]]』は、子路と孔子の関係性を描いた作品である{{Sfn|勝又|2004|pp=172-176}}。]]
中島敦は漢文古典に対する素養が深く、漢文的な硬質な文体を特徴とするとともに、中国古典を下敷きとして自らの小説を創作した作家であるということがまず第一の側面としてある{{Sfn|川村|2009b|pp=2-3}}<ref name="higami"/>。そのため、同じように古典を素材にして小説を書いた[[森鷗外]]・[[芥川龍之介]]の流れを汲んでいる知識人・文人的な作家ととらえられているが{{Sfn|川村|2009b|pp=2-3}}、中島には芥川のような[[シニシズム]]で脚色する傾向はなく、たとえば『[[弟子 (小説)|弟子]]』では子路の人物や性行を愛して描き出している<ref name="senuma"/>。なお、この子路の純粋な没利害性や、己の信念に準じた性格のモデルは、伯父の中島斗南だということがしばしば指摘されている<ref name="reirei">{{Harvnb|郭玲玲|2015}}</ref>。中国古典を下敷きにした『[[山月記]]』『弟子』『[[李陵 (小説)|李陵]]』などは中島敦の作品の代表的なものとして認知度が高く{{Sfn|川村|2009b|pp=2-3}}、その中でも、『李陵』が中島文学の中のもっとも優れた作品であると評価される傾向がある{{Sfn|勝又|2004|pp=153-154}}{{Sfn|吉田|1984|pp=155-156}}<ref name="higami"/>。
 
ただし、素直に漢文の教養を活かした創作にいたるまでは、反発や試行錯誤があり<ref name="higami"/>、古典を踏まえて作品を作るという手法が取り入れられ、またその文体が成立したのは『古譚』4編以降のことであると考えられている{{Sfn|小沢|2009|p=140}}。それ以前の未完の長編『北方行』は当時の現代中国を描こうとしたものであり{{Sfn|川村|2009b|pp=2-3}}、自己検証をテーマにした[[私小説]]としての性格を持ったものだった{{Sfn|勝又|2009|pp=40-43}}<ref name="kaidai1"/><ref name="kaidai3"/>。『北方行』の執筆を断念し、その草稿をほかの作品に転用した後、中島敦は直接的な私小説の手法ではなく、遠い過去の時代を舞台にした『古譚』4篇などや<ref name="chihei1-2">「新しき地平1・2」({{Harvnb|渡邊|2005|pp=95-117}})</ref>、『弟子』『李陵』のような、歴史上の人物を通して人間を描く方法をとるようになっていったのである{{Sfn|勝又|2009|pp=40-43}}。そして、それらの運命的な人物たちに自身の内面性や死を投影させている<ref name="hino"/>。
=== 主要な家族・親族 ===
以下、その他の家族・親族も含め主要な人物を列記する。基本情報や生年没年月日の出典は<ref name="kakei"/><ref name="nenpu-chi"/>{{Sfn|村山|2002|pp=8-90}}<ref name="chiyo">{{Harvnb|田鍋|1989|pp=170-171}}</ref>。
; 祖父・[[中島撫山|中島慶太郎]](中島撫山)
:[[1829年]]5月14日([[文政]]12年4月12日)生 - [[1911年]]([[明治]]44年)6月24日没
:[[亀田鵬斎]]門下の五俊秀と称され、[[埼玉県]][[南埼玉郡]][[久喜市#旧久喜町|久喜町]]に開いた漢学塾「幸魂教舎」の門弟は千数百人にのぼる<ref name="nenpu-chi"/>。慶太郎の父は、中島清右衛門(良雅)<ref name="kakei"/>。異母弟には画家の中島杉陰がいる{{Sfn|村山|2002|pp=55-56}}。
:先妻・紀玖との間に、長男・靖(号は綽軒)を儲け、紀玖が安政の大地震で死去したあとは、後妻・きく(敦の祖母)との間に、六男四女(ふみ、端蔵、辣之助、美都、若之助、開蔵、志津、田人、比多吉、うら)を儲けた(美都は早世){{Sfn|村山|2002|p=8}}<ref name="kakei"/>。撫山の墓は[[神道|神式]]で埼玉県久喜市の[[光明寺 (久喜市)|光明寺]]にある<ref name="jikan1"/>。
; 父・中島田人
:[[1874年]](明治7年)5月5日生 - [[1945年]](昭和20年)3月9日没
:慶太郎ときくの五男(慶太郎にとっては六男)<ref name="kakei"/>。
:父や兄(端や竦)のもと幸魂教舎で学び、1902年(明治35年)5月に[[文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験|検定試験]](漢文科)に合格し漢文科教員の免許を取得したあと、兄たちの関わった明倫館をはじめ複数の学校で教員を務めた{{Sfn|村山|2002|pp=91-95}}<ref name="nenpu-chi"/>。
:田人自身は息子の敦に漢文を教えてはいなかった{{Sfn|村山|2002|pp=91-95}}。敦の多感なころは親子の折り合いはよくなかったとされ<ref name="pool"/>{{Sfn|村山|2002|pp=96-107}}、2人目の継母がやって来た当初、父に反抗的な態度をとってひどく殴られたことなどが習作草稿の「プールの傍で」で描かれている<ref name="pool"/>{{Sfn|村山|2002|pp=96-107}}。当時の敦の同級生・小山政憲も「中島君の家庭的な不幸は誰でもよく知っていた」と語っている<ref name="koya"/>{{Sfn|村山|2002|pp=96-107}}。しかしながら、継母の死去後、敦の病没の直前には漢籍について家で話すなど関係が改善していたという{{Sfn|村山|2002|pp=91-95}}。田人は敦に他人行儀な接し方をしていたが、敦が自慢の種で他の者にはいつも「敦は、敦は」と子煩悩な面を見せていた{{Sfn|村山|2002|pp=91-95}}。敦の死後はすっかり意気消沈し、吾子を失った悲しみの歌を残している{{Sfn|村山|2002|pp=91-95}}。
; 母・チヨ
:[[1885年]](明治18年)11月23日生 - [[1921年]](大正10年)7月3日没
:旧姓名は岡崎千代子。実家は[[東京市]][[四谷区]]箪笥町。元小学校教員<ref name="nenpu-chi"/>。大変な才女で敦の優秀さは中島の家系のみではないとも言われる{{Sfn|村山|2002|pp=91-95}}。敦を背中に背負ったまま撫山の素読を聞いていたという話が残っている。田人との離婚の原因は家事が不得手だったからともチヨに不貞があったからとも言われる{{Sfn|村山|2002|p=96}}。離婚後も復縁を望み田人も許していたが、敦の伯母・志津や伯父・端の反対で叶わなかった<ref name="hashit"/>{{Sfn|森田|1995|p=18}}。のちに桜庭氏と再婚し幸雄を儲ける<ref name="kakei"/>。敦12歳の年、敦の写真を抱いて病死したという<ref name="chiyo"/>。敦の異父弟にあたる桜庭幸雄は[[詩人]]で、NHKを定年退職後、若いころから書き溜めていた作品を纏めた詩集3冊や俳句集を出版<ref name="chiyo"/><ref>武内雷龍『夏雲』(海象社、2012年5月)</ref>。幸雄の次男の顔は敦に似ているという<ref name="chiyo"/>。
