「伏見康治」の版間の差分

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'''伏見 康治'''(ふしみ こうじ、[[1909年]][[6月29日]] - [[2008年]][[5月8日]])は[[日本]]の[[理論物理学者]]。[[名古屋大学]][[名誉教授]]、[[大阪大学]]名誉教授。[[博士(理学)|理学博士]]。[[公明党]][[参議院|参議院議員]](1期)。[[正四位]][[勲二等]](没時)。
 
本来の仕事である[[物理学]]、特に[[統計力学]]の分野で大きな研究業績を上げた他、戦後日本の科学研究体制の確立と発展にも力を尽くし、原子力平和利用研究を推進、さらには科学者の社会的責任のアピールと行動、一般向け書籍による物理の面白さの啓発・普及、そして対称性の美の追究など、多方面に大きな足跡を残した。
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伏見は対称の美について深い関心をもち、1960年代には「紋様の科学」と題して対称性図形の話を「数学セミナー」に連載した。また早くから[[マウリッツ・エッシャー]]の版画を愛し、折に触れて語っていた。そして1979年には[[安野光雅]]、中村義作との鼎談が記録されて「美の幾何学」(中公新書)が出版された。また夫人満枝と共同で[[折紙の数学|折り紙の幾何学]]も研究し「数学セミナー」に寄稿した(単行本「折り紙の幾何学」として出版)。「折り紙の幾何学」の冒頭では、1次元の繰り返し紋様が円筒によって生成されることは古代より知られているが、2次元の広がりをもつ繰り返し文様は準<ref>「準」は原文ママ。正多面体類を指す表現の訳には現状少々の混乱があるが(参考:[http://www.zome.jp/column/clm7/clm7.html )ここでの「準正4面体」とは、それを構成する3角形が全て合同であれば、正3角形でなくてもよい、という緩和した正4面体を指している。</ref>正4面体によって生成できる(少し試すと分かるが直方体では駄目である)ことを見つけ、そこから正多面体の折り紙に興味を持ったと説き起こされている。折り紙に関しては、幾何の教材にこれほど良いものはないだろうと言ったところ、息子に今では学校でろくに初等幾何を教えたりしていないのだと言われて衝撃を受け、数セミ誌の編集長([[矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎]]のこと。注も参照)は何をしているのだ、といった話<ref>[[矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎]]は専門が幾何であり、同時に教育にも熱心だった。「同窓生のよしみ」から同氏の字名で、「ヤノケン氏は何をしていたのであろう(中略)叱咤激励しなければならない」(同書 p. 82))</ref>や、化学者[[槌田龍太郎]]の息子、[[槌田敦]]が出てくるほのぼのとした話などもある。後に、エントロピー学会で発行したエントロピー読本2には、伏見康治、槌田敦らの文章が掲載されている<ref>エントロピー読本2 http://www.ecosci.jp/entropy/entropy01.html#dokuhon2</ref>。
 
== 親族 ==
妻は、[[伏見満枝]]。[[物理学者]]の[[伏見譲]]と情報サービス産業で活躍している[[伏見諭]]は息子。[[伏見康子]]は娘<ref>「折り紙の幾何学」([[日本評論社]])1979</ref>。[[富山小太郎]]は義弟<ref>[[朝永振一郎]]「富山さんの思い出」『[[科学 (雑誌)|科学]]』第42巻第12号</ref>。
 
== 略歴年表 ==