「川路聖謨」の版間の差分

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*:「川路を私達はみな気に入っていた。(中略)川路は非常に聡明であった。彼は私たちを反駁する巧妙な弁論をもって知性を閃かせたものの、それでもこの人を尊敬しないわけにはゆかなかった。彼の一言一句、一瞥、それに物腰までが、すべて良識と、機知と、炯眼(けいがん)と、練達を顕していた。明知はどこへ行っても同じである。」
*プチャーチンは帰国後に「日本の川路という官僚は、ヨーロッパでも珍しいほどのウィットと知性を備えた人物であった」と書いている。
*この後、1887年([[明治]]20年)、プチャーチンの孫娘のオガ・プチャーチナ伯爵は所縁の地[[戸田村 (静岡県)|戸田村]]を訪ね、そこに100[[ルーブル]]の寄付をしている。その後の歴史の激動の中にも両家の交流は続き、2008年([[平成]]20年)にも日露修好150年を祝っている<ref>{{cite web
| url =http://www.kantei.go.jp/jp/koizumiphoto/2005/04/16nitiro.html
| title = 日露修好150周年記念式典。「プチャーチン提督のゆかりの方と江戸幕府川路聖謨(としあきら)勘定奉行の子孫」も参加。