; 異母妹・澄子
:[[1923年]](大正12年)3月11日生 - 没年不明
:父・田人と継母・カツの長女。折原氏と結婚し、一(いち)を儲ける。敦の甥にあたる、この[[折原一]]は小説家{{R|川村2009}}である<ref name="kakei"/>。澄子は兄・敦の死後に、回想文として「兄と私」(1976年筑摩書房版『中島敦全集 第一巻』月報1)や{{Sfn|村山|2002|pp=91-95}}、「兄のこと」(1989年)<ref name="anino">{{Harvnb|田鍋|1989|pp=225-228}}</ref>、「兄敦の思い出」(2009年久喜・中島敦の会『中島敦と私 ― 中島敦生誕100年記念 ―』)を記している{{R|久喜2009}}。
:[[1852年]]10月27日([[嘉永]]5年9月14日)生 - [[1906年]](明治39年)6月19日没
:慶太郎と紀玖の長男<ref name="kakei"/>。結婚し子を6人儲ける<ref name="kakei"/>。靖の長女・婉(敦の従妹)の二女・長根翠(敦の3歳下)や翠の友人・藤井とし子と敦は親しくしていた<ref name="nagane">{{Harvnb|田鍋|1989|pp=204-206}}</ref>。
; 伯母・ふみ
:[[1857年]]6月19日([[安政]]4年5月28日)生 - [[1943年]](昭和18年)2月18日没
:慶太郎ときくの長女<ref name="kakei"/>。医師の河野氏と結婚{{Sfn|村山|2002|p=87}}。-->
; 伯父・端(中島斗南)
:[[1859年]]2月28日(安政6年1月26日)生 - [[1930年]](昭和5年)6月13日没
:幼名は端蔵(たんぞう)。慶太郎ときくの長男(慶太郎にとっては次男)<ref name="kakei"/>。生涯独身<ref name="tonan">中島敦「斗南先生」(1933年9月執筆)。{{Harvnb|ちくま1|1993|pp=51-88}}</ref>。俊才ながらも奇人的な人となりは敦の私記である記録作品『[[斗南先生]]』で描かれている<ref name="higami"/>。外交問題を研究するため大陸にもしばしば単独で渡り、[[羅振玉]]や汪康年らと意見交換などしていた{{Sfn|村山|2002|pp=60-70}}。『支那分割の運命』という「我に後来[[白人]]を[[東亜]]より駆逐せんの絶大理想あり」「我は進んで支那民族分割の運命を挽回せんのみ。四万々生霊を水火塗炭の中に救はんのみ」と述べている著書を1912年10月に[[政教社]]から刊行<ref name="tonan"/><ref name="kaidai1"/>{{Sfn|村山|2002|pp=60-70}}。死後は、詩文集『斗南存稾』が弟伯父・[[中島竦]]の編纂で文求堂書店から1932年10月1日に刊行された<ref name="tonan"/><ref name="kaidai1"/>。詩文のほか、30歳のときには小説も書き、「肌香夢史(はだかむし)」という筆名で『野路乃村雨』という作品を出版したこともあった{{Sfn|村山|2002|pp=156-165}}{{Efn|斗南の小説『野路乃村雨』は、[[保安条例]]に反対し皇居外3里の地に追放された病弱の青年を主人公にしたもので、有為の青年が悲運に陥る内容となっている{{Sfn|村山|2002|pp=156-165}}。}}。
:斗南は敦のことを甥の中で一番気に入り信頼・期待していた<ref name="tonan"/>{{Sfn|川村|2009b|pp=4-10}}。敦は多くの親戚からこの斗南伯父の気質に似ていると言われ、特に年上の従姉妹から斗南伯父のようにならなければいいが、と会うたびに言われていたことが『斗南先生』に書かれている<ref name="tonan"/>。
; 伯父・[[中島竦|竦]](中島玉振)
:[[1861年]]6月29日([[文久]]元年5月22日)生 - [[1940年]](昭和15年)6月11日没
:幼名は辣之助(しょうのすけ)。慶太郎ときくの次男(慶太郎にとっては三男)<ref name="kakei"/>。生涯独身。『斗南先生』の中で、中島斗南とは違った趣を持つ人物として少し描かれるが、「(2人の伯父は)共に[[童貞]]にだけしか見られない浄らかさを持って」と書かれている<ref name="tonan"/>。髪を[[源義経|牛若丸]]のように結い、二[[尺]](60センチ)近くの長い白髯をたくわえていた物静かな人物<ref name="tonan"/>。敦はこの玉振伯父と親しく、将棋を指すために伯父の家に数日間滞在することもあったという{{Sfn|勝又|2004|pp=7-8}}。また、敦の次男・格の名付け親も竦であった{{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}。
; 伯父・翊(関翊)
:[[1866年]]1月21日([[慶応]]元年12月5日)生 - [[1953年]](昭和28年)8月18日没
:「たすく」と読む。幼名は若之助。慶太郎ときくの三男(慶太郎にとっては四男)<ref name="kakei"/>。小学校教師を経て、[[プロテスタント]]派の[[牧師]]となった{{Sfn|村山|2002|pp=80-84}}。旧幕臣・関巳吉の娘と結婚し養子縁組で「関」姓となり、二男を儲ける<ref name="kakei"/>{{Sfn|村山|2002|pp=80-84}}。関翊は『斗南先生』の中で「渋谷の伯父」として出てくる<ref name="tonan"/>。
; 伯父・開蔵(山本開蔵)
:[[1868年]]3月8日(明治元年2月15日)生 - [[1958年]](昭和33年)4月18日没
:慶太郎ときくの四男(慶太郎にとっては五男)。3歳のときに久喜市の山本家の養子となる。[[海軍省]]に入り技術中将となった{{Sfn|村山|2002|pp=84-86}}。結婚し二男五女を儲ける<ref name="kakei"/>。山本開蔵は『斗南先生』の中で「洗足の伯父」として出てくる<ref name="tonan"/>。
; 伯母・志津
:[[1871年]]5月28日(明治4年4月10日)生 - 1958年(昭和33年)8月20日没
