「西尾末広」の版間の差分

タグ: 差し戻し済み
[[1965年]](昭和40年)の日韓国会では、自民党と共に基本条約を強行採決するという荒業を見せた。[[1966年]](昭和41年)、社会党に「民社党は第2保守党だ」と批判されると、[[西村栄一]]書記長に「社会党は第2共産党だ」と反論させた。[[1967年]](昭和42年)、西尾は委員長を退任し常任顧問に就任し、西村書記長を後任に指名した(翌々年[[1969年]]<昭和42>11月民社党に名称変更)。西村、[[春日一幸]]、[[佐々木良作]]ら各委員長の下で常任顧問として健在するも、[[1972年]](昭和47年)[[第33回衆議院議員総選挙]]不出馬で政界を[[引退]]した。
 
国会議員勇退の1974年病に倒れ1981年(昭和56年)10月3日、脳内出血と腎不全のため90歳で死去した。
 
== エピソード ==