「イオアニス・メタクサス」の版間の差分

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一方、外交においてギリシャはジレンマに陥っていた。メタクサスは国内の統制を強めるために[[ファシズム]]の手法を真似たが、[[地中海]]の覇権を握っている伝統的な友好国イギリスとも友好関係を維持していた。1939年に[[第二次世界大戦]]が始まると、メタクサスは中立的立場を維持しようと試みた。しかし[[バルカン半島]]における勢力の拡大を狙っていた[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]は、ギリシャがイギリスに傾くのを恐れていたこともあり、1940年にギリシャ内におけるイタリア軍の自由行動権を求めた最後通牒を突きつけた。10月28日にメタクサスはこれを拒否し(返答の電報は“OXI”(否)の一言だった)、イタリアはギリシャに対し宣戦を布告した。メタクサスは巧みな防御戦術によって伊軍の進撃を停滞させ、英軍の支援によって[[アルバニア王国 (近代)|アルバニア]]国境にまで戦線を押し戻すことに成功する。
 
戦いの最中、メタクサスは1941年の1月29日咽頭癌の症状が悪化し、[[アテネ]]で死亡した。中央銀行総裁だった[[アレクサンドロス・コリジス]]が跡を継いだが、ギリシャに進撃したナチス・ドイツ軍を前に4月18日に自決する。4月29日にアテネが占領され、国王と政府は海外に亡命した。
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== 注釈等 ==
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== 関連項目 ==
* [[八月四日体制]]