:慶太郎ときくの次女。[[浦和高等学校 (旧制)|浦和高等女学校]]の国語教師として勤務した<ref name="anino"/>{{Sfn|村山|2002|p=87}}。1度結婚したが1日だけで帰ってきて以来独身<ref name="anino"/>。1925年(大正14年)ごろは京城女学校に勤務<ref name="nenpu-chi"/>。敦の1人目の継母が亡くなり、赤ん坊の澄子の世話のため京城に来たという<ref name="anino"/>。中学時代、敦は父の転勤の際、京城に住む志津の家に寄寓したことがある<ref name="nenpu-chi"/>。敦は志津を「浦和の伯母」と呼び、1941年(昭和16年)に借りているお金を毎月50円ずつ返済していることが父への書簡に記されている<ref name="sho99"/>。これは、2人目の継母・コウが浪費し呉服店などの支払いを滞らせていたため、敦が工面し伯母から借りたものだったという<ref name="hashit"/>。
; 叔父・比多吉
:[[1876年]](明治9年)11月23日生 - [[1948年]](昭和23年)12月4日没
:慶太郎ときくの六男(慶太郎にとっては七男)。結婚し二男五女を儲ける<ref name="kakei"/>。[[東京外国語学校 (旧制)|東京外国語学校]]支那語科を卒業し、[[早稲田大学]]の講師となったあと、陸軍で中国語の翻訳・通訳を担当し、[[満州国|満州]]政府では中枢官僚として勤務{{Sfn|村山|2002|pp=87-90}}。皇帝[[愛新覚羅溥儀|溥儀]]の側近となり溥儀の日本訪問にも同行した{{Sfn|村山|2002|pp=87-90}}。1932年ごろには[[旅順口区|旅順]]にいた<ref name="nenpu-chi"/>{{Sfn|村山|2002|pp=87-90}}。敦は、比多吉の長女で2歳年下の褧子(あやこ)と親しく、はっきり結婚の約束はしていなかったが互いに愛情を持っていた<ref name="ayako"/><ref name="nenpu-chi"/>。比多吉の縁故で敦も教員退職後、満州に行く話もあったが、寒地での勤務に耐えられそうにないと断っている{{Sfn|村山|2002|pp=87-90}}。
<!--;叔母・うら
:[[1880年]](明治13年)11月8日生 - [[1981年]](昭和56年)3月24日没
:慶太郎ときくの三女。久喜近在の塚本氏と結婚し一男(盛彦)を儲ける<ref name="kakei"/>{{Sfn|村山|2002|p=90}}。6歳年下の従弟の盛彦は、敦が父のいる朝鮮に渡る時に1人では不安とのことで、夏休みを利用し付き添ったという<ref>{{Harvnb|田鍋|1989|pp=171-172}}</ref>。 -->
; 妻・タカ
:[[1909年]](明治42年)11月11日生 - [[1984年]](昭和59年)10月2日没
:旧姓は橋本。郷里は[[愛知県]][[碧海郡]][[依佐美村]]字高棚新池。父・橋本辰次郎の三女<ref name="nenpu-chi"/>。高等小学校を卒業後、従兄を頼って15歳で上京。
**秋 - 氷上英廣、[[吉田精一]]、[[釘本久春]]らとともに季刊同人誌『しむぽしおん』(翌年夏まで4冊発行)をおこす<ref name="nenpu-s"/><ref name="nenpu-chi"/>。
* [[1930年]](21歳)
** 1月 - 『校友会雑誌』に「D市七月叙景(1)(1)」を発表<ref name="nenpu-chi"/>。
** 3月 - 第一高等学校を卒業。9日に三つ子の妹・睦子が大連で病死(享年4)<ref name="nenpu-chi"/>。
** 4月 - [[東京大学|東京帝国大学]][[日本文学|国文学]]科に入学{{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}<ref name="nenpu-chi"/>。
* [[1931年]](22歳)
** 3月 - 橋本タカと初めて会う。父・田人が中島家の家督相続人となる<ref name="nenpu-chi"/>。
** 10月 - 大連の中学校を退職した父親が東京に戻ったため、[[荏原郡]][[駒沢町]]大字上馬の借家で父母と同居する<ref name="nenpu-chi"/>。この年から翌春にかけ、卒論準備として[[上田敏]]、[[森鷗外]]、[[正岡子規]]の全集を読む<ref name="nenpu-chi"/>。
* [[1932年]](23歳)
** 春 - 橋本タカとの結婚話が固まる<ref name="nenpu-chi"/>。
** 1月 - 祖父・撫山の著書『演孔堂詩文』(私家版、1931年刊) と、伯父・斗南の遺稿詩文集『斗南存稾』([[中島竦]]編纂、文求堂書店、1932年10月刊)を東京帝国大学附属図書館に寄贈<ref name="nenpu-chi"/>。
** 3月 - 東京帝国大学文学部国文科を卒業{{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}<ref name="nenpu-chi"/>。
** 4月 - 同大学[[大学院]]に進む{{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}。研究テーマは「[[森鷗外]]の研究」{{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}<ref name="nenpu-chi"/>。同月、私立横浜高等女学校(現:[[横浜学園高等学校]])に[[国語 (教科)|国語]]と[[英語 (教科)|英語]]の教師として赴任し{{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}<ref name="nenpu-chi"/>、横浜市[[中区 (横浜市)|中区]][[長者町 (横浜市)|長者町]]のモンアパートに単身で移る(5月からは[[山下町 (横浜市)|山下町]]へ移る)<ref name="nenpu-chi"/>。父母は[[世田谷区]][[世田谷 (世田谷区)|世田谷]]1-124に転居<ref name="nenpu-chi"/>。
** 4月28日 - 長男・桓(たけし)が橋本タカの郷里・愛知県[[碧海郡]][[依佐美村]]で出生(届出は12月){{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}<ref name="nenpu-chi"/>。
** 6月 - 3年前逝去した伯父・中島端を題材にした「斗南先生」を脱稿<ref name="nenpu-chi"/>。このころから「北方行」が執筆開始。秋には文芸研究会創設に参画<ref name="nenpu-chi"/>。
** 3月 - 東京出張の許可が出て、土方久功とともに帰国{{sfn|森田|1995|p=120}}<ref name="nenpu-chi"/>。妻子の待つ世田谷の父・田人の家に戻り療養するも、気候激変で激しい喘息と気管支カタルを発し、同区の岡田医院(現・世田谷中央病院)で診察治療を受ける{{sfn|森田|1995|p=122}}<ref name="nenpu-chi"/>。
** 5月 - 「[[光と風と夢]]――五河荘日記抄」を『文學界』に発表、第15回(昭和17年度上半期)[[芥川龍之介賞|芥川賞]]候補となる{{Sfn|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}}<ref name="nenpu-chi"/>。