「谷川岳宙吊り遺体収容」の版間の差分

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現場となった衝立岩正面岩壁は、当時登頂に成功したのは前年8月の1例が初という超級の難所で、そこに接近して[[死体|遺体]]を収容するのは[[二次災害|二次遭難]]の[[危険]]が高く、不可能と思われた。
 
当初は所属山岳会の会員らから、長い[[鉄]][[棒]]の先端に[[油]]に浸したボロ[[布]]を巻いて点火し長い[[鉄]][[棒松明]]でロープを焼き切る案が出されたが、岩壁からロープまでの距離も長く、検討の末に不可能と判断された。当初は所属山岳会で収容を予定していたが、9月21日、新聞記者の早のみこみで「自衛隊出動か」との新聞記事が出てしまった。
 
実際9月21日所属山岳会は収容作業を行ったが、収容作業を行うには二重遭難承知でやらざるを得ないということが判明し、所属山岳会で同日夜の対策会合で紛糾の上、自衛隊の銃撃による収容を決定し、9月22日9時、山岳会代表者と遺族代表の連名による群馬県沼田警察署長への「自衛隊出動要請書」による要請で[[死体|遺体]]を宙吊りにしているロープを[[射撃|銃撃]]により切断し、遺体を収容することになった。