「煙突掃除人」の版間の差分

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(82788098版は en:Chimney sweep 09:08, 25 February 2021の版。また、原文の「to have him cleaned once a week」を文脈を考え身体を洗うに修正)
 
{{unordered list| A. 炉床、垂直な煙道、水平な煙道、そしてブラシにとっては困難な直角の曲がりを2つ持つ垂直方向の立ちあがり。| B.背中、ひじ、ひざを使ってボーイが登っている長い真っ直ぐな煙道(14インチ x 9インチ)。| C.2階の炉床からの短い煙道。クライミング・ボーイは、直径が小さすぎてその方法で出られない煙突のポットに到達している。| E.は災害を示す。クライミング・ボーイは煙道に閉じ込められ、膝があご先にぶつかっている。| G.煙道を真っ直ぐにして、機械的手段で掃除可能にする方法| H.煙道のカント(cant)に堆積した煤の落下で窒息死したクライミング・ボーイ。}}]]
 
クライミング・ボーイ(climbing boys)と呼ばれる少年たち(時には少女<ref name=mayhew347>{{Harvnb|Mayhew|1861|p=347}}</ref><ref name=Strange19>{{Harvnb|Strange|1982|p=19}}</ref>)は、厳密には煙突掃除人見習い(chimney sweeps' apprentices)と呼ばれ、大人であるがゆえに煙突や煙道に入れない親方掃除人(マスター・スイープ、master sweep)に弟子入りするという形をとった。親方掃除人は教区から報酬を得て、孤児や貧民に技術を教えた。彼らは彼に完全に依存していた。少年らやその保護者は治安判事の面前で契約書に署名し、成人になるまで親方に拘束されることとなった。[[救貧法]]に基づく後見人は教区の費用を削減するために、自分が世話をしているワークハウスの子供たちをできるだけ多く(煙突掃除に限らず)徒弟制度の見習い(弟子)に出す義務があった。親方掃除人には見習いにその技術と秘訣を教えること、2着目の服を与えること、週に1回掃除身体させる洗うこと、教会に通わせること、火のついた煙突には登らせないことなどの義務があった。見習いは親方に従うことに同意した<ref name=Strange12>{{Harvnb|Strange|1982|p=12}}</ref>。7年間の見習い奉公が完了すると職人掃除人([[ジャーニーマン (徒弟制度)|ジャーニーマン]]・スイープ、journeyman sweep)となり、彼自身が選んだ親方掃除人の下で働くようになれた。それ以外は別の掃除夫や親に売られたりした。値段は7シリングから4ギニーだった<ref name=Strange21>{{Harvnb|Strange|1982|p=21}}</ref>。
 
一般的には訓練の開始は6歳の男子が良いと考えられていた<ref name=Strange14>{{Harvnb|Strange|1982|p=14}}</ref>。シャフツベリー卿は4歳の少年と出会ったことがあったが、ひ弱だと認識されていた<ref name=Strange14/>。親方には多くの見習いがおり、朝から街中を歩きまわって「煤を払うぞー(スートゥ・オー・スイープ、Soot -Oh, Sweep)」などの掛け声を挙げ、掃除されていない煙突の危険性を思い出させた家主たちに自分たちの存在を知らせた。作業を行うとき、親方は暖炉に布を掛け、見習いは靴や余計な衣服を脱いで暖炉の後ろに回った。煙道は家屋と同じくらいの高さのところで数回曲がっており、その寸法は14インチ×9インチだった。帽子をかぶり、大きな平たいブラシを頭にかざして、体を斜めにして楔のようにし、煙道に入った<ref name=Strange18>{{Harvnb|Strange|1982|p=18}}</ref>。背中と肘と膝を使ってイモムシのように煙道を這い上がり<ref name=Strange14/>、ブラシを使って緩いススを取り除き、それが自身の頭上に振った後、下の方へと落ちていき、滑らかで安全な煙突にするために固い部分は[[スクレイパー]]を使って削り落とした。頂上に到達すると迅速に滑り下りて煤の山の中に戻る。そして煤を袋に詰めて、親方の手押し車や庭に運び出すのも彼らの仕事だった。