同月、「悟浄出世」を完成させ、「弟子」を執筆<ref name="nenpu-chi"/>。[[筑摩書房]]の[[古田晁]]、[[中央公論社]]の[[杉森久英]]が来訪し、作品集出版の勧めを受ける<ref name="nenpu-chi"/>。この月、健康のために横浜へ帰り住むべく知友に家探しを依頼<ref name="nenpu-chi"/>。
** 7月 - 7日に第一創作集『光と風と夢』を筑摩書房より刊行<ref name="nenpu-chi"/><ref>{{NcidNCID|BA44738108}}</ref>。
** 8月 - 南洋庁に辞表を提出(南洋庁から正式に辞令が下ったのは9月7日付)<ref name="mondai"/><ref name="nenpu-chi"/>。専業作家生活に入る<ref name="nenpu-chi"/>。
** 9月 - 第二創作集のための原稿を出版社(今日の問題社)に渡す。
** 8月 - 盧錫台による中国語訳で[[上海]]の太平出版公司から『李陵』が刊行<ref name="nenpu-chi"/>。
* [[1949年]] - 『中島敦全集』(筑摩書房出版)が第3回[[毎日出版文化賞]]を受賞<ref name="nenpu-chi"/>。
* 1993年 -
** 1月 - 元日に、当時の著作権法下で作者の没50年が経過し、作者の[[著作権]]が消滅し[[パブリックドメイン]]となった。
 
!rowspan="2"|
|-
|align="center"|[[虎狩]]||[[1934年]]2月頃脱稿||京城中学校の生徒である「私」が、[[両班]]出身の朝鮮人同級生に誘われて虎狩りに行く{{Sfn|小谷|2019|pp=21-24}} 。<br />1934年7月に『中央公論』の懸賞に応募し選外佳作となった作品<ref name="nenpu-s"/>{{Sfn|小谷|2019|pp=21-24}}{{Efn|当選作は[[島木健作]]「盲目」、[[丹羽文雄]]「贅肉」などだった<ref name="kaidai1"/>。}}。
|-
!rowspan="3"|過去帳
|align="center"|[[盈虚]]||1941年4月頃脱稿と推察<br />1942年7月『政界往来』掲載||『[[春秋左氏伝]]』を素材に、[[衛]]の[[荘公蒯聵|壮公]]の破滅を描く{{Sfn|西谷|1977|pp=28-33}}。<br />初出時の原題は「或る古代人の半生」<ref name="kaidai2"/>。
|-
|align="center"|[[牛人]]||同上||『春秋左氏伝』を素材に、 [[魯]]の[[大夫]]・叔孫豹の餓死を描いた作品。<br />「盈虚」「牛人」2篇からなる「古俗」は、元々は「古譚」4篇と同じ系列で「古譚」6篇だったのではないかと推察されている<ref name="kaidai2"/>{{Efn|[[深田久弥]]の回想文中に「古譚六篇」という言い方がなされ、編集者(今日の問題社の)がこの「盈虚」「牛人」2篇を「古譚」と呼んでいたことから<ref name="kaidai2"/>。}}。
|-
!rowspan="2"|
!rowspan="10"|歌稿 その他
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|align="center"|[[和歌でない歌]]||1937年11月・12月執筆<br />[[1947年]]4月<br />『藝術』第3号掲載(抜粋){{Efn|「石とならまほしき夜の歌」から6首、「また同じき夜によめる歌」、「夢」から7首が掲載された<ref name="kaidai1"/>。『藝術』は八雲書店の季刊雑誌<ref name="kaidai1"/>。}}|| [[和歌集|歌集]]。「遍歴」「憐れみ讚ふるの歌」「石とならまほしき夜の歌  八首」「また同じき夜によめる歌 二首」「夢」「夢さめて再び眠られぬ時よめる歌」「放歌」からなる。
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|align="center"|河馬||1937年11月・12月執筆||歌集。「河馬の歌」「狸」「黒豹」「マント狒」「白熊」「眠り獅子の歌」「仔獅子」「駱駝」などからなる。
!書籍名!!出版社!!出版年月!!Ncid !!style="width:35%"|収録作品
|-
|align="center"|第一創作集<br />『光と風と夢』||[[筑摩書房]]||1942年7月15日||{{NcidNCID|BA44738108}}。||「古譚」(狐憑、木乃伊、[[山月記]]、[[文字禍]])、「[[斗南先生]]」、「[[虎狩]]」、「[[光と風と夢]]」
|-
|align="center"|第二創作集<br />『南島譚』<br />(新鋭文学選集2) ||今日の問題社||1942年11月15日||{{NcidNCID|BA69658009}}。||「南島譚」(幸福、夫婦、雞)、「[[環礁 (紀行)|環礁―ミクロネシヤ巡島記抄―]]」(寂しい島、夾竹桃の家の女、ナポレオン、真昼、マリヤン、風物抄)、「[[わが西遊記]]」([[わが西遊記|悟浄出世]]、[[わが西遊記|悟浄歎異―沙門悟浄の手記―]])、「古俗」([[盈虚]]、[[牛人]])、「過去帳」([[かめれおん日記]]、[[狼疾記]])、「[[名人伝]]」
|-
|align="center"|『李陵』||小山書店||1946年2月||{{NcidNCID|BN11436604}}。||「李陵」、「弟子」
|-
|align="center"|『わが西遊記』||京北書房||1947年9月||{{NcidNCID|BA69612110}}。||「悟浄出世」、ほか4篇
|-
|align="center"|『李陵』<br />原稿復刻版<br />(手稿の複製)||[[文治堂書店]]||1980年11月||{{NcidNCID|BN05292204}}。||「李陵」(清書原稿)、「李陵」(草稿)、「章魚木の下で」(清書原稿)<br />[[氷上英廣]]、[[中村光夫]]の寄稿文もあり。
|}
 
; 【全集】
* [[筑摩書房]]版『中島敦全集』
**全3巻、1948年10月 - 1949年6月刊 {{NcidNCID|BN04708577}}(第3回[[毎日出版文化賞]]受賞{{Sfn|川村|2009a|p=341}}{{Sfn|佐野|2013|p=44-54}})
**全3巻、1976年3月 - 9月刊 {{NcidNCID|BN00960949}}
**全3巻・別巻1冊、2001年10月 - 2002年5月刊 {{NcidNCID|BA54121705}}
* [[文治堂書店]]版『中島敦全集』 ※「李陵」の完全翻刻版が収録
**全4巻・補巻1冊、1959年6月 - 1961年4月刊 {{NcidNCID|BN08357543}}
**改訂第2版・1963年1月刊 {{NcidNCID|BN11560760}}
 
; 【文庫】
* [[ちくま文庫]]版『中島敦全集』全3巻、1993年1月・3月・5月 {{NcidNCID|BN09199379}}
* ※文庫作品集『李陵・山月記・名人伝 ほか』は、[[新潮文庫]]<ref>{{NcidNCID|BN05129699}}、{{NcidNCID|BN06143072}}、{{NcidNCID|BB24172205}}、{{NcidNCID|BA68348414}}。</ref>、[[角川文庫]]<ref>{{NcidNCID|BA70007416}}、{{NcidNCID|BA40218296}}。</ref>で改版をはさみ重版。没後半世紀を経て、[[岩波文庫]]<ref>{{NcidNCID|BN11077727}}、同ワイド版{{NcidNCID|BA61218589}}</ref>、[[文春文庫]]<ref>{{NcidNCID|BB13078034}}、旧版{{NcidNCID|BA42018855}}</ref>、[[集英社文庫]]、[[角川春樹事務所|ハルキ文庫]]<ref> 集英社文庫{{NcidNCID|BN14394668}}、ハルキ文庫{{NcidNCID|BB20879973}}</ref>でも新版刊<ref>絶版文庫に『山月記 弟子 李陵 ほか三編』[[講談社文庫]]、1972年、{{NcidNCID|BA3249897X}}。<br
>『李陵 山月記 ほか五編』[[小学館文庫]]、2000年、{{NcidNCID|BA48141129}}。<br>他に『李陵・山月記・名人伝』[[旺文社]]文庫、『李陵』[[社会思想社]]・[[現代教養文庫]] がある。</ref>。
** 児童向け『李陵・山月記』は、[[角川つばさ文庫]]、{{NcidNCID|BB28203129}}、舵社・デカ文字文庫で新版刊
* 『中島敦 [[ちくま日本文学]] 012』ちくま文庫、2008年、ISBN 9784480425126
** 旧版『中島敦 1909 - 1942』 [[筑摩書房]]〈[[ちくま日本文学全集]] 036〉、1992年 ISBN 4480102361
* 『南洋通信』 [[中公文庫]]、2001年、増補新版2019年、ISBN 9784122067561
* 『文字禍・牛人』角川文庫、2020年11月、ISBN 9784041109021- 全6篇
; 【音声・映像作品】
* 『山月記・名人伝・牛人』 [[江守徹]] 朗読、[[新潮社]]〈新潮[[カセットテープ|カセットブック]] 〉、1988年/新潮CD、1997年、ISBN 410-8310039
* 『李陵』 [[日下武史]] 朗読、新潮社〈新潮カセットブック〉、1993年/新潮CD、2005年、ISBN 410-8301765
 
また、同館は没後60年{{R|没後60年}}、生誕100年{{R|生誕100年}}、生誕110年{{R|加藤2019|桂2019}}に企画展を開催しており、
* 『没後五〇年 中島敦展 一閃の光芒』 [[神奈川近代文学館]]、1992年9月、{{NcidNCID|BN08477024}}
* 『中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯』 神奈川近代文学館・展覧会図録、2019年9月{{R|図録2019}}
 
 
なお、研究者の[[村山吉廣]]も中島敦の会に参加しており{{Sfn|西原|2004|p=105}}、同会が発行する以下の研究書は神奈川近代文学館で販売されている{{R|中央大学2018}}。
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|山下・村田|2012}} |reference=山下真史、村田秀明『中島敦「李陵・司馬遷」定本篇・図版篇』、中島敦の会 発行、神奈川近代文学館 発売、2012年11月、{{NcidNCID|BB11149211}}{{R|梅本2013}}。}}
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|山下・村田|2018}} |reference=山下真史、村田秀明『中島敦「李陵・司馬遷」註釈篇』、中島敦の会 発行、神奈川近代文学館 発売、2018年11月{{R|中央大学2018}}。}}
 
* 元町幼稚園 - [[1975年]](昭和50年)12月7日、中島敦文学碑が横浜学園付属元町幼稚園の園庭に建立された{{Sfn|高橋ほか編|2002|p=511}}。元町幼稚園がある場所には、中島敦が勤務していた[[横浜学園高等学校|横浜高等女学校]]があった{{Sfn|神奈川近代文学館|1992|p=2}}。発起人は、中島の横浜高等女学校時代の教え子や同僚{{Sfn|高橋ほか編|2002|p=511}}。中島の筆跡で{{R|田井編2016}}、『[[山月記]]』の冒頭が刻まれている(原稿が行方不明のため『弟子』の原稿から集字した){{Sfn|高橋ほか編|2002|p=511}}{{Sfn|村山|2002|pp=128-139}}。[[File:Monument of Atsushi Nakajima.jpg|thumb|元町幼稚園の中島敦の文学碑]]
 
* [[横浜外国人墓地]] - [[1989年]]に記念碑(歌碑)が中島敦の会、横浜ペンクラブによって建立{{Sfn|神奈川近代文学館|1992|p=2}}<ref>二松学舎大学文学部国文学科編『神奈川  文学散歩』 [[新典社]]、2013年、115-116頁。</ref>。この外人墓地が『[[かめれおん日記]]』の中に登場し<ref>{{Cite web |url=http://www.welcome.city.yokohama.jp/ja/otona/archive/archive07.html |title=名作の中のヨコハマ。 |publisher =横浜観光コンベンション・ビューロー |accessdate=2019-10-06}}</ref>、その場面で詠んだ歌が石碑にも記されている{{R|田井編2016}}{{Sfn|村山|2002|pp=128-139}}。[[横浜高等女学校]]時代の散歩コースとなっていた{{Sfn|神奈川近代文学館|1992|p=2}}。墓地内は通常は非公開{{R|田井編2016}}。
 
* 中島敦ゆかりの地記念碑 - [[埼玉県]][[久喜市]]にある{{R|ゆかりの地}}。祖父、[[中島撫山]]の家があり、中島敦は2歳から6歳をここで過ごした{{R|ゆかりの地}}。なお、久喜市には「久喜・中島敦の会」があり、生誕100年を記念して『中島敦と私』を出版している{{R|久喜2009}}。
* 田鍋幸信『中島敦・光と影』 新有堂、1989年、ISBN 4880330132
* [[森田誠吾]]『中島敦』 文春文庫、1995年、ISBN 4167324040
* [[中村光夫]]・氷上英廣編 『中島敦研究』 筑摩書房、1978年、{{NcidNCID|BN00245375}}
* 斎藤勝『中島敦書誌 近代文学書誌大系』 和泉書院、1997年、ISBN 4870888688
 
* 『中島敦文庫直筆資料画像データベース』 [[神奈川近代文学館]]、2009年、ISBN 9784862713278 - [[DVD]]
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|宝島社|2009}} |reference=『端正・格調高い文章を味わう 中島 敦』 [[宝島社]]〈[[別冊宝島]] 1625〉、2009年、ISBN 978-4-7966-7036-4。}}- 生誕100年特別企画{{R|宝島サイト}}
* 『パラオ ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・[[土方久功]]展』 [[世田谷美術館]]、2007年、{{NcidNCID|BA83882319}}
* 山下真史『中島敦とその時代』 双文社出版、2009年、ISBN 9784881645925
* [[久世番子]]『よちよち文藝部』 [[文藝春秋]]、2012年、ISBN 9784163757506
* 山口比男『汐汲坂 ― 中島敦との六年』 えつ出版、1993年5月、{{NcidNCID|BN11349306}}
* 武内雷龍『夏雲』 海象社、2012年5月、ISBN 9784907717315
 
{{Reflist|30em|refs=
<ref name="磯田ほか編1988">[[磯田光一]]ほか編『新潮日本文学辞典』 新潮社、1988年1月、908-909頁、ISBN 4107302083。</ref>
<ref name="日本近代文学館1977">日本近代文学館、小田切進 編『日本近代文学大事典 第二巻』 講談社、1977年、495-497頁、{{NcidNCID|BN00742846}}。</ref>
<ref name="大塚2015">大塚英良『文学者掃苔録図書館』[[原書房]]、2015年7月、165頁、ISBN 9784562051878。</ref>
<ref name="川村2009">[[川村湊]] (2009年2月).“[https://imidas.jp/genre/detail/L-103-0035.html 作家の家系]”. ''情報・知識&オピニオン imidas''. [[集英社]]. 2019年10月19日閲覧。</ref>
<ref name="宝島サイト">“[https://tkj.jp/book/?cd=20162501&p_bn= 別冊宝島1625 端正・格調高い文章を味わう 中島 敦]”. ''別冊宝島''. 宝島社. 2019年10月19日閲覧。</ref>
<ref name="没後60年">“[https://www.kanabun.or.jp/exhibition/2298/ 収蔵コレクション展6「中島敦文庫」]”. 神奈川近代文学館. 2019年10月20日閲覧。</ref>
<ref name="没後75年">“[http://kasamashoin.jp/2017/09/75sp2017923.html 田沼光明主宰 中島敦の会「中島敦歿後75年記念  SPレコードコンサート―中島敦の愛した音楽たち」講師:庄司達也氏(2017年9月23日[土・祝]、県立神奈川近代文学館)]”. ''学会・講演会・展覧会情報''. [[笠間書院]] (2017年9月5日) 2019年10月20日閲覧。</ref>
<ref name="生誕100年">“[https://www.kanabun.or.jp/exhibition/2446/ 企画展「生誕100年記念  中島敦展―ツシタラの夢―」]”. 神奈川近代文学館. 2019年10月20日閲覧。</ref>
<ref name="図録2019">"“[https://www.kanabun.or.jp/webshop/10513/ 中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯]”. ''刊行物一覧''. 神奈川近代文学館. 2019年10月20日閲覧。</ref>
<ref name="日大文庫">『[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004891748-00 中島敦文庫目録 : 日本大学法学部所蔵]』 日本大学法学部図書館、1980年。</ref>
== 参考文献 ==
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|阿刀田|2000}} |reference=[[阿刀田高]]「中島敦・奇妙な味の短篇」[[日本ペンクラブ]]編『作家が語る作家』 [[講談社]]、2000年。ISBN 978-4062103862。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|青木|2009}} |reference=青木純一「生に対する自意識の功罪について」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 [[河出書房新社]]、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|岡谷|2009}} |reference=[[岡谷公二]]「中島敦 南洋行の背景」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|小沢|2009}} |reference=小沢秋広「「問い」の変位、「なぜ」から「どのように」 『文字禍』を中心に」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|開高|2009}} |reference=[[開高健]]「ケチくさくない作品」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|勝又|2004}} |reference=[[勝又浩]]『中島敦の遍歴』 [[筑摩書房]]、2004年。ISBN 4480823565。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|勝又|2009}} |reference=勝又浩「「天」をもった文学者」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Citation|和書 |editor1=勝又浩 |editor2=[[木村一信]] |date=1992-11 |title=中島敦 |series=昭和作家のクロノトポス |publisher=[[双文社出版]] |isbn=978-4881643808 |ref={{Harvid|クロノ|1992}}}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|神奈川近代文学館|1992}} |reference=『没後五〇年 中島敦展 一閃の光芒』 [[神奈川近代文学館]]、1992年9月。{{NcidNCID|BN08477024}}。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|神奈川近代文学館|2019}} |reference=『中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯』 神奈川近代文学館・展覧会図録。2019年9月。}}
* {{CitationCite journal|和書 |author=[[郭玲玲]] |date=2015-03 |title=中島敦『弟子論』 : 己を堅持する子路像の成立をめぐって |journal=東アジア研究 |issueissn=13 |pages=251347-439415 |publisher=[[山口大学]]大学院東アジア研究科 |year=2015 |month=mar |issue=13 |pages=25-43 |naid=120005595998 |url=http://www.lib.yamaguchi-u.ac.jp/yunoca/handle/D300013000003 |ref={{Harvid|郭玲玲|2015}}}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|川村|2009a}} |reference=[[川村湊]]『狼疾正伝 中島敦の文学と生涯』 [[河出書房新社]]、2009年。ISBN 9784309019215。川村2009a。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|川村|2009b}} |reference=川村湊「中島敦入門  帝国に抗する力を表現した作家」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。川村2009b。}}
* {{Cite book|和書 |author=[[小谷汪之]] |year=2019 |title=中島敦の朝鮮と南洋 二つの植民地体験 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=978-4000283861 |ref={{Sfnref|小谷|2019}}|}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|木村|1983}} |reference=[[木村一信]]「中島敦」近代作家研究事典刊行会編『近代作家研究事典』 [[桜楓社]]、1983年。}}
* {{CitationCite journal|和書 |author=[[佐々木充]] |year=1970 |title=中島敦<南島譚>について |journal=帯広大谷短期大学紀要 |issueissn=7 |pages=350286-457354 |publisher=[[帯広大谷短期大学]] |year=1970 |volume=7 |pages=35-45 |naid=110000996550 |doi=10.20682/oojc.7.0_35 |url=https://doi.org/10.20682/oojc.7.0_35 |ref={{Harvid|佐々木|1970}}}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|佐野|2013}} |reference=佐野幹『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』大修館書店、2013年。ISBN 978-4469222326。}}
* {{Citation|和書 |author=[[清水久夫]] |date=2017-03 |title=中島敦『南島譚』とその素材としての「土方久功日記」|journal=跡見学園女子大学文学部紀要 |issue=52 |pages=83-104 |publisher=[[跡見学園女子大学]] |naid=120006402862 |url=http://id.nii.ac.jp/1612/00000815/ |ref={{Harvid|清水|2017}}}}
* {{CitationCite journal|和書 |author=[[関根久美子]] |date=2016-02 |title=中島敦古譚 : 束縛する<身体>による脱出の可能性 |journal=[[上越教育大学]]国語研究 |issueissn=30 |pages=120913-225189 |publisher=上越教育大学国語教育学会 |year=2016 |month=feb |issue=30 |pages=12-22 |naid=120005960922 |url=https://hdl.handle.net/10513/00007230 |ref={{Harvid|関根|2016}}}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|高橋ほか編|2002}} |reference=『中島敦全集 別巻』 [[高橋英夫 (評論家)|高橋英夫]]・勝又浩ほか編、筑摩書房、増訂版2002年。ISBN 4480738142。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|武田|2009}} |reference=[[武田泰淳]]「作家の狼疾――中島敦『わが西遊記』をよむ」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Citation|和書 |author=[[田鍋幸信]] |date=1989-03 |title=中島敦・光と影 |publisher=[[新有堂]] |isbn=978-4880330136 |ref={{Harvid|田鍋|1989}}}}
* {{CitationCite journal|和書 |author=[[陳愛華]] |year=2004 |title=南島憧憬の行方 : 中島敦におけるアンチ〈近代〉の思考 |journal=広島大学大学院教育学研究科紀要. 第二部 文化教育開発関連領域 |issueissn=53 |pages=2811346-2905554 |publisher=[[広島大学]]大学院教育学研究科 |year=2004 |issue=53 |pages=281-290 |naid=110004667348 |doi=10.15027/18278 |url=https://doi.org/10.15027/18278 |ref={{Harvid|陳|2004}}}}
* {{Citation|和書 |author=中島敦 |date=1993-01 |title=中島敦全集1 |publisher=[[ちくま文庫]] |isbn=978-4480027511 |ref={{Harvid|ちくま1|1993}}}}
* {{Citation|和書 |author=中島敦 |date=1993-03 |title=中島敦全集2 |publisher=ちくま文庫 |isbn=978-4480027528 |ref={{Harvid|ちくま2|1993}}}}
* {{Citation|和書 |author=中島敦 |date=1997-03 |title=斗南先生・南島譚 |publisher=[[講談社文芸文庫]] |isbn=978-4061975606 |ref={{Harvid|斗南先生|1997}}}}
* {{Citation|和書 |author=中島敦 |date=2003-12 |title=李陵・山月記 |edition=改 |publisher=[[新潮文庫]] |isbn=978-4101077017 |ref={{Harvid|李陵|2003}}}}
* {{CitationCite journal|和書 |author=西谷博之 |year=1977 |title=中島敦「盈虚」 と「牛人」の世界 |journal=比較文学 |volumeissn=20 |pages=280440-378039 |publisher=日本比較文学会 |year=1977 |volume=20 |issue=0 |pages=28-37 |naid=130005699930 |doi=10.20613/hikaku.20.0_28 |url=https://doi.org/10.20613/hikaku.20.0_28 |ref={{SfnRef|西谷|1977}}}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|西原|2004}} |reference=[[西原大輔]]「[https://doi.org/10.20613/hikaku.46.0_103 書評 村山吉廣著 『評伝・中島敦―家学からの視点』]」『比較文学』第46巻、2004年、103-106頁。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|福永|2009}} |reference=[[福永武彦]]「中島敦、その世界の見取図」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|マッカーシー他|2009}} |reference=[[ポール・マッカーシー]]・オクナ―深山信子『世界文学のなかの中島敦』[[せりか書房]]、2002年。ISBN 978-4796702935。}}
* {{Citation|和書 |author=[[三島由紀夫]] |date=1974-06 |title=作家論 |publisher=[[中公文庫]] |isbn=978-4122001084 |ref={{Harvid|作家論|1974}}}} ハードカバー版([[中央公論社]])は1970年10月 {{NCID|BN0507664X}}、新装版は2016年5月
* {{Citation|和書 |author=三島由紀夫 |date=2003-11 |title=決定版 三島由紀夫全集第36巻 評論11 |publisher=新潮社 |isbn=978-4-10-642576-9 |ref={{Harvid|三島36巻|2003}}}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|村山|2002}} |reference=[[村山吉廣]]『評伝・中島敦―家学からの視点』中央公論新社、2002年。{{ISBN2|978-4120033179}}。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|矢川|2009}} |reference=[[矢川澄子]]「中島敦における歌のわかれ」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|吉田|1984}} |reference=[[吉田精一]]『現代日本文学史  第二版』筑摩書房、1984年。ISBN 978-4480820013。}}
* {{Wikicite |ref={{Sfnref|中島略年譜(『KAWADE道の手帖』pp.189-191)}} |reference=「中島敦略年譜」『KAWADE道の手帖  中島敦  生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。|pages=189-191}}
* {{CitationCite journal|和書 |author=[[山下真史]] |date=2018-02-15 |title=中島敦山月記を読む |journal=文学部紀要 言語・文学・文化 |issue=121 |pagesissn=1190529-1386803 |publisher=中央大学文学部 |year=2018 |month=feb |issue=121 |pages=119-138 |naid=120006640913 |url=http://id.nii.ac.jp/1648/00009037/ |ref={{Harvid|山下|2018}}}}
* {{Citation|和書 |author=[[森田誠吾]] |year=1995 |title=中島敦 |publisher=文春文庫 |isbn=4167324040 |ref={{sfnref|森田|1995}}}}
* {{Citation|和書 |author=[[渡邊一民]] |date=2005-03 |title=中島敦論 |publisher=[[みすず書房]] |isbn=978-4622071358 |ref={{Harvid|渡邊|2005}}}}
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* {{青空文庫著作者|119|中島 敦}}
* {{WAP|pid=997741|url=www.city.kuki.lg.jp/info/koubunsyo/tenji/no4/|title=『第4回企画展 図録  中島敦とその家系』(旧久喜市公文書館ホームページ)|date=2010-03-11}}
* {{WAP|pid=997741|url=www.city.kuki.lg.jp/info/koubunsyo/tenji/no10/|title=『第10回企画展 図録  中島敦の『斗南先生』・実話』(旧久喜市公文書館ホームページ)|date=2010-03-11}}
* [https://www.saitama-bungakukan.org/?page_id=135 中島  敦(なかじま  あつし)] - [[さいたま文学館]]
* [http://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/kanko_tokusan/a100040030.html 中島敦ゆかりの地] - [[久喜市|久喜市ホームページ]]
* [http://michimana.web.fc2.com/nakajima/kai_katsudou.html 中島敦の部屋 <中島敦の会 今までの活動>] - 中島敦の会
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